Temporary Love3

第五章


 包帯をぐるぐる巻きにされた氷室が病室で瀕死の状態で寝ているその側で、医者と看護婦が諦めた顔つきになり、首を横に振って「残念です」という顔つきを 露骨にさ れるような状況になったらとなゆみは最悪の状況が頭から離れなかった。
 しかし受付で聞いても、そのような患者が救急車で運ばれてきたという連絡はないという。
 なゆみは病院を間違えたかと名前を確認したが、その名前に間違いはないと言われた。
 そして何がどうなっているんだと、辺りを見回せば待合室の奥で設置されていたテレビを見ている体のでかい男二人に目がいった。その一人の後姿があまりに も氷室に似 ている。
 同じようなごつい感じの男性と笑いながら雑談までしていた。
 なゆみが斜め後ろ辺りに立ったとき、まず見知らぬごつい男性が振り向きざまに先に気がついた。何か話した気そうななゆみを不思議そうにじっと見つめる。
 その様子をおかしく思って、隣のものも同じ方向を振り向いた。その瞬間、びっくりして叫び出す。
「な、なゆみ!」
 やはり氷室だった。条件反射で突然立ち上がるが、体に痛みが走ったのか顔が歪んでいた。
「おい、氷室、無理に立ち上がるな」
 氷室の隣に居た男性はブルと呼ばれる男だった。
 ブルは氷室を支えてまたゆっくりと長いすに座らせた。
 怪我をしたのは本当らしかったが、命には全く別状はない様子だった。
 頬にかすった傷と、左腕に包帯が巻いてあった。
「氷室さん、一体これどういうことですか。私てっきり氷室さんが生死の瀬戸際にいるんじゃないかって心配して、生きた心地がしませんでした」
「なんでお前がここにいるんだ?」
「携帯に電話したら氷室さんが事故にあって病院に担ぎ込まれたって聞いたから、それで、それで」
 なゆみは安堵で気が抜けたと同時に涙腺も緩んでしまい、氷室に倒れこむように抱きついて泣き出してしまう。
「イタタタタタタ」
 氷室は叫んだが、それでもなゆみは離さなかった。
「おい、勘弁してくれ。重いものが体に落ちてきてちょっとした打撲で痛いんだ」
「ちゃんと説明して下さい。一体何をしてたんですか」
「小遣い稼ぎだ。ちょっとお金が入用だったからアルバイトしてたんだ」
 氷室は言い難そうに口を尖がらしていた。
「氷室は良く働くぜ、ずっと前から時々肉体労働していたんだぜ。婚約指輪を買うんだっていいながらな」
「ああ、ブルさん、それは……」
 氷室は慌てたが、ブルはもう隠すなと首を横に振っていた。
「氷室さん、それってもしかして私のために?」
「当たり前だろ、他に誰のためにそんなもの買うんだよ」
「あああああーん」
 なゆみはまた泣き出して抱きついた。
「ひぃ〜、だからそれは痛いんだって」
 隣でブルが微笑んで見ていた。その周りも暇つぶしになると見ているものが沢山いた。

