Temporary Love2

第三章


 気が動転してしまい、危うく事故でも起こしそうなくらい焦る気持ちを抱いて氷室は車を走らせていた。
 信号が黄色に変わった微妙なタイミングも、いちいち止まってられるかというくらいアクセルを強く踏み込んで突破する。
 ダウンタウンを目指し高速に乗るが、四車線あるレーンを次々と変更して車を抜いていく。
 スピード違反で捕まっては元も子もないと、それだけは気をつけて速度を気にしながら、目の前に固まって聳え立つビルがだんだん近づいてくるとぐっと体に 力が入った。
「どこまで試練は続くんだよ」
 八つ当たりするかのように、氷室は車の中で吼えていた。
 ベスに教えられたビルの前に来て、駐車違反になろうがそのビルの前に堂々と車を停め慌てて飛び出す。
 ビルの中へとそのまま勢いづいて飛び込むが、ロビーに居た人たちの視線を一斉に浴びると急にはっとした。
 怪しまれててはいけないと、ビジネスマンのフリをして背筋を伸ばし、エレベーターに素知らぬ顔で向かった。
 しかし、ジーンズという服装がカジュアル過ぎてそのビルの中では充分浮いている。さらに見慣れない顔だったので、警備員が目を光らせて、疑った目つきで 警戒していた。
 氷室はにこやかにその警備員に笑みを返しながらも内心は落ち着かず、エレベーターが来るまで足をゆすってしまう。
 時折警備員を気にしてチラチラ見ている落ち着かない態度は、不信感を募らせるには充分な要素だった。
 そして警備員が氷室の元にやってこようとしている。
「エレベーター早く来い」
 氷室はおまじないのように強く念じながら、警備員から逃れたいと焦りだした。
 慌てている様子がすっかり顔に表れ、警備員は益々怪しいと近づく速度を早めた。
 その前にエレベーターの扉は開き、氷室はすべるように乗り込み、閉めるボタンを何度も押す。
 警備員が走ってくるが、エレベーターの扉は運良く目の前で閉まってくれた。
 心臓に悪いと、氷室は胸を押さえこんだ。
 ベスから聞いた階に来て、聞いたとおりの部屋を目指したとき、下の階から連絡を受けた他の警備員が氷室の居たフロアーにすでに駆けつけ追いかけてきた。
「(そこの男、動くな)」
 氷室は振り切ろうと一目散に走るが、努力の甲斐もなくドアの前であっけなく取り押さえられてしまった。
 体を床に伏せられ、陸にあげられた魚のように無駄に抵抗する。
「(放せ!)」
 氷室が大声を出し暴れると、他の会社員も周りに集まり辺りは騒然となってきた。
「(何事かね)」
 スーツを着た目つきの鋭い年配の男が現れると、周りのものは緊張して体をこわばらせていた。この会社のお偉いさんに違いない。
「(社長、怪しいものが入り込みました)」
 警備員が社長と呼んだそのとき、氷室の心には憎しみが湧き起こりスコットを重ね合わせるように容赦なく睨んだ。
「(怪しいのはあんたの息子のスコットだろ。俺の彼女を誘拐しやがった)」
「(君、いい加減なことを言うと警察を呼ぶぞ)」
「(もう呼んでくれ。その方がいい。困るのはそっちだ)」
 開き直る氷室の態度がまんざら嘘を言ってるように聞こえず、社長は警備員に手を離すように指示した。
「(君、何か証拠でもあるのか)」
「(この部屋に彼女が捕らわれている)」
 社長はそこまでいうのならと、氷室をその部屋に入れた。
 ドアを開けるが、目の前に窓から見えるダウンタウンの景色が広がるだけで中には誰もいなかった。
「(誰もいないじゃないか。誰かこいつをつまみ出せ)」
 社長もまた強気の姿勢で氷室を睥睨する。
 そのとき氷室はソファーに置いていた大きなリュックとジャケットを見逃さなかった。
 そこへ駆け寄り、それらを手にした。
