第五章
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考えれば考えるほど、なゆみには全くどうなっているのかわからない。
またその晩も、氷室の助言が欲しくて電話した。
なゆみは第三者の目から見ればどう思うのか聞きたくて、これまでのことを氷室に言ってしまった。
しかし氷室は考え込むように黙ってしまい、そして声を出したとき、ため息も一緒に漏れていた。
「なゆみ、首を突っ込むな。それはお前には関係ないことだ。これ以上変な問題を抱え込むな」
「でも、私が身に覚えのない書類の紛失や、課長と部下の対立、そしてアルバイトで知り合ったコンパニオンの『気をつけろ』という忠告、これだけ揃うと絶対
何かあるって思えて解決したくなります」
「しかしだな、それが危険なことに結びついたらどうするんだ。お前は変なことに巻き込まれやすいんだから、俺は心配だ」
と言いつつも、氷室はメモを取り、なゆみの情報を整理していた。
「わかりました。気をつけます。ところで今度いつ会えますか?」
「そうだな、明日の夜、仕事が終わってから一緒に飯でも食いにいくか」
「氷室さん、疲れてません?」
「心配かけたがもう大丈夫だ」
この先の土日もアルバイトをするために、会える時に会わなければと氷室は無理をしていた。そしてそのアルバイトの話はまだなゆみには言えなかった。
その日は次の日会う約束をして電話を切ったが、なゆみの頭ではまだ色々と議論がされている。
色々と考えた末、やはり怪しいのは五島であり、出世を狙っているために未紅を課長の座から追い出そうとしているのではないかと考えていた。
なゆみはふと鈴木部長のことを考える。入ったばかりでまだ何もわからない自分に、二度も未紅と五島のことをどう思うかと聞かれるのも不思議だった。
そこでスコットに電話してみた。
スコットなら鈴木部長から何か聞いてるかもしれない。
「(もしもし、スコット。なゆみです)」
「(なゆみから電話嬉しい。ヒムロと別れたの?)」
「(なんでそうなるのよ。あのね、訊きたいことがあるんだけど)」
なゆみは鈴木部長のことが詳しく知りたいと訊いてみる。
「(スズキ部長のこと? 仕事での付き合いだからそれなりに気を遣うことがあるくらいかな。そんなに親しくないんだけど)」
「(えっ? でも鈴木部長はスコットにブライベートのことでも助言してもらったって言ってたよ)」
「(ああ、あれは恋愛の話。スズキ部長、会社に好きな人が居るんだって。それについてどうしたらいいか意見求められたことがあった)」
「(鈴木部長に好きな人? それって、もしや…… それで、スコットはなんて答えたの?)」
「(休まずにアタックしろって言った。スズキ部長も金と地位と権力もってたから、それらを大いに利用すればいいって言った)」
「(スコットなら言いかねないアドバイスね。その後のことは何か聞いた?)」
「(うーん。その後は上手く行ってるとはあの時のイベントで会った時に聞いたけど、実際のところはどうなってるんだろうね。はっきりとはわからない)」
スコットの話でなんとなく話が見えてきた。
なゆみはお礼を言って電話を切った。
なゆみの考えはこうだった。
鈴木部長は未紅が好きなために何かと手助けをしたくて、五島が未紅の邪魔をしようとしいるのが心配で仕方がない。だから藁をも掴む思いでしつこいほどな
ゆみに様子を聞き
たがるという訳だった。
未紅も結婚を何度もしつこく申し込まれ、それについて考えてみるとも言っていた。
「そっか、そういうことか。それなら、二人は上手くいくかもしれない」
なゆみの顔がライトアップされたように明るくなった。
一つは解決したが、なゆみはなぜ自分の仕事が邪魔されるのかがまだわからない。
ミスをすれば困るのはなゆみ自身だが、さらにもっと困る人がもう一人居る。
なゆみははっとした。
「私のミスは小山課長の責任となり、それが積み重なると私だけじゃなく監督できない小山課長のせいにもなる。そして課長失格となって、その後喜ぶのが、ま
さか
それが五島さん!?」
なゆみは震えた。自分の仕事の邪魔をしているのが五島かもしれないと思うとやりきれない。
あれだけ励まして優しくしてくれたのはカムフラージュだったのだろうか。
あまりにもドキドキしすぎてその晩はなんだか眠れそうもなかった。
そして次の日、なゆみは五島に会っても明るく笑顔で挨拶ができなかった。
