Temporary Love3

第一章


「氷室…… さんとか言ったね」
 酒を飲んで少しほろ酔い加減の虎二が声を掛ける。
「は、はい」
 氷室は緊張して姿勢を正し虎二の顔を見つめた。
「あんたはなゆみのこと真剣に考えて付き合っているのか」
 虎二は気難しい顔つきで手に持っていたお猪口を口元に運びぐいっと酒を飲む。
 そうすることで、聞き辛いことを面と向かって言った落ち着かない気持ちを誤魔化すようだった。
「もちろんです」
「それじゃなんでもっとわしに自分を売り込まないんだ。さっきから黙ってそこに座っていたらあんたのことなど何一つわからんではないか。それに料理を食べ ないのも失礼だ」
「す、すみません」
 氷室は謝ることしかできなかった。どんな言い訳もこの人の前では通じない。膝上に置いた手がズボンを握り締める。
「別に謝ってもらわなくてもいい。わしはあんたのことが知りたいだけだ。なゆみがどんな男を好きになったのか父親として気になる。この子は父親のわしがい うのもなんだがほんとにいい子だ。小さい頃からいつも放ったらかしにしてしまい、勝手に自分で大きくなったとわしは思っている。留学したいといったときも 構ってやれなかった罪滅ぼしで好きにさせた。そしてやっと帰ってきたと思ったら真剣に交際している男がいるなんて急に言い出すし、わしも心の準備ができて なくてついあんたにきつく当たったのは悪いと思うが、何も言わない男なら娘との付き合いは歓迎できん」
 氷室の横でスコットがにやりとして、そして虎二のお猪口に酒を注ぎ始めた。
「ちょっとお父さん。氷室さんだってどうしていいのかわからなかったのよ。お父さんだって私の父の前では氷室さんと全く同じだったじゃない」
 竜子が口を挟む。
「うるさい、お前は黙っておれ」
「もう昔から自分のことは棚に上げて頑固なんだから。氷室さんも気にしないでね。ちょっと父親面したいだけなのよ。私はなゆみが選んだ人ならそれで大歓迎 だからね」
「竜子さん、それじゃなゆみが僕を選んでもOK?」
 スコットも参加する。
「いいわよ。それからついでに凌雅君も入れちゃおう。うふっ」
「えっ、俺もですか。なんか光栄だな」
 氷室はつい手の甲を向けて慎めとこそっと凌雅を叩いていた。
 当の話の中心のなゆみはこんな話題になりながらもあまりにも大人しく下を向いて黙っていたので、不自然だとばかりにみんなの注目を浴びていた。
「あら、いやだ、この子こんな大切な席なのに座ったまま寝てるわ。なんて器用な子」
 竜子が起こそうとすると氷室が止めた。
「そのまま寝かしてやって下さい。長時間のフライトで疲れているんだと思います」
 氷室は立ち上がり、自分が座っていた座布団を持ってなゆみの側にいくと、なゆみをそっと抱きかかえて部屋の端に座布団を枕に寝かせてやった。
 うつらうつらとした中でなゆみが気がついて一度薄っすらと目を開けたが、睡魔の強さには勝てずにそのまままた目を閉じてしまった。
 少し冷房が効きすぎて寒くなってはいけないと氷室は自分の背広を脱いでなゆみにかけていた。
 虎二はそれをじっと見ていた。
 静まり返った中では、氷室の取った行動に他の者も口を出せずその場で見ているだけだった。
 スコットは悔しそうな顔つきで気に入らないとぐっと酒を口に放り込む。
 氷室がまた席に戻ると、座布団がない場所に座り虎二に視線を向ける。
「数々の無礼をお許し下さい。確かに自分が年を取り過ぎ不釣合いなのは私も気にしているところです。しかしなゆみさんには色々と勇気付けられ、挫折してい た事から救われました。常にやる気にしてくれる彼女が私にはこの先も必要なのです。私はなゆみさんを愛しております。必ず幸せにすると誓います」
「まあ、そこまでなゆみのことを。なゆみもこれだけ思ってもらえてたら幸せだわ。お父さん、もういいじゃない。これから先のことは二人に任せたら」
 竜子はドラマを見ているような気分で、うっとりとしてこのシチュエーションを楽しんでいた。
 それとは対照的に虎二はぐっと腹に何かを溜め込んで黙っていた。氷室が自分の言葉を待っているのがわかると、時間稼ぎのように酒を無理やり口に運んでし まう。
