Temporary Love3

第四章


 そしてその土曜日。
 スコットの紹介で訪れたアルバイト先は、イベントホールにわんさかと人が集まり、熱気でごった返していた。
 そのイベントの目的は、各ブースで新商品や会社名を売り込み、契約をその場で交わしたりと積極的に周りの人間を取り込んでは、会社の宣伝をすると言うも のだった。
 なゆみもその一角で何人かのイベントスタッフと混じっていたが、会場に群がる大勢の人間や、各企業の派手な宣伝を見て、別の世界へ飛ばされた気分になっ ておどおどしていた。
 周りは美人な女性が多くて気が引けるのもあったが、このイベント用に用意された服が最も恥ずかしい。
 何かのコスプレかというくらいアニメのキャラクターっぽく、露出気味で、隠しているのは胸と腰からおしりくらいの範囲だった。
 このイベントの責任者というべき男性が、スタッフを集め声を掛けた。
 釣りあがった目できつく一人一人をじろじろと見ていた。
「それでは、会社に恥じない行動をして下さい。アルバイトだからといって、いい加減な気持ちでは許されません。雇われている間はこの会社の一員と肝に銘じ て貰わなければいけません。わかりましたか?」
 全てのものは「はい」と切れのよい声を出した。
 なゆみも気が引き締まった。おどおどしてても仕方がないと、この二日間やるだけのことはやらなければと背筋を伸ばした。本来の姿が蘇る。
 手にパンフレットを持ち、そしてブースを訪れる人に笑顔でそれを渡し、興味がある人がいれば積極的に担当スタッフの所へと案内してた。
 何も難しいことはないと、とにかく売り込もうとせっせと働いた。
 側に居たストレートの長い茶髪の女性が、冷めた目つきでなゆみを見て話しかける。
「あんたさ、バーゲンセールじゃないんだから、そんなガサツに動かないでよ」
「あっ、すみません。初めてなもので」
 その女性はなゆみに敵視するような目を向ける。
 なゆみはたった二日間だけだと言い聞かし、一生懸命笑っていた。またそれが気に入らなかったのかふんとそっぽを向かれた。
 自己紹介もしないまま、その女性の名前がわからなかったのでなゆみは勝手にA子と名づけた。
 A子はこういう仕事に慣れているのか、立ち回りも手を差し伸べるしぐさも、見事に絵になる優雅なスタイルで、一緒に雇われた中で一番美しくエレガント だった。
 なゆみもそれなりにかわいかったが、周りの女性と比べるとオーラが全くなかった。良いように言えば素朴だが、このような派手なイベントの中では粗野がに じみ出て素人丸出しだった。
(お金のためとはいえ、スコットの誘いにのるんじゃなかった。すごく惨め)
 なんとなく周りのイベントスタッフから笑われているような被害妄想まで感じ、それでも二日間だからと必死で笑顔で対応する。
 時々、艶のあるつい立に映り込んだ自分の姿を見て、はっとして恥ずかしくなってくる。
 それでも負けちゃだめとぐっと体に力を入れて踏ん張った。そのために余計にカチコチになり、またA子に突付かれていじめを受けてしまった。
 頑張ろうとすればするほど落ち込んでいきそうで、なゆみもこのアルバイトだけは自分が場違いなところに来ていると居心地悪かった。
 何度もA子にぶつかられて邪魔扱いされていたが、外国人客が来たときは違った。
 周りのものが英語に消極的になるのに対し、なゆみは自ら積極的に近づき流暢に言葉を話す。
 そのときだけは堂々として、ついでに嬉しくなって生き生きする。英語を話すとなゆみの声も、態度も変化していた。
 これで自分がここにいる意味を得たというくらい、なゆみも自信がつく。
(よし、できる!)
