Temporary Love3

第三章


 大荒れの天気を見ているだけでも不安になってくるというのに、凌雅に無理やり車に乗せられ怖い表情を見せられると不必要なほどに懸念が湧き起こり、なゆ みは凌雅の隣で体を強張らせて緊張していた。
 前を見れば、ワイパーが速い速度で殴りつける雨を振り払おうとフル回転して左右に動いている。
 なゆみの心臓も同じリズムでドクドクと動いていた。
 カラオケに一緒に行ったときは凌雅の気遣いが心に沁みるほど嬉しく、テンポのある会話でノリもよくて楽しいものだった。
 それが一転して凌雅は気難しい表情になり、時折なゆみを見つめる目が『マジ』という強い差込みを感じる。
 そんな時、なゆみはぶるっと震えて寒さを感じた。
 車のエアコンが効き過ぎて、服が濡れているせいだけではなさそうだった。
「寒いのか?」
 凌雅が気遣ってエアコンを弱める。
「うん、ちょっとだけ。でも大丈夫。ねぇ、凌ちゃん、家にはご両親がいらっしゃるんでしょ」
「父親は今日も仕事。母親は買い物で出かけている。家には誰もいない。だから安心しろ」
 両親がいないのなら、尚更なゆみは心配になる。
 氷室抜きで実家に入ったとしても、凌雅と二人っきりは変なシチュエーションであり、更にこの時の凌雅の様子がおかしいとなると、安心しろと言われてもさ すがになゆみの内心は穏やかでいられない。
 またしつこく頼んでみる。
「凌ちゃん、お願い。近くの駅で降ろして」
「ナユ、俺が来いって言ってんだからいいじゃないか。今日は俺に付き合えよ。たまには年相応の男と一緒にいてみろよ。兄ちゃんより楽しませてやるか ら。絶対俺の方がいいって思うって」
 もしこの台詞を笑って言われていたらなゆみは冗談と見なしたが、凌雅の顔は笑っていない。
 これはさすがに怖くなる。
「ちょ、ちょっと待って。そんな、私、ええー? 凌ちゃん、どうしたの? なんか様子が違うんだけど……」
 なゆみは慌ててしまい、言葉も支離滅裂になってしまった。
「おい、落ち着けよ。こんな雨の日だから二人で楽しめばいいじゃん」
 凌雅は運転しながら、突然なゆみの手を握ってきた。
 なゆみはビクッとしたが、一度強くぎゅっと握り締められた後、凌雅がすぐに手を離したので、どう受け取って良いのか困惑していた。
 凌雅はその後もなゆみの濡れた髪に触れたり、頭をくしゃっと抑えたりと触りだしてきた。
 だが「まだ濡れてるな」や「寒くないか」と心配の言葉も添えるので、嫌とも言えずになゆみはされるがままの状態だった。 
 車の中のような狭い空間で、凌雅と二人っきりでいることに落ち着かず、また体が濡れているために益々寒さも感じ、いろんな意味で震えが伴う。
 なんだか胸騒ぎを覚え、心にも台風が発生した気分だった。

 凌雅が連れて来たところには、大きな日本風の家が建っていた。
 立派に構えた門から玄関が一般の家と比べると遠い。その間に小さいが日本庭園があり、お寺に来たような雰囲気が漂っていた。
 雨風の中、金持ち風の家にびっくりしてなゆみは傘を持って家を見上げながら突っ立っていた。
「ここ、氷室さんのご実家なの?」
「そうでもあるし、俺の家でもある。まあ入りな」
 なゆみはビクビクしてしまう。
「やっぱり、遠慮しておく。氷室さんが居ないときに、勝手にご実家には上がれない。私の立場もわかって、凌ちゃん!」
 確かに氷室抜きで実家に上がるのは抵抗があったが、この時は凌雅の態度にも不安を感じていた。
「何言ってるんだ。もうここまで来てしまっただろ。こんなに雨が降ってるんだ。もたもたするな。俺までずぶ濡れるだろうが。ほら早く」
 凌雅は引っ張って玄関へ連れて行く。
 なゆみはじたばた抵抗して逃げようとしていた。
「何してるんだよ。遠慮はいらないって言ってるだろ。往生際悪過ぎるぞ!」
「だって、凌ちゃん!」
 なゆみは叫んでしまう。
「おいっ、大きな声出すなよ。俺が無理やり連れ込んでるみたいだろうが」
「そうじゃないの。これ無理やりだよ。私ほんとに困ってるんだけど」
「そしたら、今日は兄ちゃんのこと忘れろ。俺が絶対忘れさせてやるから」
「ちょっと、何を言うのよ。それにそんなのできない」
「できる!」
 凌雅もムキになる。
 凌雅の強引さは無理がありすぎた。なゆみも訳がわからずに反発するくらいしか対処が浮かばない。二人は暫く玄関先で揉めていた。
 凌雅はしっかりとなゆみの腕を取ったまま、もう片一方の手で玄関を開けようとポケットから鍵を出していると、玄関が突然開いて驚いた。
