Temporary Love2

第三章


 カジノのフロアーは24時間人で溢れかえっている。ラスベガスはまさに眠らない空間。
 膨大なスペースにスロットマシーン、ポーカーゲームやルーレットの台など賑やかにそれでいて怪しく危ない世界に見えた。
 勝てる人など稀でありながら、人々はもしかしてと運を期待して一攫千金を狙っている。
 スロットマシーンに座る者はまともな人間に見えないくらいどこか取り憑かれ、視線を動かさずに一定の部分をじっと見つめ、まるで人が機械に操作されて いるような動きだった。
 そこに座れば誰もがそうなってしまうのだろう。
 ふとすれ違いざまに軽やかな音が連続して鳴っているのが聞こえ、当たりがきてどれくらい勝ったのだろうと氷室はつい気になって見てしまった。
 滅多に味わえない雰囲気だけでも一通り見ておこうと氷室はその辺りをバートランと歩く。
 そしてルーレットのテーブルの前で玉がコロコロと転がっている場面に出くわすと氷室は足を止めて見つめた。
「(氷室様、ルーレットのルールはご存知ですか?)」
「(なんとなく把握してる程度だ)」
 ルーレットの速度が落ち、玉が落ちる場所を求めて人々の心を惑わすように飛び跳ねているのを横目に、氷室は答えていた。
 バートランは氷室の知識を確かめるようにルーレットのルールを一つずつ説明しだした。
 氷室は静かに聞きながら、そのテーブルをじっと見つめる。
「(どうですか氷室様、一つ試しに遊んでみませんか?)」
 バートランはどこからかチップを取り出し、それを氷室に差し出す。
 どこに隠し持っていたんだというくらい、バートランは手品師のように纏まった数のチップを無理やり氷室の手のひらに乗せた。
 そして激励するかのようにバートランは氷室の肩を叩いた。
 氷室は唖然としながらも、それならばと有難く使わせてもらうことにした。
 最初は赤と黒に賭ける簡単なものから挑戦してみた。赤にチップを何枚か置き、お気軽に賭ける。
 そのテーブルでお金を賭けたものは、ルーレットが回りだすと息を呑むように自分が賭けた数字を念じて勝負を真剣な目で見守っていた。
 だが氷室はただ体験として遊ぶ目的だったため、周りを落ち着いて観察していた。そしてディーラの顔を見つめたとき、気に入らないと思ってしまう。
 なぜならプロのディーラーともなると自分の仕事にプライドを持ち、客であろうが容赦はしないからだった。群がる客をもてなすというより見下してい る横柄な態度が鼻についた。
 氷室のような全く何も分かっていない日本人の客は特に嫌うのか、目が合うと馬鹿にした笑みを向けられる。
 氷室はカチンときてしまった。
 ルーレットはゆっくり回り、小さな玉がぴょんぴょんと生き物のように跳ねている。
 そしてその玉が最終的に止まったところは黒だった。
 自分の賭けたチップは無常にも取り上げられる。
 やはり自分には合わないと思っていたが、もう一度だけとチップを置こうとする。
 そのときくしゃみが出そうになり、顔を逸らしできるだけ堪えていたが、思いっきりでそうになったので、何も考えずその辺にチップを放り投げるように置い てしまって、そし て席を離れ て、「ハックシュン」と出していた。
 偶然に置いてしまったが、それも導きだったのかなんとそこに玉が来てしまい、氷室の前はあっという間にチップが増えていた。
 それからというもの氷室にツキが回ってくる。
 ある程度増えたので気軽に色々賭けていたら、負けを知らなくなってしまった。
「(氷室様、これはすごいです)」
 バートランが唸るほど氷室は持ち金を増やしていった。
 数字の前半後半、タテ列、6個の番号など当たる確立が高い賭け方だったのもあるが、たまたま勘が冴えていて損はしなくなった。
 氷室があまりにも勝ち続けるのでテーブルはいつの間にか人だかりとなり、氷室の勝負を見ようとそのテーブルだけ人が溢れかえった。
(おいおい、なんで人が集まってるんだ。俺もう部屋に戻りたい。そうだ負ければいいんだ。どうせこんなアブク銭、無くしても別にいい)
 そこで氷室は自分の年と同じ数字の赤の32に持ち金全てを賭けた。人々は勝負に出たかと益々興味深く見つめる。
