Temporary Love3

第六章

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 二月に入った頃、世間はバレンタインデー一色となり色んなところでハートのデコレーションが目に付く。
 なゆみも氷室にどんなチョコレートを用意しようか悩みながら、仕事帰りに百貨店の売り場を歩いていた。
 色々なチョコレートを見ているうちに昔のことをふと振り返ってしまう。
 中学の時は好きな人にチョコを渡そうか悩んだ挙句、買って用意はしたけど渡せずに自分で食べた思い出がある。
 以前氷室の前でアルバムを開いたときに、竜子がばらしたあの相手であった。
 ロングヘアーが彼の好みと知って、髪を切らずに伸ばしていたあの頃、自分でも一生懸命な乙女チックな恋をしていたなと妙に懐かしい。
 まだ恋に恋して、好きな人を思っていることでドキドキと楽しい毎日だったと思い出す。
 片思いで充分満足するような恋であり、好きになった人を密かに思うことが幸せだった様に思う。
 例えるなら、ゲームでキャラクターとの恋を楽しむ疑似体験のように、トキメキをただ求めていただけだった。
 チョコレートを選ぶだけでもドキドキしていた時だったと、様々なチョコレートを見ながらつい顔が綻んでいた。
 チョコレート売り場は女性客が断然に多く、混み合っている。
 その中で制服姿の女の子達が固まってチョコを選んでいる姿が、自分の中学時代と重なった。
(あの時は、私も友達と一緒に選んでたんだっけ)
 かわいいチョコにするか、味で勝負するか、色々と悩んであれこれ議論していたことがとても幼く思えてくる。
 だけどその時はそれが一番重要な問題のように、チョコレート一つ選ぶことですら一生懸命だった。
「コトヤにはどんなチョコレートあげればいいんだろう」
 過去に沢山貰っていたと以前凌雅から聞かされたことがあったが、まさか今回も沢山貰ってきたらと考えてしまう。
 そう思うと自分だけは特別なものをあげたいと考えすぎて、選べなくなってきた。
 そのうちに沢山チョコレートを見ていると自分が食べたくなってしまい、氷室にあげるものは後回しで自分用に購入してしまった。
「コトヤにはもうちょっと考えてからにしよう」
 帰りの電車の中で揺られながらなゆみは色々とアイデアを頭の中で巡らせていた。
(自分の体にチョコレートシロップかけて『はい、どうぞ』なんてやったら受けるかな)
 馬鹿なことを考え、つい笑いそうになるのを堪えていた。
 すっかり遅くなったと、腕時計を見つめて、最寄の駅の改札口を出たときだった。
 突然自分の名前を確かめるような声が聞こえた。
「斉藤?」
 なゆみが振り返ると、そこにはモスグリーンのダッフルコートを着た背の高い男性が立っていた。
「やっぱり斉藤だ。うわぁ、お前なんか変わったな」
「えっ? 矢嶋君?」
 中学時代にひたすら片思いを続けていた、矢嶋由貴斗だった。思い出していただけに懐かしいとなゆみは笑顔で矢嶋を見つめた。
 タイムスリップしたように、中学生の頃が蘇る。
 矢嶋は中学時代の面影を残しつつ、大人びた顔になっていた。
「今、何してんだよ。噂では留学したとか聞いたぜ」
「やだ、誰が私の噂なんかするのよ」
「この街に住んでると、たまに昔の同級生に会うぜ。その時何かと知ってる奴の情報交換したくなるってもんだ。俺達もこうやって出会ってしまったしな。でも 会うのは久し振りだよな。なんかちょっと見ない間に綺麗になったな」
「なんかそんなこと言われるなんて恥ずかしい。でもありがとう。矢嶋君も益々かっこよくなってるよ」
「まあな。俺はこうでなくっちゃな」
「相変わらず、その自信過剰なところはそのままなんだね」