 母親の敦子が顔を出し、その姿に凌雅は露骨に嫌な顔をした。
 敦子は気を遣い、弱弱しく微笑む。
「玄関で声がしたので、何かあったのかなと思ったの。あら、お客様?」
 敦子はなゆみをじろじろと見る。なゆみは初めて見る敦子に驚いて直立不動になっていた。
「なんだよ、出かけてたんじゃないのかよ」
 凌雅が不満そうに悪態をつく。
「台風が近づいて雨が強くなってきたから今日は戻ってきたの。それで、その方はどなたなの?」
 なゆみは背筋を伸ばし緊張して、深々と礼をする。
「どうも初めまして。斉藤なゆみと申します。そのあの」
 氷室の恋人であることを自分の口から言っていいものなのかなゆみには判断ができず、語尾がしどろもどろになった。
「誰でもいいじゃないか。あんたの知ったこっちゃないだろ」
「ちょっと、凌ちゃん、お願い、ちゃんと紹介して。じゃないと私、困る」
 なゆみはうろたえた。
 ここで兄の恋人と凌雅が伝えてくれたら、まだ自分で言うよりかは救いようがあった。
 敦子はなゆみのうろたえた様子を見てにこりと微笑んだ。
「そう、凌雅の彼女なのね。ごめんなさいね。そんなこともわからなくて」
「えっ、その、あの、ちょっと、待って、あの、わ、私は」
 なゆみはこの上なく慌てて、言葉がはちゃめちゃになってしまう。
「遠慮はいりませんから、どうぞおあがり下さい。なゆみさんでしたね。凌雅の母の敦子です。凌雅がお世話になってます」
「いえ、そ、その、こちらこそすごくお世話になってます。でも、わ、わ、私は」
 凌雅は急に気分がよくなり、この状況を楽しんでニヤリと笑う。
「ナユ、さあ上がれよ」
「さあ、なゆみさん、遠慮なくお入り下さい」
 敦子も凌雅に合わせて笑顔を添えて歓迎する。
 なゆみは母親から言われるともう避けようがなく、成り行き上、家に入ってしまった。
 そして目に入ったものに圧倒される。
 玄関も一つの部屋のように広々としてでかく、所々には装飾の壷やら置物があり、真正面に広がる床や廊下の板がつやつやとして光沢を帯びていた。
「お、お邪魔します」
 靴を脱ぎ整えて、なゆみは敦子に用意されたスリッパを履いて上がってしまった。
(氷室さん、ご実家に来ちゃいました。どうしましょ)
 なゆみがおどおどとしていると、敦子は気を遣って優しく笑顔を向けて雰囲気を良くしようと貢献していた。
 しかしすぐに凌雅をちらりと見て、これでいいかと確認を取っている。
 凌雅の機嫌を取ることの方が敦子には大事だった。
 凌雅は敦子に冷たい目つきを突きつけて「俺達の邪魔すんなよな」と伝える。
 敦子は凌雅の言い成りのまま素直に言うことを聞いて頷いた。
「ええ、わかったわ。それじゃなゆみさん、ごゆっくりして下さいね」
 そしてにこっとなゆみに微笑んで家の奥へと入っていった。
 なゆみはおろおろしたままその場で立ち竦む。敦子が見えなくなると凌雅の服の裾を引っ張った。
「ちょっと、凌ちゃん、なんでちゃんと紹介してくれなかったのよ。お、お母さん、ご、ご、誤解している」
「いいんだよ、それで」
「いいことないじゃない」
「じゃ、自分で言えばよかったじゃないか」
「そ、そんなの、自分で言えないよ。だって氷室さんのお母さんでもあるんだよ。初めて会って、氷室さん本人抜きで、自ら『氷室コトヤさんの恋人です』なん てどうやって言え るの よ。こういうものは順序というのがあるでしょ。こっちの立場も考えてよ。どうしよう」
「母親って言っても兄ちゃんにとったら血の繋がらない継母だぜ。そんなに気にするほどでもないよ」
「気にするよ…… は、はくしょん」
 突然なゆみはくしゃみをしてしまう。
「おいおい、大丈夫かよ。とにかく風邪引いたら大変だ。着替えた方がいいな。俺の部屋来い」
 なゆみは家の中に入ってしまったのでもう逃げられなくなった。キョロキョロしながら凌雅について行く。

 二階の凌雅の部屋に案内される。
 氷室のマンションの部屋と違って男の部屋らしく、雑誌や、脱いだ服、そしてゴミなど床にちらかっていた。凌雅は恥ずかしがることもなく、適当に散らばっ てい たものを端によせ、そして箪笥か ら自分の暖色系のチェックのシャツを取り出してなゆみに渡した。
「ほら、これに着替えろ。濡れた服のままだと風邪引くぞ」
 そして一度部屋から出て行った。
 なゆみは凌雅のシャツを持って落ち着かずその場に佇み、くしゃみがまた出ると身震いしてしまった。仕方なく渋々と服を着替えた。