 そう思ったのも束の間、A子が近くに寄ってきて「なんかえらっそう」とちくりと針をさしたように呟いた。
 なゆみはもうこれで完全に嫌われていると察すると、却って気が楽になったように思えた。
 なゆみは自分の思うまま仕事だけしっかりすればいいと自分の持ってるものを全て晒すように働く。
 A子が敵意を持とうと、お構いなしに持ち前のチャレンジ精神で堂々と仕事をやり遂げる。
 土曜日はそれでなんとか乗り越えた。
 しかし家に戻った頃にはどっと疲れていた。働くのも久し振りだったこともあるが、全く知らない世界で肌を露出し、意味もなく知らない人から嫌われて働く のは精神の消耗も早かった。
 氷室に電話をしようと思ったが、明日会うからとその日は早めに寝ることにした。
 少しでも体力の回復をしておかないと次の日持たない。
 仕事が終われば、アレも待っている。
「大丈夫なんだろうか」
 そのことを考えると、いろんな意味でなゆみは不安になる。
 そしてこの土曜日、氷室に何かが起きているとも知らずに、本を手にしながらベッドに潜っていた。

 その同じ土曜日、氷室の場合は時々時計を見つめ、なゆみが仕事をしている頃だと想像しては、事務所で自分の仕事をこなしていた。休日出勤だった。
 夕方が近づいたとき、氷室の仕事も一段落し、やっと終わったと背すじと腕を伸ばしていた。その時、携帯電話が鳴った。
 見れば、懐かしい名前が表示されていた。それを見るとつい鼻で笑って受話器を耳に当てた。
「よぉ、久し振りじゃないか、純貴。元気か」
「コトヤン、久し振りだね。こっちは元気でやってるよ。そっちこそ、その後調子どうなんだ? 斉藤さんと上手くいってるのか?」
「ああ、お陰さんでな」
「時々、斉藤さん連れて店に顔出せよ。といってもあの時のメンバーは川野主任くらいしか残ってないけどな」
「遠慮しとくよ。純貴は、奥さんと上手く行ってるのか?」
「ああ、なんとか首の皮一枚で繋がってるって感じかも」
「そっか、許してもらえたんだな。だけどなんか用でもあったのか?」
「今日は、同窓会の日だけど、コトヤン出席するのかなって思って」
「えっ? 今日だったのか」
「その分じゃ、興味なしって感じだな。なあ、一緒に行こうぜ。当日参加もオッケーだぜ。久し振りにみんなの顔見るのもいいじゃないか。今からなんか予定あ るのか?」
「別にないけど」
「だったら、来いよ。俺もコトヤンと久しく会ってないし、昔に戻ってバカ騒ぎしようぜ」
 氷室は少し考えたが、純貴が行くと聞いて、久し振りに仲間の顔を見るのも悪くないかもと承諾した。
 
 同窓会は都市の中心部にあるホテルが会場となっていた。
 会場の部屋に向かえば、入り口付近で大きくでかでかと懐かしい高校の名前が書かれたボードが目に飛び込んだ。
 そして受付付近には、この同窓会の主催者となった元生徒会長ともう一人余り良く知らない女性が立っていた。
 元生徒会長とはそんなに親しくなかったが、面識くらいはあり、お互い顔を見合わせると「おー」と驚きの声が漏れた。
 当時は友達でもなかったのに、時が経てば同じ時代を過ごしたよしみから、急に親しみが湧き言葉を交わす。同窓会とは懐かしさだけで急に誰とでも親 しくなれ る場所だった。
 その隣に居た女性もひっきりと話しかけてくるのだが、残念なことに氷室は全く覚えてなかった。
 しかしバレンタインデーにこっそりと机の中にチョコレート を入れただの、憧れてただのといわれ、今更暴露されても困ると苦笑いになってはその女性から一歩引いてしまった。
 氷室が独身だと知ると、懐かしさから厚かましさに変わってしまい、携帯の電話番号の交換をしようと自分の携帯を出そうとしたので、氷室は逃げるように会 場の中に入っていった。
 中に入れば、部屋の一角に豪華に飾られた食べ物が目に入り、立食パーティの用意がされていた。
 そしていい年になった昔のクラスメート達が散らばって色んな人たちと思い思いに話している。
 知ってる顔が結構いたので、氷室は辺りを見回していた。
 純貴はもうすでに会場入りをしていて、氷室の姿を見つけると側に寄ってきた。
「コトヤン!」
 大きな声で呼ばれると、皆が振り返る。女性達は特にひそひそ話でもするように、氷室に注目して何かを話していた。
「純貴、久し振り。お前とは一緒に働いてたから見慣れてるけど、周りのものは随分会ってないからある程度の変わりぶりに驚かされるよ」
「まあな、全員が33,4だろ。ほとんどは結婚して子供もいるだろうし、もういい加減、おじさん、おばさんだ。でもコトヤンはまだ独身だからな。その分な ん か他の人より若く見えるな」
 そこへ、懐かしい仲間が次々集まってきた。
 氷室も久し振りの再会で感情を揺さぶられ、無意識に顔がほころぶ。