 なゆみは矢嶋と肩を並べて歩く。
「そういえば、こんな時期だったけ、中学の時お前と席が隣になったのって」
「あっ、覚えていたんだ。そうだね。矢嶋君の隣の席でいつも大笑いさせてもらった。あの時楽しかったな」
「斉藤はいつも元気でさ、話しやすかった。休み時間になったら、他の男子生徒達も寄ってきて、なんか盛り上がったよな」
「そうだったね。矢嶋君は男の子たちからも人気だったし、女の子にもモテてたよね」
 なゆみは自分もその内の一人だったと、少し照れて笑っていた。
 矢嶋はなゆみをちらりと見つめつつ、手に持っていた小さい紙袋がさっきから気がかりになっていた。ここぞとばかりに口に出す。
「それ、チョコレートだろ。もうすぐバレンタインデーだから、誰かにやるのか?」
「えっ、これ? これ自分用に買っちゃった。あっ、よかったら一緒に食べようか」
 なゆみは袋から箱を取り出して、蓋を開けて中身を矢島に向けた。
「サンキュー」
 矢嶋は遠慮することもなく一つ取って、すぐに口に入れた。
 なゆみも同じようにして食べていた。
「なあ、なんであの時、俺にチョコレートくれなかったんだ?」
「矢嶋君は沢山の女の子から一杯チョコレート貰ってたじゃない。私が義理チョコあげるほどでもなかった」
 なゆみは嘘をつく。本当はあげたかったけど、沢山貰ってる姿を見れば、手渡す勇気がなくなったとは言えなかった。
「斉藤から貰えるって思ってたんだけどな。貰えなくてあの時はすごくがっかりした。まさか今こうやってチョコ貰えるとは思わなかった」
 なゆみはなんて答えて良いのかわからないまま、箱を突き出してもう一つチョコを勧める。
 矢嶋は遠慮なくもう一つ摘んでぱくっと食べた。
「斉藤は彼氏居るんだろ?」
「うん」
 なゆみはそれだけははっきりと言えた。
「そっか、やっぱりな。久し振りに俺に会っても、俺にドキドキしてねぇーもんな」
「何よ、それ。矢嶋君はいつでも自分がモテるって思ってるのね」
「ああ、当たり前だ」
「その自信過剰さ、危険だよ。だけどそれが矢嶋君らしいけどね」
「なあ、斉藤の彼氏ってどんな奴なんだ?」
「もちろん頼れる素敵な人だよ。でも彼というより、もう婚約者なんだ」
「ええっ、もう結婚するのか?」
「うん。この人しかいないって思うと、勢いついちゃって」
「なんだ、そっか。つまんない。これから俺が口説いてやろうと思ったのに」
「へへ、残念でした」
「なんか久し振りに中学の自分に戻ったような気分だったよ。チョコレートありがとうな。俺こっちだから、それじゃ斉藤、幸せになれよ」
「矢嶋君もね」
 二人は分かれ道でお互い手を振ってさよならを告げた。
 なゆみは、久し振りにあった矢嶋を見て、過去の自分の恋というものがどれほど子供じみていたかに気がつく。
 そう思うと、氷室が恋しくてたまらなくなってくる。
 携帯を取り出し氷室に電話した。
「もしもし、コトヤ、あのね……」
 氷室の声を聞いたとき、胸がドキドキする。
 自然と笑顔にもなる。
 暗闇の中一人にやけているのも恥ずかしかったが、誰も見てないことを良いことに甘えた声を出して氷室に気持ちを伝える。
「愛してる」
 少し間が空いたが、その時氷室は突然の告白に電話の向こうで照れて笑っていたに違いない。
「ああ、俺もさ」
 同じように返事が返ってくると、なゆみは一層顔がにやけていた。
 息が白い寒い夜、早く会いたいと二人の気持ちは高まって熱くなる。
 なゆみは話しながら家まで帰る。
 頬は冷たく寒いのに、心だけはホカホカと幸せのカイロで暖められていた。
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