Temporary Love3

第五章


「氷室さん……」
 泣きそうな声でなゆみは自分のデスクから氷室の携帯に電話を掛けていた。
「どうした、何かあったのか」
「ごめんなさい」
「だから何があったんだ。いきなり謝ってもわからないじゃないか」
「あの、とにかく私が待ち合わせ場所に行っても驚かないで下さい。今からすぐに行きますので」
 なゆみはそういうと電話を切った。
 氷室はまた不安になる。
 
 前夜、なゆみと電話を切った後、氷室は気になって未紅に電話をしていた。
 トラブルに巻き込まれているのなら本人に聞けば一番早い。
 そこで直接未紅に問い合わせていた。
「あら、氷室君から電話があるなんて思わなかったわ」
「俺も掛けるとは思わなかったよ。なゆみから聞いたけど、会社でトラブルがあるんだって?」
「一体何を聞いたの? 氷室君には関係のないことだと思うんだけど」
「そうなんだけど、なゆみが首を突っ込もうとして、見て見ぬフリができないんだ。あいつすぐに変なことに巻き込まれて、しかもそれに危険が付きまとうこと もあるだけに心配なんだ。一体何が起こってるんだよ」
「何が起こってるとか言われても、私も何のことかさっぱりよ」
「だから、鈴木部長とか五島とかそういう人物に関係した……」
「ちょっと待ってよ、どうしてその二人の名前を知ってるの? 斉藤さんが話したの?」
「ああ、そうだ。なんでもなゆみは鈴木部長に小山と五島のことでどう思うかとか訊かれたらしい。五島と小山は仲が悪いんだって? それで鈴木部長は小山の ことを心配している。五島が影で何か怪しい行動を取ってるんじゃないかって疑ってるらしい」
「なんだか話がややこしくなってるのね。でも余計なお世話よ。氷室君には関係ないから」
「そういう訳にはいかないんだよ。詳しいことを教えてくれないか。お前と鈴木と五島との間で一体何が起こってるんだ?」
「何が起こってるって、どっちからも結婚を前提に付き合ってくれとは言われたことはあるわ」
「なるほど、やはりそういうことか。それでお前はどっちに気があるんだ?」
「どっちに気があるって言われても…… 氷室君に振られたばかりなのよ、すぐに気持ちを切り替える のは難しいの。私も私なりに努力しているところ。これから彼のこと考えてみてもいいかなって思いだしたところよ」
「お前も、いつまでも引きずりすぎなんだよ。俺の何が良かったんだ。傲慢で我侭で自分勝手な女たらしの男に、どうしてそんなに拘ったんだ?」
「あら、自分でよく言えるわね。でもそうね、強いて言えば、私の拘りだったのかもしれない。遂げられなかった思いが中途半端に残ってしまって忘れられな かった。女として認めてもらえなかったのが悔しかったのかもしれない」
「俺なんかに拘りすぎて、小山は損しちまったな。俺は同窓会でお前に会うまでずっとお前のこと忘れてたぞ」
「まあ、酷い人ね。大切な友達のことも忘れるなんて」
「俺はそういう奴なんだよ。頭に来たか?」
「ええ、そうね。なんか自分がバカに見えてくるわ」
 未紅はそういいながらも笑っていた。
「それじゃ、次は考えてみようなかって思ってる奴のことを頭に描いてみろよ。そいつはどういう奴なんだ?」
「年下で無茶なところがあるけど、男らしくて一生懸命で前向きで、気遣いを忘れないってとこかしら。それに顔もかっこいいわ」
「さらに小山に惚れている。申し分ないじゃないか」
「そうね。ほんとその通りね」
 そして未紅は氷室の意見も聞きたくて正直に会社でのことを話しだした。
 そこから氷室には見えてきたものがあった。
 やり方がどこかスコットに似ていると自分がされたことを考えて、情報を操作しているものがいることを伝える。
 未紅も鈴木部長と五島の間で違和感を感じていたが、半信半疑とばかりに、はっきりと言い切れなかった。
「明日、なゆみの話を聞いてみたらどうだ。もしかしたら答えが見えるかもしれないぞ」
「わかったわ、明日ランチに誘ってみるわ。氷室君もわざわざありがとうね」
 未紅は氷室と電話で会話をして、そしてその後なゆみとランチを取ったときに話したことで、鈴木部長が怪しいとはっきりと断言できたのだった。
 五島は未紅と仲が悪かった訳じゃなく、鈴木部長から五島が女性とのトラブルの話を持ち掛けられ、部署の評判が悪くなるからと未紅が上司として五島に釘を さ した。しかし事実無 根のことに五島が腹を立てて、怒り出し言い争いになってしまったのだった。
 大きな喧嘩はそれが原因だったが、普段も未紅が頑なに五島との交際の申し出を断っていたので、そのために冷たい態度となり回りの目には仲が悪いように見 えてい ただけだった。
 五島は自分がアタックしていることを周りに知られないためにも仲が悪いと思われるのは好都合だったので、訂正しなかった訳だった。
 だが、女癖が悪いということだけは誤解だと未紅に訴えていた。
 以前昼休みに、なゆみが二人の話し合っている様子を見たときも、五島は必死に誤解を解こうとしていた。
 五島が何かを企んで未紅の足を引っ張るわけがない。寧ろ未紅が課長となって部署に配属されてきたのを五島は歓迎していたくらいだった。
 それがきっかけで好きになったと告白されていたので、五島が未紅を窮地に陥れようとは考えられなかった。
 なゆみとランチを取ったことで、なゆみが勘違いした憶測に未紅は鈴木部長の陰謀を見破ったのだった。
 そしてめでたく問題は解決できたが、なゆみはそれの後始末を取らなければならなくなっていた。