 また後ろから声を掛けられる。
「氷室君、久し振りね。相変わらず、いい男ね」
 体の線のメリハリが目立つフィットした白いスーツを着こなし、高いハイヒールを履いて、長いストレートの髪の女性が見下ろすようにそこに立っていた。
 口元を軽く上げて微笑むと、年を重ねた色気がでている。この同窓会で集まった女性達の中で一番堂々として凛としていた。
 小山未紅。高校時代に氷室と仲がよかった女性だった。
「おお、小山じゃないか。久し振り」
 氷室はまた笑みを浮かべた。
「オーマイゴーッド! 小山未紅。我らがマドンナ!」
「谷口君、相変わらずね。お調子者のところは変わってないわね」
「いや、そうでもないぜ。これでも会社の専務だぜ。一応それなりに責任感のある立場でしっかりしてるとは思うんだけど。それにしても小山は相変わらず麗 しゅうございます」
 純貴は片膝を床につき、ナイトのように大げさに礼をした。
「おい、純貴、やめろよ」
「いいのよ、氷室君。久し振りに気分がいいわ。谷口君はいつも女王様扱いしてくれたもんね」
「だって、俺、小山に惚れてたもん。でも小山は絶対に誰とも付き合わなかったよな。あんなにもててたのに」
「そうね、あの頃は確かに硬かったかも。私とは対照的に氷室君は色んな人と次々に付き合ってたわね」
「おいっ、そんな昔のこと今頃穿り返すなよ。あのときはなんか俺もガキだったんだよ」
 氷室は耳が痛いと渋い顔つきになっていた。
「あら、今も変わってないんじゃないの? 相変わらずのプレイボーイ?」
「ノンノン、コトヤンはすごく変わったよ。ぞっこんに惚れ込んでる彼女がいるんだぜ」
「純貴、俺のことはほっといてくれ」
「ふーん、彼女ということは、氷室君まだ独身なのね」
 未紅は腕を組んでふてぶてしく笑みを浮かべて答えていた。
「小山は結婚してるのか」
 氷室が聞いた。
「残念ながら行き遅れ。でも仕事が恋人っていうところ。今の生活はすごく充実してるの。これでもキャリアウーマンとして役職についてお給料も結構貰って頑 張ってるの よ」
「そっか。小山はしっかりしてたからな。見掛けは女でも、中身は男みたいに気さくだった」
 男みたいと言われ、気に入らないのか未紅の表情に陰りが表れる。
「なんだ小山はまだ独身なのか。だったら俺もっとあの時アタックしとけばよかった。今からでも遅くないかな」
「純貴、変なこと考えるなよ。お前には前科があるからな。奥さんのこと考えろよ」
「わかってるよ。時々葛藤するんだけど、なんとか乗り切ってるよ」
「だけど、氷室君がぞっこんの彼女ってどんな感じの子なの? 興味あるな。氷室君、あのとき寄って来る女の子なら誰でも付き合って、自分から好きになった こ となんてなかったでしょ」
 教壇に立つ厳しい先生のように腕を組んで鋭く指摘する。未紅はなんでもお見通しだったと言いたげだった。
 氷室は過去の女性遍歴の話をされるとすごく居心地悪くなる。忘れたい自分の汚点であり、なゆみには絶対聞かせたくない話だった。
 しかしなゆみはそれなりにもう知っている。見てみないフリをされていることを氷室は知らなかった。
「それがさ、一回りも年下のかわいい子なんだ。斉藤なゆみちゃんっていうんだよな。コトヤン」
「純貴、いい加減にしろよ」
 注意をしていても、なゆみの話題になると自慢したいくらいに氷室はにやけていた。
 未紅はそんな氷室の顔から彼女に惚れている気持ちを読み取った。
「ふーん、そんな年下に恋してるなんて、氷室君もほんと変わったのね」
 氷室のにやけついた顔など見たくないと未紅はふと目を伏せた。
「当時は、コトヤンと小山がお似合といわれていたのに、絶対お前達付き合わなかったよな」
 純貴は昔の二人の姿を思い出していた。
「当たり前でしょ、氷室君は傲慢で自信過剰だったし、うまくやっていける訳ないじゃない。どんなに私が好きだったとしても……」
 未紅の瞳はまどろんで氷室を再び捉える。そこには悲しみが込められていた。
 氷室は愛想笑い程度にフーっと鼻から息を漏らした。だが未紅からの視線を感じて目が合うと、未紅の寂しげな瞳を見て笑みが消えた。
 そして二人は遠い昔のことを思い出してしまった。
 氷室はそのことに触れられたくないと、目を逸らしてしまう。
 ちょうどその時、他の懐かしい仲間が割り込んで、歓喜が飛び交った。
 氷室はすぐに心の入れ替えができたが、未紅は思い出してしまった氷室とのある過去の記憶のために心囚われてしまい、すぐには気持ちが切り替えられない。 少し後ろに下がって楽しく仲間と語り合う氷室を暫く見ていた。
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