「そっか、あんたがなゆみちゃんか。なるほど、氷室が夢中になるくらいのかわいい子だ。留学してたんだってな。氷室からのろけ話一杯聞かされたぜ」
「ブルさんやめて下さい」
 氷室は暴露されて恥ずかしくなってしまい、顔を引き攣らせて慌てていた。だが無駄に動くと体が痛くて顔が一層歪んでいた。
 病院で薬を受け取り、支払いを済ませた後、三人は近くにあった古ぼけた喫茶店でお茶を囲んでいた。
 お洒落ではないところだが、地元の人に愛されているような馴染み深いアットホームさが落ち着く。
「それより、ブルさん、現場に戻らなくていいんですか。ご迷惑お掛けしてすみませんでした」
「何を言ってる。お前が怪我をしたことで、急ピッチにことを運ばそうとしたことが間違いだったって上の奴らも思ってるよ。多少遅れても問題ないだろう。俺 が誘わなかったらこんなことにならなかったし、本当にすまなかった」
 ブルは頭を下げた。
 氷室は恐縮して、慌てながらブルに気を遣っていた。この二人の間にはかなりの信頼関係があるとなゆみにも伝わる。
「氷室さん、もう無理はしないで下さい。私指輪なんて要りませんから。氷室さんさえいたらいいんです」
「でも俺は……」
 ブルは二人の将来の話に邪魔をしてはいけないと、請求書を掴んで静かに席を立った。
「それじゃ俺は現場に戻るよ。後は二人でゆっくり話しな。ここは氷室が怪我したお詫びに俺に奢らせろ。それじゃまた後でな」
「あっ、ブルさん」
 氷室が急に動こうとするとまた体が痛み顔が歪んでいた。
 ブルは気にするなと言いたげに笑顔を見せて、そしてレジへと去って行った。
 お互い何を話していいのかわからずに、なゆみと氷室は暫く無言で向かい合ってぎこちない。
 氷室が時々体に響き渡るような痛みを感じ小さな呻き声を漏らすと、なゆみは益々心配で落ち着かなくなった。
「氷室さん、大丈夫ですか」
 声を発するだけで泣きそうになり、なゆみはそれを抑えて話しかける。
「なゆみ、心配するな。大丈夫だから」
「でも、もうこんなこと嫌です。私、すごく最悪の状況を想像してしまって、もう氷室さんに会えないかと思ってしまいました」
「おい、それは飛躍しすぎだ」
「だって、工事現場の事故ですよ。しかも木材が落ちてきて下敷きになったって聞いたんですよ。普通怖いことも考えるでしょ」
「まあな、心配掛けて申し訳なかった」
「氷室さんが無事で本当によかった」
 なゆみの涙腺が緩んで大粒の涙が後から後からとこぼれる。暫く俯いたまま氷室の顔がまともに見られないでいた。
 氷室はその姿を見て胸を痛める。
「俺さ、アメリカでかっこつけたこと言っちまっただろ。最高のシチュエーションを用意しておくとかさ言っておきながら、それがまだできてないんだ。ごめん な」
「何を言ってるんですか。でも私も、どこか自分のことしか考えてなくて、氷室さんの気持ち真剣に考えてませんでした。本当にごめんなさい。だけど私気がつ きまし た。自分が本当にどうしたいのか。だから……」
「なゆみ……」
「氷室さんが居て、言葉さえあればそれがいつだって最高のシチュエーションです」
 なゆみは顔を上げて氷室を見つめた。瞳は涙で潤っていたが、しっかりと前を見つめて、氷室の言葉を待っていた。
 周りに居た常連の客達とこの店のマスターが、二人の話に耳を傾け、この先どうなるのか固唾を呑んで見守っていた。
 氷室はなゆみを見つめ、それに応えるようにぐっと腹に力を入れ、そしてゆっくりと口を開く。
「なゆみ…… 結婚しよう」
「はい」
 なゆみは素直に返事をする。
 すると拍手が聞こえてきた。
 二人は辺りを見回して注目を浴びていたことに、このとき初めて気がついた。
 だが、そんなことより自分達の置かれているこの状況で精一杯だった。どうしていいかわからずに二人は下を向いてもじもじしていた。
 周りもそれ以上は邪魔をしないようにと、二人をそっとしておく。
 そしてなゆみは嬉しいとばかりに笑おうとするが、涙が邪魔をして泣き顔のままだった。
「嬉しいのに、泣いちゃってごめんなさい」
「何言ってんだ。怒ってる顔よりましだ」
 氷室は右手を伸ばしてなゆみの頬を包むように触れた。
 やっと言えた言葉に氷室も満足に笑みを向ける。多少の痛みはあったがそれですら生きてることの有難さだと受け止めていた。
 なゆみの胸元のエンジェルが抱えているハートの部分が一段と赤く光るように目に付いたのは、この世のモノ全てが自分達を祝福していると思っていたからか もしれない。
「良いものは買えないかもしれないけど、今度一緒に指輪を見に行こう。俺の思いずっと身に着けて欲しいんだ。最高のシチュエーションを今度は形にしよう。 それを見ていつでもこの瞬間を思い出せるように」
「はい」
 氷室に愛されそれがずっと続く。それこそまさに最高のシチュエーションの何ものでもなかった。
 なゆみはしっかりと氷室を見つめていた。
 目の前に居る人が本当に自分の夫となる人。
 氷室をじっと見つめれば、結婚という憧れが心に溢れ出てしまう。
 氷室はなゆみの考えていることがわかってるかのように、くすっと笑ってしまった。
 その時氷室自身も少し気恥ずかしく照れていたが、同じように妻になるなゆみをしっかりと見つめ返した。
 この気持ちをずっと忘れないようにと二人の心は深い絆で通じ合う。
 「これって、アレですね」となゆみが言えば、氷室も「ああ、アレだな」と答える。
「それじゃ一緒に今思ってる言葉をいいましょうか」
「ああ、そうだな」
 なゆみは「せーの」と声を掛け、そして同時に二人は呟いた。
 「パーマネントラブ」と氷室が言い、なゆみは「ハッピリーエバーアフター」と言った。
「ちょっと、合ってないじゃないですか」
「おい、ここはパーマネントラブじゃないのか」
「えっ、ハッピリーエバーアフターでしょ」
 氷室は笑い出した。
「もうなんでもいいよ。どっちも同じだ。俺達に付きまとう言葉だろ」
「そうですよね」
 言葉よりも、目の前にある二人の絆の方がもっと大切なことだと、なゆみも氷室も幸せがこぼれるような笑顔をお互い向けていた。
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