 氷室といつもの待ち合わせの駅。人ごみに紛れてなゆみが現れたが、その後ろに暗い人間が二人ついてきていた。
「なゆみ、その人たちは誰だ?」
「すみません。二人とも失恋したてで、どうしても放っておけなくて一緒に連れてきてしまいました」
 そこには鈴木部長と美衣子がいた。
 鈴木部長は軽く会釈したが、美衣子は顔を上げて氷室の顔が見えると目を見開いて驚いていた。
「斉藤さん、この人誰?」
 美衣子が訊く。
「私の彼、氷室さんです」
 氷室はとりあえず挨拶したが、美衣子の表情を見て嫌な予感がした。つい恐ろしさを感じて目が離せなかった。
 美衣子の失恋はこの時点で終わった。新しい恋の始まりが過去の失恋をすっかり消し飛ばした。
 五島の場合は太刀打ちできない美しさの未紅が相手だったので簡単に身を引いたが、なゆみには勝てると無謀な考えを持つ。
「なゆみ、ちょっと、こっち来い」
 氷室に引っ張られ、はっきり話せないながらもなゆみは耳元でお叱りを受けた。
 まさに耳が痛い。
「なんでこんなことになるんだよ。お人よしにも程がある。それにあの女。なんかやばいぞ。俺を見る目が異常だ」
「すみません。なんで自分でもこんなことになったのかわかりません」
 二人が言い争ってると、美衣子が近づいて氷室の袖を引っ張った。
「氷室さん、ご挨拶してもいいですか」
 美衣子がなゆみなど目に入らぬと独りよがりに自分のことを話しまくる。
 氷室は寒いものを背中に感じていたが、必死に平常心を保とうとして体を強張らすと、美衣子を見つめた状態になってしまった。
「あの、やっぱり私は邪魔ですよね」
 一人寂しく立っていた鈴木部長がぬぼっと話しかけると、今度はなゆみが気を遣う。
「鈴木部長、そんなことないですよ。今日は一杯飲んでいろんなこと忘れましょうね」
「斉藤さん。ほんとに君は良い子だね。色々とごめんね。でも雇ってよかったよ」
 雇用のことを言われるとなゆみはもう頭が上がらない。
 氷室もなゆみの立場を理解してこの日は我慢しかないと諦める。
 だが、居酒屋に入ってテーブルについたとき、なゆみが横に来る前に美衣子が来てしまい、顔で笑って心で吐いてというくらい気分が悪くなっていた。
 その日は異様な雰囲気の中、暗い中年の落ち込んだ悪代官と自分のことばかり売り込む身の程知らずな女が加わっての飲み会となってしまい、氷室もなゆみも 何しにきたんだろうと情けなくなる。
 美衣子のアプローチが寒く、じめじめと愚痴をこぼす鈴木部長が鬱陶しいと思っていても言えずに、向かい合わせに座っているなゆみと氷室はテーブルの下で 足を突付き合い、なんとか乗り越えようとしていた。
 しかしこれで済む訳がなかった──。
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