「(これは、なゆみのものだ。やっぱりここにいたんだ。なゆみはどこにいるんだ。なゆみ! なゆみ!)」
「(おい、いい加減にしろ)」
 警備員は再び氷室を取り押さえる。
「(何を言っているんだ、この鞄とジャケットを見てみろ。これが動かぬ証拠だ)」
 氷室はさらに鞄の中を開け、教科書やノートを見せる。そしてサイフが出てきて、その中を開くとそこにはなゆみの写真入りの学生証が出てきた。
 氷室はそれを社長に見せた。
「(これを見ろ。なぜこれがここにあるんだ。これでも俺の言ってることが嘘だと言うのか)」
 社長はそのIDを無言で見つめると、顔に陰りが出て神妙な面持ちになった。それを見ていた周りの者も息を呑むほどに暫く静かになった。
「(誰か、スコットを知らないか? スコットはどこにいる?)」
 何かの間違いであって欲しいと社長がそこに居た社員一人一人救いを求めるように目合わせて尋ねまわる。
 誰も知らないと首を横に振る中、入り口付近で一人だけ居心地悪そうにしている女性に社長は気づくと、声を掛ける。
 それはスコットから命令されドリンクを持ってきた秘書だった。
「(君、何か知ってるのか)」
「(えっ、その、確かにここに女の子がいましたが、もう帰られました)」
 氷室はその女性に走り寄って、必死に問いかける。
「(その子が本当に帰ったのなら、どうしてジャケットと鞄がここにあるんだよ。財布も持たずに帰る訳がないだろうが)」
「(慌てて帰られたのでそれは忘れ物かと)」
 女性は苦し紛れに言い訳するが、嘘を突き通せないと体を反らしてたじろいでいた。
「(君、知っているのならはっきりと言いいなさい。スコットも一緒なのか)」
 社長は険しい顔をしながら問いかけた。
 女は社長自ら質問され、事実を隠せないと小さな声で観念したかのように状況を伝える。
「(はい、副社長はその女の子と一緒に自家用飛行機でラスベガスにでかけられました)」
「(嘘だろ!! なゆみを返してくれ。これは誘拐だ。警察に訴えてやる)」
 氷室は最悪の事態に我を忘れて大声で叫び散らす。
「(ちょっと待ちなさい。そして落ち着きなさい。誘拐と決まったわけではない。しかしなぜスコットはその女の子とラスベガスに行ったんだ)」
 女性はその先のことが言えずもじもじしてしまう。社長は首がかかってるぞと脅すように厳しい目を見せ一蹴する。
 それに怯え女性はスコットに口止めされていたことを自白した。
「(副社長は女の子に睡眠薬を飲ませ、そして結婚するんだと、無理やり連れて行きました)」
「(正真正銘の誘拐じゃないか! 警察だ、警察に連絡だ)」
 氷室は狂ったように叫んだ。
「(君、待ちたまえ、ここは私が責任を持とう。警察沙汰にするのは避けたい。とにかく我々もラスベガスに飛ぶ。今すぐ飛べる飛行機をチャーターしてく れ)」
 ここまで来ると社長も焦りだした。事が大きくなれば会社にも損失を与えかねない。
 なんとか丸めこもうと打って変わって表情が軟化し氷室の機嫌を取り出した。

 氷室は社長に連れられ、運転手つきの車で近くのローカル空港へと向かう。
 あまりにも腹が立ちすぎて、そして心配のあまり氷室は一切の口を聞かなかった、というよりショックのあまり声がでなかった。
 社長はその 氷室の顔を時折見 ては、罪悪感にさいなまれた。普段は従業員全員から恐れられる人物だというのに、氷室を前にこの状況に困り果てている。
 そして用意された小型飛行機に乗り込んだ時、その飛行機の中で社長はようやく自己紹介をし、自分の名はロドニーと告げそして息子の非を詫びる。