前夜に五島の野望が見えてしまい、これまでのイメージが壊れてしまった。
どこかよそよそしい態度になってしまう。
「斉藤さん、どこか具合でも悪いの?」
「いえ、その、寝不足で」
それは本当だったが、決してそれだけの理由ではないので、なゆみは慌てて誤魔化していた。
五島は納得できない顔をしつつ、自分の持ち場に戻っていった。
それからなゆみは、その日、五島を何かある度に見つめる。
仕事中はデスクについて、電話を掛けて真面目に働いているその姿からどうしても悪いイメージは見当たら
なかった。
だが、見るからに悪そうな人が悪いことをする訳でもない。意外な人が犯人であるように五島も表面は隠しているのかもしれない。
そう思って注意深く五島を見ていると時折、未紅を見て様子を伺ようなしぐさをしていることに気がついた。
やはり未紅を気にしている様子が伺える。
なゆみがそれに気を取られていると、美衣子にバシッと強く背中を叩かれてしまった。
顔を歪めて痛いと訴えても美衣子は自分が先輩だからとその立場を強く主張する。
「ちょっと、さっきからぼーっとしてどこ見てるのよ」
なゆみが五島を見ていたのが気に入らないとでも言いたげだった。
「あの、ぼーっとしてたのは申し訳ございません。でも強く暴力的に叩かないで頂けますか」
なゆみももう黙っていられなかった。
美衣子は口答えされて気に入らないのか露骨に嫌な顔を見せてくる。そして叩いたことは事実なので言い返せないままにふんと首を横に振って自分の席に戻っ
ていった。
そんな態度を取られるとギクシャクしてしまい、やはり我慢すべきだったのかとなゆみは途方に暮れる。
しかし人のことに構ってる暇はないと自分の仕事をとにかく
こなす。
そして昼休み、なゆみは未紅からランチに誘われた。前回の借りが返せると快く承諾する。
ランチには少し高めのお洒落なレストランに入るが、そこを選んだ理由は会社の連中があまり来ない場所であり、さらに静かで話しやすいから
という未紅の希望だった。
未紅は何かなゆみに聞いて欲しいことがある様子だった。
少し照明を落とした暗い空間の片隅で、厚みのあるメニューをウエイターに返して注文を済ませた後、未紅はなゆみに面と向かって話し出す。
「あのね、こんなことあなたに話すのもおかしいんだけど、唯一あなたにしか話せなくてね」
一度グラスを手にして未紅は水をごくりとのんだ。
なゆみは何を話されるのだろうと、かしこまって待ち構える。
「実は、鈴木部長のことなんだけど……」
ここまで聞いたとき、なゆみの中ではもうストーリーが出来上がってしまった。
未紅も真剣に鈴木部長とのことを考えている。なゆみはニタつきなりそうになりながらも知らないフリをして真面目に耳を傾ける。
「鈴木部長のことで何か最近気がついたことない?」
「ええっと、そうですね。昨日お昼を一緒に食べたくらいで、これといって別に」
「そう。その時何か言ってた?」
「小山課長のこと心配してました」
「それだけ?」
「いえ、それと五島さんが小山課長とうまく行ってないことで、五島さんが何かしでかしてないかとか、そういうことを気にしていらっしゃいました」
「五島君が私に何かしでかす?」
「いえ、私も詳しくは何もわからないんですが、あの、五島さんは小山課長が気に入らなくてそれで足を引っ張りたいんじゃないかってことなんじゃないでしょ
う
か。そこで私も思ったんですけど、私のミスも五島さんに仕組まれたことじゃないかなって、もちろん証拠もなく疑うのは悪いと思ってます。でも私がミスして
仕事に支障をきたせば一番困るのは小山課長です。そうなると課長の立場が不利になってしまうことも考えられるから、その……」
未紅は何かを考えるように黙り込んだ。そして突然はっとすることがあったのか、何かに気づき、体がびくっと動いていた。
「ふーん。全て彼が企んだってことね」
未紅は思量深い顔になり、つい小声で漏らしてしまう。
「えっ?」
「いえ、こっちのことよ。斉藤さんは気にしないで」
「でも、小山課長大丈夫ですか?」
「もちろんよ。それより、斉藤さんは彼氏と上手く行ってるの?」
「あっ、はい。今日は仕事が終わったらデートです」
「そう、それは楽しみね。私もそろそろ返事しなくっちゃ。いつまでも待たしてもいられないわ」
なゆみはもしやと思って鈴木部長の名前を口に出そうとしたが、ちょうどそこに前菜のサラダが運ばれてきて中断された。
そのうちきっとおめでたい話として耳に入るだろうと楽しみにすることにした。