 氷室はこれで勝つ気などなく、負けを見込んで余裕の表情だった。それがまた肝の据わった態度だと周りの好感度が上がっていた。
 そしてその勝負のとき、これで終わって部屋に戻ってなゆみといちゃつけるなどと想像していると、自然と笑えてきた。
(俺、何考えてんだ。でも今日こそはとうとう)
 そんなことを考えてにやけていると、周りが急に盛り上がって騒ぎ出した。
 氷室は今夜のことを応援されているみたいで、益々その気になってくる。部屋に戻ろうとして立ち上がるとバートランが声を掛けた。
「(氷室様、どちらへ)」
「(ん? ホテルの部屋へ)」
「(もう終わりですか? 人々は氷室様の勝負をまだ待っておられますが)」
「はっ?」
 氷室が最後に賭けた赤の32のところに玉が来ていた。
「嘘……」
 掛け金が相当の額に膨れ上がった。目の前に沢山のチップが山積みになった。
 ディーラが目に力を込めて氷室に睨みを効かしている。氷室が勝っている事が気に食わない様子。
 このまま勝ち逃げされてはくやしいとばかりに、次の勝負を取ってつけたような笑みを添えて勧めてきた。
 氷室はそのディーラの腹の中が読めるように暫く睨み合いが続いた。
「(氷室様、どうなさいます。今はとてもツキがきててますよ。後もう暫くいかがですか)」
 バートランまでそそのかす。
 氷室はどうでもよかった。
(なんで、こういうときに限って負けないんだ。俺はもう終わりたい)
 だが、周りがはしゃぎ立てて、すっとそこから去れるような雰囲気ではなかった。そのテーブルだけ大勢の人が好奇心をむき出しにして取り囲んでいる。
 仕方なし、氷室はもう一回賭ける事にした。これですっからかんだ。
 そして今度は黒の20、なゆみの年に全てを賭けていた。
「(氷室様、また単独番号で全ての持ち金を賭けて勝負ですか)」
 バートランがそれは止めた方がいいと言っている。
 氷室はどうでもよかった。
 そしてディーラーがルーレットを回す勝負の瞬間ですら、緊張すらしていない。その態度が大物だと思われ、人々の関心を集めていた。
 ディーラーが玉を転がし、皆が固唾を呑む。
 ルーレットの玉の行く先を目で追いかけている間、息をするのも憚れる静けさが緊張感を高める。
 高速回転して色と数字が混ざり合ったルーレットは次第に赤と黒の色の判別ができるくらいまでゆっくりと速度を落とした。
 そしてとうとう数字も判別できるくらいの早さになったとき、まるでからかっているかのように玉がどこにはまり込もうかと飛び跳ねてヤキモキさせる。
 そして次第にルーレットの動きが止まろうとしているとき、玉はようやく落ち着いた。
 その時割れんばかりの歓声があがった。
 嘘のようにまた氷室が選んだ数字が来てしまい、氷室はどこまでもついている自分に驚く。
 周りから大いにはしゃがれ、すごい盛況で大喝采を浴びてしまいものす ごく目立っていた。
「(氷室様、すごいです。氷室様はギャンブラーだったんですね。しかしやばくなりました)」
「(どういう意味だ?)」
「(そろそろセキュリティがやってくると思います)」
 すると体格の良いボディガードのような男達が二人、氷室の前に現れた。氷室は自分よりもでかい男二人に囲まれて圧倒される。訳が分からず目をぱちくり瞬 いていると、話があると特別ルームに案内されることになった。
「(バートラン、一体どうなってるんだ)」
「(氷室様、一体いくら稼がれたかご存知ですか)」
「(えっ? いや、わからん)」
「(すごい額ですよ。それはそれはすごい額です……)」
 バートランは静かにぼそりと答えていた。
 ルーレットで不正はしようがなく、それは疑われなかったが、勝ちすぎたためにカジノを出入り禁止になるというブラックリストに名前を載せられてしまっ た。
 氷室はカジノの責任者を前に大げさなと思いつつ、自分が勝った金額を聞いて卒倒しそうになった。
「(あの、そんな金、持って帰りようがないのでいりません。とにかく早く部屋に戻りたい)」
 こんなことになったのは元はと言えばなゆみが誘拐されたからであり、いくら罪滅ぼしでここに招待されても、なゆみが受けた心の傷は癒えないと思うと、金 の受け取りを辞 退する。
 この金を受け取ってしまえば、なゆみを売ってしまった気分になってしまいそうだった。