「(こんなことになってすまない。スコットは少し執着心が強く思い込みが激しいところがある。良いように言えば粘り強いのだが、少々度が過ぎるところが昔 からあった。それはビ ジネス精神ではいいのだが、まさかこんなことをするとは。よほどその女の子が気に入ったと見える)」
「(そんな気に入ったとか言われましても、彼女には俺がいるんです。彼女の意思なく無理やり結婚だなんて、いくら執着心が強いからといっても許されること ではありません)」
「(それは分かっている。全ての責任を私が取ろう。だからこのことは警察には言わないで欲しい)」
「(あなたは自分の会社のことしか考えてないんですか。だから自分達の子供が何をやってるか把握できてない。あのね、あんたの娘、ベスもかなり恐ろしい性 格ですよ)」
 氷室はここぞとばかりベスのことも話し出した。
「(娘も迷惑をかけたというのか)」
「(はいっ!)」
 氷室は力強く自信を持って返事する。
「(あの子も甘やかしすぎて我侭になってしまったところがある。なんでも自分の思うようにならないといやで力づくでも手に入れようとする癖がある)
「(どちらも人の気持ちを無視して自分の思い通りにしようとする。良く似た迷惑な兄妹ですね)」
 氷室は嫌味の一つも言いたくなった。
「(本当にすまない)」
 ロドニーは面目ないと殊勝な顔つきになった。
 しかし氷室は知らない。目の前の社長がアメリカでも結構有名な大社長だということを。腹が立ちまくっているのでロドニーを上から目線で見ていた。
 
 一方でなゆみはベッドの上で目を覚ます。頭がかすかにジンジンと響いて痛い。
 起き上がって辺りを見渡せば、とてもゴージャスな部屋の寝室にいた。
「ここ、どこ? 何で私寝てたの? あっ、今何時?」
 なゆみがベッドから起き上がり寝室を出ると、目の前に豪華な応接セットやダイニングテーブルのある部屋が広がった。カウンターつきのキッチンもありどこ かの家に居るのかと思った。
 だが、大きな一面に広がる窓を覗けば、幻想的な噴水がある池が見下ろせユニークな形の建物が密集した景色が広がる。かなり高い場所にいた。
「ここ、ホテル? これってもしかしてラスベガスのベラージオホテルじゃないの。あの噴水、ガイドブックで見たことがある。ええ? ええ? なんで? あ あ、頭が痛い」
 なゆみは夢でも見ているのだろうかと目の前のことが受け入れられない。
 益々頭もズキズキして、眉間に皺を寄せこめかみの辺りを押さえ込んだ。
 夢であって欲しいと強く願ったとき、突然部屋のドアが開き、誰かが大きな箱を持って入って来た。
 そこには白いタキシードを着たスコットが立っている。
 それを見て一気に現実だと気がつくと、血の気が引いていく。
「(なゆみ、やっとお目覚め?)」
「(スコット! ちょっとなんで私こんなところにいるの? ここラスベガス?)」
「(うん、そうだよ。今日君はここで僕と結婚するのさ)」
「(えっ! ちょっと待って。嘘)」
「(嘘じゃないよ。ほらこれ)」
 スコットが持っていた箱を開けると、中から真っ白なウエディングドレスが出てきた。
 光沢があり、素材はシルクだと質の良さをスコットは強調する。
 なゆみが目を見開きドレスを見て絶句している姿をあたかも気に入ってるとスコットは思い込み、笑顔を向けて近寄っては、なゆみの体にドレスを合わせた。
 なゆみは非常事態に驚きすぎて卒倒しそうだった。しかし気を取り直して、よろけながらも踏ん張り、そのドレスをいらないとばかりにはたいた。
「(スコット、冗談はやめて)」
「(いや、冗談なんかじゃないよ。言っただろう。僕達は運命的な出会いをしたんだって。今日ここで結婚して君は僕の妻になる。僕はそう決めたんだ。決めた ことはすぐに実行しなくっちゃ。それが僕のやり方だ)」
