Temporary Love3

第六章


 両家の顔合わせを計画したのは、一月末頃のまだ寒い季節。
 氷室も仕事が忙しいながら、自分達の親を合わせないことにはこの先の計画も立てられないと無理をして急いで決めた事だった。
 個室のあるレストランを予約し、ビルの上階に位置してそこからの見晴らしもいい。
 料理も美味しいと評判で少々お高いが、大切なことだからと氷室はそこに決めた。
 なゆみは全てを氷室に任せることで上手く行くと思っていた。氷室の計画には口を出さず、気だけは遣いながら後を着いて行くような感じだった。
 全てのことが順調に進んでいるから、なゆみも失敗はできないと両親の顔合わせが近づくにつれ、緊張感が高まり、心なしか胃が時々痛くなっていた。
 虎二と竜子は、氷室家の人々と比べると庶民であり格差があるために、もし何か失礼なことでもしでかしたらとそれが不安の種だった。
 そしてその当日の日、落ち着かずばたばたと支度をしていた。
 なゆみは竜子に髪を整えてもらい、そして振袖も着せてもらった。帯を締め上げるとき一層胃が痛くなったような気がした。
 美容師の竜子は自分の娘のためにと着飾ることには力を入れる。
「お母さん、早くしないと、遅刻しちゃう」
「わかってるわよ。大丈夫。任せなさい」
 二人は姿鏡の前で奮闘していた。
 そして出来上がってほっとしたものの、なゆみに力を入れすぎて自分の支度が間に合わないと竜子は慌てだした。
「やだ、自分のこと忘れてたわ」
「ほら、だから早くしてって言ったでしょ」
 なゆみはハラハラしてしまう。
「お父さん、何その派手なネクタイは」
「あっ、これスーさんがくれた」
「アメリカの星条旗のネクタイはやめて! 無難な地味なのにして」
 虎二はすごく気に入っていたので渋々と取り替える。
「お母さん、早く。お父さんもすぐ車出せるようにしてて」
 時計を睨みつつ、なゆみはイライラしながら、焦っていた。
 着慣れない服で心休まることもなく、帯の辺りも苦しくて、また胃が一段とキリキリする。
 ばたばたと慌てまくった末にやっと家を出ることができた。
 予め、氷室家の家庭の事情は説明していたが、なゆみは両親が変なこと言わないか心配でたまらない。
 自分の両親が何をしでかすかわからないだけに、更に胃の痛みは増していく。
「お父さん、お母さん、氷室さんのご両親に失礼のないようにね。それとあちらはスマートな方たちだから、多少難しい話になっても、合わせる努力を忘れない でね。その場の雰囲気絶対壊しちゃだめだからね」
「わかってるわよ。大丈夫よ。ねえ、お父さん」
「もちろんもちろん。なんとか合わすから安心しろ」
 二人の軽々しい返事が一層不安を仰ぐ。
 なゆみは車の中から外の変わり行く景色を見つめながら上手く行くことを祈っていた。