「ちょっとマッテ下さい。僕もなゆみが大好きです。ヒムロにはマケません。なゆみは僕が幸せにする」
 スコットが宣戦布告をするようにライバル心をむき出しにした。
 氷室はスコットの言葉などどうでもいいとばかりに虎二の反応だけに集中する。暫く虎二を見つめて真剣な気持ちをぶつけていた。
「あら、今度は三角関係ね」
 竜子は暢気なことを相変わらず言っていた。
 このとき凌雅は氷室のやり取りを見て険しい顔つきになりながら、体に溜まった力を発散するようにぎゅっと拳を握った。
 氷室がそこまでなゆみに対して真剣な気持ちをぶつけている姿を複雑に見ている。なぜかまた兄に敵わない部分を見せ付けられているようで息苦しい。
 なぜこんなときにそのように思うのか、このとき凌雅は自分の心の中で抑えていた感情がとうとうはじけ飛んでしまった。
 そして虎二は腹をくくり氷室を見つめた。
「氷室さん、まずは飲みたまえ」
 虎二は言葉を濁すように徳利を持ち上げて力強く氷室に向けた。
 氷室はお猪口を手に取り堂々と手を伸ばしそれを受ける。そして注がれた酒をぐっと飲み干した。
 今度は氷室が息を呑むように徳利を持ち上げ、もてる限りの気持ちを虎二にぶつけるように向けると、同じように虎二も受け入れそれを飲み干す。
 虎二はその後黙り込んで一言も話さなくなり、目の前の料理を食していた。
 氷室も箸を手にして黙って食べだした。
 スコットは次の作戦を練るかのごとく、眉間に皺を寄せ考え事をしているようだった。
 急に静まり返ってしまって竜子は落ち着かなくなる。
「帰ってきた本人は寝てるし、うちの人は頑固だし、皆さん迷惑かけてごめんなさいね。でもここの料理美味しいわね。スーさんもここへ連れてきてくれてあり がとう」
「でも虎二さんの料理の方が絶対オイシイです。これおセジじゃないですから。ホントーですから」
 虎二はスコットの言葉が嬉しいと一応愛想程度の笑いを返していた。
 そして虎二が立ち上がりトイレに行くと、スコットも一緒に席を外した。
 スコットは虎二の氷室に対する反応が気になって仕方がない。何かと本音を探ろうと様子を伺っている。
 二人が居ないことをいいことに竜子は氷室に本心を伝える。
「氷室さん、うちの人のこと許してやって下さい。ふてぶてしく頑固で扱いにくいですけど、氷室さんのことはちゃんと認めてますから」
「でもあまりいいように思われてないのが申し訳ないです」
「いえ、違うんですよ。かなり気に入ってますよ」
「えっ? そんな風には全く見えませんでしたが」
「私にはわかるんです。長年の付き合いですからね。あの人も娘のことだけにどこか父親面したくて、気に入っていながらそれを素直に認めることができないん ですよ。なにせプライドが高いやっかいな頑固親父ですから。だから言葉の代わりに酒を勧めたでしょ。あれがあの人の本音です。宜しく頼むってことなんです よ。氷室さんもあの人に酒を注ぐときどういう気持ちでそうしましたか?」
「えっ、それは、確かに意気込んで覚悟を決めるような気持ちでした。認めてもらいたいそんな願いが入ってたかもしれません」
「でしょ。あの人も同じでした。氷室さんに何かを期待する気持ちが入ってました。ただ不器用だから言葉に表せなかったんです。そのうち様子を伺ってきっと あの人から何 か言ってくると思いますよ」
 竜子は優しい微笑みを氷室に向け、そして後ろで寝ているなゆみを見つめた。そこには母親として娘の成長を喜んでいながらも、これから巣立っていく寂しい 気持ち が瞳から読み取れるようだった。
「氷室さん、こんな娘ですけどよろしくお願いしますね」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
 氷室はまたかしこまってしまった。
「弟の俺から言うのもなんですけど、兄はこう見えても頭はいいし、器用で才能もある男なんです。俺が常に目標としていて、超えたくても超えられない存在な んです」
 凌雅はポツリとこぼした。
