第一章

 9
 車が行き交いする路上から少し離れ、崖をきりひらいたようなガタガタの道に入って、少ししてから車は停まった。
 「(ここは中々、車を停めるところがなくて、今日はラッキーだった)」
 あまり広くない道だが、端に寄せて停めたとき、マシューは私に笑顔で教えてくれた。
 ジープなのでワイルドなところで駐車すると景色とぴったり重なって似合う似合う。
 車から降りたら、もうそこは崖っぷち。
 丸太を横に繋げたようなフェンスが崖に沿ってつけられていた。
 少しスロープになっていて、その上を目指してマシューは歩く。
 すでに海はすぐ目の前で、カモメも海の風に気持ちよく乗って、鳴きながら飛んでいる。
 少し歩くけど、この上が見晴らしいいと、とにかく私をそこへ案内したいようだった。
 風は冷たいが、澄み切った青空と陽気さ、そこに磯の香りを運んできて気持ちいい。
 青い空をバックに、白い雲がゆっくりと流れて行く。
 海もキラキラして波の様子が良く見える。
「(大丈夫?)」
 前を歩きながらマシューは時々後ろの私を確認する。
 私はもちろん大丈夫と元気よく答えると、満足そうにまた先を行く。
 そしてマシューが立ち止まったところは、海が一段と近くに感じる崖っぷちでとても美しいところだった。
 もちろん先にはいけないように丸太の柵があるけど、くぐったら意味ないかもしれない。
 しかし、その下は民家があって、しかも金持ちらしく豪華な家が一杯だった。
 毎日こんな景色をみて過ごせるなんてやっぱり金持ちはいいなと思ってしまった。
 美しい景色に、私もつい見とれてしまって、丸太に手をかけてじっと見ていた。
 マシューも隣で丸太に両腕をもたせかけ、少し屈んだ感じでその景色を楽しんでいる。
「(ここはサーファにはとても有名な場所で、波の調子を見に来るんだ。僕もここでいつもチェックしている)」
「(サーフィンするの?)」
「(うん。あんまりうまくないけどね)」
 なんと、絵に描いたようなカリフォルニアボーイではないか。
 スポーツも万能という表現が追加された。
「(キョウコの趣味は何?)」
「ミー? レット ミー シー……」
 一丁前に”ええっと”なんていってみるが、マジで困った。
 素直に絵を描くことなんて言ってもいいのだろうか。
 しかも漫画。あちゃ〜。
 映画も好きだし、料理もちょっと好きだし、昼寝も趣味に入りますか?
 適当に言ったけど、言ってから、ほんとにそれ私の趣味かと思ってしまった。
 この時、海を前にして二人だけの世界がそこにあった。
 青い空に白くコントラストに映えたカモメが近くを飛び交い、波の音が聞こえて、水面はキラキラと途絶えることなく煌めいている。
 爽やかな風が頬を撫ぜ、マシューの金髪が揺れている。
 自分のセミロングの髪も風に揺られ、それが頬にかかるので、手で押さえる仕草をした。
 その時マシューは私をじっと見つめて、そしてつぶやいた。
「モット、キミノコトシリタイ」
 なんでそこで日本語なんですか。
 すぐに理解できるから、どれだけびくっとして心臓がときめいたことか。
 なんか苦しい。
 なんでこんなにドキドキするんだろう。
 私の頬がぽっと温かくなって、多分ほんのり桜色。
 ほんとに恥ずかしくて、それなのに、マシューは堂々と映画の台詞のような言葉を囁いてくれるから、私はすっかり夢見心地にこの状況に酔ってしまった。
 映画のシーン、まるでヒロインのように、これから恋に落ちる瞬間。
 まさにそれだった。
 マシューに見つめられて、あんなこと言われたから、素で小さく「えっ」って言葉が漏れて、暫く彼から目が離せなかった。
 またマシューはそれに応えるように視線を外さずにそのままじっと私を見つめる。
 そこにカモメが絵になるように近くを鳴きながら通りすぎて行く。
 カモメさん、そんな演出してくれたのは七面鳥さんに友情出演頼まれたのですか。
 ここで、音楽でもなったら、ドラマ第一話の盛り上がる終わりのシーンですわ。
 日本に居たら絶対味わえなかったであろう、最高の恋の始まりの瞬間。
 もしマシューがそれを分かってここに連れてきたのとしたら──。
 彼は何かを期待していたのだろうか。
 でも素敵なシチュエーションをありがとう。
 素直に気に入りました。
 マシューはずっと私を見ていた。
 そこでどれだけ過ごしたか全く時間の流れが伝わってこなかった。
 止まったような、心に入り込んだ酔いしれるこの時は、恋の醍醐味を存分に味合わせてくれた。
 カリフォルニアの地で主演、マシュー&キョウコ。
 自分が主人公になったように感じてしまう。
 だけどまだ一歩踏み込めない、恥ずかしさと戸惑いがどうしても自分の前でバリアを作ってしまう。
 漫画なら、じっと見つめられたら二人は雰囲気に飲み込まれて、そして次第に顔が近づいてってことになって行くんだけど、それはどうしても私に合わない。
 私の場合、それは後にさがってしまう。
 この海をバックに、最高のシチュエーションで、キスなんてしたら絵になるだろうけど、実際そんなこと考えられないのは、私が恋に前向きになれないからだった。
 現実に起こっていてても、私は入り込んでいない、どこか他人事のように思えてならない。
 とりあえず場を繋ぐために無難な対応をしておく。
「(ここに連れて来てくれてありがとう。とても気に入りました)」
 最後の気に入りましたは、場所だけじゃなく、与えてくれた全てのことに対しての意味もあった。
 私は雰囲気作りとかできなかったけど、それを言うだけで精一杯。
 分かって頂戴。
 私、ファーストキスもまだなんです。
 だからいきなり、このハリウッド映画のシーンを現実に与えられて、もうそれだけで舞い上がってしまいました。
 どれだけこの状況に悶えながらも、勇気を出してマシューの側にいるのか、絶対分かってもらえないと思う。
 マシュー、私にも覚悟するために時間の余裕を下さい。
 この展開は速すぎて、恋に恋してこの瞬間を楽しめても、本当の自分はそこに居ないんです。
 アメリカ人って、こんなに早く接近するもんなのだろうか。
 気を許したら、マシューはすぐにでも近づいてきそうで怖かった。
 だからその時、マシューの手がほんとに伸びてきたのには驚いた。
 一体何が始まるのですか。
 七面鳥さん、あまりドキドキさせないで下さい。
 これはtoo muchですわ。
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