 スコットの目は本気だった。ギラギラとして欲しいものを手に入れようとする欲深い瞳でなゆみを見ている。
 なゆみは首を横にふり、嫌だと主張して後ずさりするが、スコットがドレスを手にじりじりとなゆみに迫ってくる。
「(何も怖がることはないんだよ。さあ、これに着替えて式を挙げに行こう)」
 人の意見など聞く耳持たない、異常者ともいえるような目つきで近寄られると、恐怖心が体を支配した。
(この人、狂ってる)
 なゆみは追い詰められたうさぎのように怯える目をして、助けてと瞳で慈悲を乞う。そんなのが通じるような相手ではなかった。
 思い通りにできるとばかりの漲った自信。欲望を抱いて興奮し、なゆみは自分のものだと玩具のように扱う。
「(それなら僕が着替えさえてあげようか。何も恥ずかしがることはないよ。君はお人形になればいい)」
「嫌、いやー」
 なゆみは寝室へ逃げ込んだ。ドアを閉めようとしたが、スコットが跳ね除けて入り込んできた。ここまで来ると殺人者に追いかけられるホラー映画のようだっ た。なゆみの抱いた恐怖は寿命も縮 み上がる勢いだった。
「(ほら、我侭言わないの。今夜僕達は夫婦になるんだから)」
 スコットはなゆみのTシャツを無理やり引っ張り脱がそうとした。
「いや、やめて。氷室さん! 氷室さん! 助けて!」
 泣き叫ぶもスコットは手を止めない。なゆみをベッドの上に倒し、上から体を押さえ込むように彼女の体の上に跨って力づくで本当にTシャツを脱がしてし まった。
 ブラジャーだけの肌が露となり、その姿を見てスコットの興奮は冷めやらず、悦に入った笑い声を上げた。
「(こんな姿を見ると、先に君を食べちゃいたくなるね)」
 なゆみの恐怖は頂点に達して泣き狂ってしまう。
「氷室さん! 氷室さん!」
 奥からドアが開く音と共にどたどたと足音が聞こえ「なゆみ!」と叫ぶ声が聞こえた。
 なゆみの叫びが届いたように目の前に本当に氷室が現れた。
 氷室はなゆみが半裸になってベッドの上でスコットに押し倒されている状態に逆上し、スコットを引き摺り下ろして力いっぱい殴り飛ばす。
「氷室さん!」
「なゆみ! 大丈夫か」
 なゆみは無我夢中で氷室に抱きついた。体が震えてがくがくしている。
「(何すんだよ、痛いじゃないか。それにお前、誰だよ)」
 スコットが顔を上げると、今度は父親のロドニーがもう一発殴った。
「(馬鹿者! お前は犯罪者になるつもりか)」
「(お父さんがこいつを連れて来たんですか。余計なことを、あともうちょっとだったのに)」
 ロドニーは更にもう一発息子の頭を殴っていた。そしてスコットの耳を引っ張り、寝室から二人は出て行く。
 なゆみは氷室に抱きつきながらまだ震えていた。
 怖かったのもあるが、ふと気がつくと上半身裸だった。寒い。それと同時に自分の姿に驚いた。
「なゆみ、怪我はないか」
 氷室がなゆみに視線を向けたとき、なゆみは手を伸ばし氷室の顔をむぎゅっと押し上げて逸らした。
「おい、何すんだよ」
「ちょっと向こう向いてて下さい」
 なゆみは慌ててTシャツを手に取り身に着けていた。
「お前、何を今更恥ずかしがってるんだ。こっちはどんな思いでここまで来たと思ってるんだ」
「分かってます。私だって一体何を考えていいかもうわかりません」
 なゆみはまだ気が動転している。
「とにかく落ち着け」
 氷室は有無を言わさずなゆみを力一杯抱きしめた。
 なゆみの高ぶっていた神経が一瞬にして和らぐ。
「ほんとに無事でよかったよ」
 なゆみを抱きしめることで氷室自身が安心したかったようだった。
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