「あら、弟の凌雅君がそう思うくらいならできたお兄さんなのね。でも凌雅君もお兄さんに全然引けをとってないわよ。だってどっちもかっこいいんですもの。 あっ、 なゆみに聞かれたらまた怒られそう」
「ナユのお母さんって面白いな」
「凌雅! 失礼だぞ」
 氷室が調子に乗るなと牽制する。
「いいのよ。そういわれる方が嬉しいわ。凌雅君はナユって呼んでくれてるのね。そう言えばこの子の名前付けるときあの人と揉めちゃって、結局私が負け ちゃった」
「お母さんはどんな名前をつけたかったんですか」
 そういえばそういう名前の話をしたことを氷室は思い出した。
「あの人が虎二で虎が入って、私が竜子で竜が入るから、そこでそういう動物が入った名前にしたくて、考えたのがキリン」
「えっ、キリン?」
 氷室も凌雅も驚いた。
「首の長い動物じゃないわよ。伝説の動物の麒麟の方よ。だけどさすがにそれはだめって言われちゃった。どうしても首の長いキリンみたいにきこえるからっ て」
 なゆみが麒麟という名前だったらと思うと氷室はなんだかおかしくなってしまった。
 必死に笑いを堪えていたが、壷にはまり込み我慢できずに大笑いしてしまう。
「おい、兄ちゃんこそ失礼だろうが」
「あら、そんなに笑うなんて。やっぱりつけなくてよかったわ。お父さんは正しかったのね」
 氷室が大笑いしているのが面白く竜子も釣られて一緒に笑っていた。
 その笑い声になゆみがむくっと起き出した。
「ん? 何を皆で笑ってるの?」
 眠い目を擦り、目がとろんとしてぼけていた。
「なゆみの名前についてよ。麒麟ってつけなくてよかったって話」
「やだ、お母さん。なんでそんな話になってるの。あれ? お父さんとスコットは?」
「トイレよ」
 なゆみは起き上がり、体に掛かってあった背広を手にして氷室の側に行った。
「ありがとう、氷室さん。寝ちゃってごめんね。どうしても強い眠気が襲って気を失っちゃった気分。でもこれでちょっとすっきりした」
「気にするな。どうせ飛行機の中で寝られなくて時差ぼけだろ。それにお陰で当人抜きで腹を割った話ができたよ」
「何? 何の話?」
「こっちの話」
 氷室はなゆみに話すつもりはなくはぐらかした。
 なゆみは何度と催促するが、埒が明かず、凌雅と竜子にも問いただしたが教えてくれなかった。
 大声で笑った後、虎二も居ないことで氷室は暫しリラックスしていた。話も弾み談笑も続く。
「あら、お父さん達遅いわね。でもお父さん大丈夫かしら」
 竜子が口を滑らせてしまったことにはっとして慌てた。
「どうしたの。なんかあるの?」
 なゆみが怪訝な顔をする。
「えっ、な、なんにも」
 それがわざとらしくはぐらかそうとしたので、なゆみはすぐに嘘だとわかり責め立てる。
 竜子は嘘をつき通せないと観念して話し出した。
「あのね、実はなゆみには黙ってろっていわれていたんだけど、お父さん最近医者にかかってて、今度精密検査するの」
「えっ? どこが悪いの?」
「それがわからないのよ。ただわき腹辺りをいつも抑えていて、怪しいから検査するの」
 なゆみはショックで黙ってしまった。そう言えば父親と久し振りに会ってなんだか痩せたように見えた。
 嫌な病名が頭に浮かぶ。
 氷室も驚きなら、それでもどうにかしたいとなゆみの肩を抱く。
「なんですぐに教えてくれなかったのよ」
「心配するとわかってたから留学中のあんたには教えられなかったのよ。でも大丈夫だから。この事ははっきりするまでお父さんに黙ってて。氷室さんも聞かな かったことにしてね。バレたら私どやされるわ」
「お母さん、なんでいつもそう暢気なのよ」
「だって絶対大丈夫だって信じてるからよ。とにかくこの事は本人の口から出るまで言っちゃ駄目よ。あの人切れちゃったら、なゆみと氷室さん別れさせられる かもよ」
 最後は脅しだった。
「お母さん!」
 なゆみはもちろんだったが、氷室もその言葉の威力には充分効果があった。
 凌雅はただ側で圧倒されたように聞いていた。
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