 凌雅のシャツはぶかぶか、丈も長く、ショートパンツを穿いていたが、それまですっぽりと包み、なゆみはシャツだけ纏ったような姿に見えた。
 凌雅が再び部屋に戻ったとき、その姿にドキッとしていた。
「ナユ、ショーツ穿いてるだろうな」
「もちろん穿いてるわよ。シャツが大きくてこんなになったの」
「そっちの濡れた服、ここに掛けとくといい」
 ハンガーになゆみの服を通して、それを凌雅が窓際に引っ掛けた。
「ねぇ、氷室さんと、連絡取りたいんだけど、もう一度電話して」
「さっき、ナユが着替えてる間に電話掛けてきた。今忙しくて、用事が終わったら掛けなおすってさ」
 もちろん嘘だった。
「そう、わかった」
 なゆみはしょぼんとする。
「とにかく座れよ。俺が今からギター演奏してやる。聴きたいって言ってただろ」
 凌雅は部屋の隅に立てていたギターを持ち出してベッドに座った。
 なゆみは全てを諦めて、大人しく絨毯の床の上で三角座りをする。
 そして凌雅のやることをじっと見ていた。
「じゃあ、俺が作った曲、聴いてくれ」
 凌雅が粋な笑みをなゆみに向けてウインクした。
 なゆみもここは手を叩き、待ってましたととりあえずはしゃぐ。いつもと雰囲気が違うため、凌雅の機嫌を取ることに走ってしまった。
 そして凌雅の指先がギターの弦を揺さぶらすと、なゆみは息を飲んだと同時に鳥肌が発生する。
 音が軽やかに伸びて心地よく、その一方で弾きのかかった音がスパイスのようにキリッと際立っている。
 それが交わって聴こえるとうっとりと聴き惚れてしまった。
 凌雅はそんじょそこらのレベルじゃなかった。確かに上手い。
 なゆみは才能を持った人間には本当に弱かった。
 それだけで凌雅を見る目が変わった。
 ギターを演奏してる凌雅は得意気になっているが、時折見せる目に音楽が好きというのが良く現れている。その時ばかりは真剣な目つきだった。
 演奏が終わった後はなゆみは惜しみない拍手をして、尊敬の眼差しで凌雅を見つめていた。
「凌ちゃん、すごい。ほんとにすごい。かっこいい。才能あるよ。やっぱり氷室さんの弟だ。あっ、ご、ごめん」
 前回これを言って凌雅が気分を悪くしたのを思い出し、なゆみは慌てて口を押さえていた。凌雅の聞きたくない言葉をまた言ってしまった。
 凌雅はギターをベッドの上に置き、そしてため息を一つついた。
「ナユ、俺と兄ちゃんは全然違うんだぜ」
「ごめん、もちろんわかってる。なんていうんだろう、言葉のあやというのか。とにかくごめん」
 手を合わせて謝っていた。
「そこまで謝られたら余計に辛くなる」
「だけど、どうしてそんなに気にするの?」
「なんだか悔しいんだよ。兄ちゃんは俺の前ばっかり歩いて、俺はいつも比べられてしまう。兄ちゃんのデキがよすぎるんだ」
「そんなことないよ。凌ちゃんだってすごい才能持ってるよ。うちの母だってすごくかっこいいって気に入ってるじゃない」
「ナユのお母さんは確かに俺のファンだな」
 凌雅はくすっと笑う。
 凌雅の機嫌が良くなり、なゆみも少し安心して一緒に微笑んでいたが、凌雅はそれで済ますまいと突然牙を向けた。
「それじゃナユも兄ちゃんより俺の方を向いてくれよ」
「えっ? それは……」
 凌雅はベッドから立ち上がり、なゆみの座っている床へと移動した。
 そして四つんばになって顔を思いっきり近づける。
「なんで俺じゃだめなんだ」
 急に真面目な顔つきで迫ってくる凌雅になゆみはたじたじになった。後ろに反れるが、そこはすぐ壁で逃げられない。
「凌ちゃん…… ちょ、ちょっと待って。からかうのはやめて。これはちょっとやり過ぎ」
「からかってなんていない。俺は本気だぜ。この間もそう言ったはずだ」
「凌ちゃん、私には氷室さんがいるの」
「だから言っただろ。俺が兄ちゃんを忘れさせてやるって」
 凌雅は手加減なくなゆみに近づき、なゆみは壁にへばりついて、首をぶんぶん左右に振る。
 凌雅はにやりと微笑み、首を傾けてキスをする準備に入っていく。
「ちょっと、凌ちゃん」
 なゆみは跳ね除けようと手が出たが、凌雅に両腕を捕まれ絶対絶命──。
 腕を持たれたまま壁に押さえつけられてしまう。
「さあ、もう諦めな。ついでに兄ちゃんのことも忘れろ」
 凌雅は容赦なくなゆみに迫っていった。
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