 それになゆみが抱いた恐怖をこんなことでチャラにしてしまえばなゆみも辛くなる。
「(氷室様、そんなもったいない)」
 側で聞いていたバートランは驚いていた。
「(もういいんです。充分遊べましたし、こんな金受け取ってもなゆみが喜ばない)」
 バートランは大金に目もくらまない氷室に男の器量の大きさを感じて感心していた。
「(これこそ真の日本のサムライ)」
 バートランは尊敬の眼差しを向け、憧れてそれはまるで氷室に惚れる勢いだった。
 部屋に戻ろうとした氷室をバートランは呼び止めた。
「(少し、あなたと飲みたいんですが)」
 時計を見れば日付がとっくに変わっている。氷室は断りたかったが、世話になったので邪険にもできなかった。部屋にはブランデー類が置いてあったのを思い 出し、部屋で飲もうと誘った。
 なゆみを見ればそんなに長居もできないと悟ってくれるだろうと思ってのことだった。
「(それじゃ部屋で飲みましょう。なゆみのことも気になるので)」
「(はい。ありがとうございます)」

 部屋に戻れば、静かだった。開いていた寝室のドアの先を覗くと、なゆみは氷室の帰りを待ちきれずにすでに寝ていた。
「なゆみ、申し訳ない」
 小声で呟き、氷室はそっとドアを閉めた。
 豪華なスィートルームはマンションの部屋のように生活ができる状態だった。
 バートランはグラスを二つ取り出し、飲み物の準備をしている。
 一つ氷室に渡して、二人はソファーに座って飲みだした。
「(氷室様、今日はあなたにお仕えしてとても楽しかった。お客様に仕えてこんな気持ちになったのは初めてです)」
「(あなたにはよくしてもらい感謝しています。しかしここに来たきっかけのことを考えると、少し素直に喜べないんです)」
「(ああ、スコットのせいですね。事情は良く知りませんが、あの人は少し問題児なところがあります)」
「(あなたも大変ですね。そんな人の世話をしないといけないのは)」
「(いえ、却って楽です。仕事として割り切れます。ただあなたのようなお方にお仕えする方が心苦しい)」
「(そこまで気を遣って頂かなくても大丈夫です。普通にお気軽になさって下さい。俺もその方が気が楽です)」
「(そんな恐れ多くも…… しかし私も気持ちが抑えられません)」
「(えっ?)」
 そのとき、バートランが氷室に近づき、そして目をトロンとさせた。
 そして氷室の上に覆いかぶさり、ソファーの上に押し倒した。
「ちょ、ちょっと、ウェイト!」
 氷室は焦った。バートランはゲイだった。
「(氷室様、お許しを……)」
「うわぁ!!」
 氷室は押し倒され突然のことに体の自由を奪われた状態で、バートランに無理やりキスをされてしまった。
 そのとき、氷室の叫び声を聞いたなゆみが目を覚まし、バスローブ姿で寝室のドアを開けて居間にやってきた。
「ひ、氷室さん! こ、これどういうこと!」
 なゆみは見たくもない、見ても恐ろしい光景に出くわしてしまい髪が逆上がる程驚いて顔を真っ青にしていた。
 氷室はバートランに体をのっ掛かられ、唇を重ねている。気が動転してそのままの格好でなゆみと目が合ってしまう。氷室は慌ててバートランを跳ね除 け、心臓をバクバクさせながら、必死に弁解する。
「ち、違う、こ、これは」
「(邪魔が入りましたので、私はこれで)」
 何事もなかったかのようにバートランはむくりと起き上がり、スーツの襟を正して最後はプロフェッショナルに背筋を正して静かに去っていった。
 氷室は凍りついたほど固まり、この世の終わりを見たかのような顔をして魂が完全に抜けていた。
「氷室さん、私もう帰りたい。やっぱり私呪われてるんだ。あーん」
 なゆみは泣き出した。
 氷室ははっとして、なゆみを見つめる。
「なゆみ、ごめん。まさかバートランがゲイだったとは知らなかった。これは事故だ!」
 氷室も泣きたい思いを抱えながら、必死になゆみをなだめようとする。
「俺、ラスベガス嫌いだ。あーん」
 二人は暫く嘆いていた。
 結局この夜も二人は結ばれることなくかなりの傷を心に受けて終わった。
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