 レストランは格式の高いホテルにあり、虎二も竜子も建物の中に入ると落ち着かずそわそわしだす。
 なゆみも着慣れない振袖にぎこちなく、エレベーターを降りてから急にトイレに行きたいと、レストランに入る前に両親を置いて一人で行ってしまった。
 なゆみ自身パニックに陥っていた。
「つい振袖着ちゃったけど、これ苦しくて、もうトイレも面倒臭い」
 おしとやかさもなく、着物を着て却ってイライラしているようだった。
 その時入れ違いに、先にレストランに来ていた氷室が様子を見にエレベーター付近にやって来て、虎二と竜子を見つけた。
「お父さん、お母さん、お待ちしてました。あれ、なゆみが居ない」
「ああ、今、ちょっとお手洗いに」
 竜子がよそ行きの笑顔で答える。
「そうですか、ここで立って待っているのもなんですから、先にレストランへ入って下さい。なゆみもすぐに気がつくでしょう。とにかく案内します。どうぞこ ちらです」
 氷室は二人を連れて行く。虎二も竜子もとうとうだと緊張していた。
 部屋に通されると京と敦子が席についていた。
 虎二と竜子が入って来たことで、二人は咄嗟に席を立ち、礼をする。
 虎二と竜子も負けずと深々と頭を下げた。
 無難な挨拶から始まり、両家の両親達は向かい合わせになって席に着く。
 どちらも緊張した空気の中、意識した笑いを向けて無理をしている様子だった。
「本日はお忙しいところご足労頂きましてありがとうございました」
 京が言った。
「いえ、こちらこそお招き頂きましてありがとうございます」
 虎二が返す。
 敦子が上品な笑顔を見せて華を添えると、竜子も真似しようとぎこちなく笑顔を見せた。
「なゆみさんは?」
 京が尋ねると、氷室が「トイレ」と答えた。
「なゆみさん、大丈夫でしょうか」
 敦子が心配する。
「ちょっと緊張してるみたいですけど、大丈夫です」
 竜子が答えた。
「でも大切なお体だから、無理をされてないといいんですけど」
 敦子の言葉に、氷室は「あっ!」っと声を出した。
 顔合わせの準備に気をとられすぎて、妊娠が間違いだったことをまだ伝えてなかった。
「すっかり忘れてた」
「どうしたんだ、コトヤ。何か忘れ物か?」
 京が聞いた。
「いや、そのアレなんだけど、アレはその間違いで」
 虎二と竜子を目の前にしながらも、なんとかこの状態で京になゆみが妊娠していないことを氷室は伝えたかった。
 小声で言い難そうに、それでもなんとかわかってくれと懇願する目を向けて氷室は京に目配せする。
「アレ? なんの話だ?」
「そのエクスペクト」
 わざわざ英語で伝える。本当は妊娠しているという意味のプレグナントを使いたかったが、最近英語が日本語になってきてなゆみの両親も知っていたらまずい と、婉曲的に妊娠の意味を表す単語を使っていた。
 京も英語は少しはできると思っていたが、氷室が小声ではっきり言わないので聞き間違えてしまった。
「エクソシスト?」
 京の声が大きくて、その場に居たものは「へっ?」となってしまう。
 すると虎二ははっとしてそれに反応しなければと話に割り込もうとする。なゆみに釘を刺されたように合わせることを忘れない。
「その映画はわしも知ってます。怖い映画ですよね」
「いや、そうじゃなくて」
 氷室が否定すると今度は竜子も合わそうと口を挟む。
「でも、怖かったですよ、その映画」
「だから、映画の話じゃなくて、父さん、なんでそんな言葉を口走るんだ」
「お前が言ってきたんじゃないか」
「だからアレはエクスペクトのことなんだってば」
 辺りが急に静かになり、京が意味がわからないと眉間に皺を寄せて不機嫌になっている。それを取り繕うと敦子が映画ついでに話を持ち出した。
「そういえばハリーポッターの守護霊を呼ぶ呪文にもそういうのありましたね。なんでしたっけ、エクスペクトパトローナムとかなんとか」
「なんでハリーポッターが出てくるんですか」
 氷室がどんどんややこしくなると慌てる。
「エクソシストパトロール?」
 竜子もやっぱり合わせてとりあえず繰り返すが元の音と違っていた。訳のわからない言葉を言いつつも笑顔は忘れない。
 周りのものは「エクソシスト」や「パトロール」などの無意味な言葉で全くわからくなって、キョトンとしてしまった。
 竜子が変な言葉を言ったことで場がしらけてしまったと、虎二は慌ててしまい、取り繕うこともできずに、正直になることを決意する。
「いやー、なんだか難しい話になってきて、どうもわしにはついていけないです。さすが氷室さんのところはすごいですな。よく何でも知ってらっしゃる」
 虎二は参ったとばかりに笑いを入れて、とにかく場の雰囲気を壊さないようにと必死に合わせていた。
 京も虎二の気遣いに答えなければと思うが、一体何を話しているかわかってないものだから、焦ってしまった。
「いえいえ、映画はそんなに観ないんですけど、やっぱり観た方がいいですよね」
「わしは邦画ならちょっと観ます」
「ああ、なるほどなるほど」
 京と虎二の会話が続く。その側で敦子が京を立てるように微笑み、竜子に会釈していた。
 竜子も真似しようと必死になって笑顔を作っていた。
 誰もが何の話をしてるのかわからないまま、その場の雰囲気だけを守り通そうとして意味もないことを笑顔で語り合う。
(なんでこんなことになるんだよ。なゆみ早く来い)
 氷室はここまで話がこじれるとどうしていいのかわからなくなっていた。
「コトヤさん、なゆみさんの様子を見に行かれたら? もし万が一何かあったら……」
 敦子がまた妊娠のことを言い出しそうになったので氷室は慌てて叫んだ。
「ちょっ、ちょっと、なゆみを見てきます。大丈夫ですから。ハハハハ」
 そして席を外す羽目になってしまった。
 親同士置き去りにするのは心配ながらも、とにかくなゆみをつれてこなければと急いで探しに行った。
 一方でなゆみは、トイレから出た後、両親が居ないことに慌てていた。
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