第二章
5
その夜、彼に電話するぞ、するぞ、と気合を入れて、夕飯を食べ、片づけを済まして、そしていざ、電話の前へ挑んだ。
片手には彼の電話番号。
とうとう電話をするのか。
その前に、ホストファミリーに一言断ってからじゃないと掛けられない。
自分の家じゃないから、居候している身としては所々の不便さと言うものがある。
契約範囲だと一定料金で掛け放題なのだが、その範囲を超えると料金が加算される。
電話番号を見せて、ここに掛けてもいいかと聞いて、笑顔で「YES」と帰ってきた場合は掛け放題エリアと言うこと。
今回笑顔だったから、掛けることに関してはクリアーだった。
だけどいざ掛けるぞという気持ちの面では少しアンクリアー。
でも電話番号を見つめ、覚悟した。
番号を確かめて、彼の電話番号どおりにプッシュしていく。
力強く押してしまうこの緊張はなんなのだ。
トゥルー、トゥルー。
全て押し終わった後の、繋がった時のビクッとした怖さ。
誰がまず出るのだろう。
四人で暮らしているから、ルームメイトが先にでることもある。
しかし「ハロー」と聞こえたその声はマシューだった。
しどろもどろになりながら、血液が非常に早く体を駆け巡っている。
自分の名前をいうのも一苦労だったが、私だと分かったときのマシューの喜びようが電話から伝わってきた。
「(今ね、僕も電話しようとしてたとこだったの。嬉しい)」
素直にそんなに風に言われたらこっちも嬉しい。
さっきまでの緊張が全て解けた。
「(実は今日、会いに行ったんだよ。ホワイトボードにメッセージがあったから、図書館にも行った。でも会えなかった)」
「(嘘、ほんとに来てくれたの。ごめん。あのメッセージ昨日書いたものなんだ。今日は違うところにいた)」
「(えっ、昨日のメッセージ?)」
「(キョウコ、ほんとにごめん)」
私はそのときもっともっと嬉しくなった。
マシューはその前の日から私を待っていてくれたということだった。
それなのに、素直に前日行かなかった私が悪い。
自分が勇気を出して飛び込めば、マシューは常にそこで待っていてくれている。
変に自分を抑えて、折角のチャンスを潰している自分が一番馬鹿。
この時、急に欲が出てきたように思う。
中々自ら言えなかった言葉がつい口をついてでた。
「(マシュー、明日会える?)」
「(もちろんだよ)」
もう迷わない。
明日マシューに堂々と会いに行く。
私もそろそろ、心入れ替えて飛び込む準備をしなくては。
マシューとは確実に距離が縮まってきたと自分でも感じていた。
『Take a chance』
ふと頭によぎる言葉。
何かが変わるかもしれない、まさに恋が花開くときのように、少し勇気を出してみよう。
お互いを知ったそのとき何が待ってるんだろうか。
こうなるとどうにでもなれと当たって砕けるみたいに自棄になってくる。
それでもこのドキドキが非常に癖になって快感。
これがやっぱり恋なのでしょうか、七面鳥さん。
その当日、授業が終わって私は学食へまず急いだ。
お昼だったから、なんか持って行った方がいいのかなと頭によぎり、おもたせみたいな感じで、二人分のサンドイッチと飲み物を買って持っていった。
それを用意して、マシューの寮へ行けば、マシューは私を見るなり笑顔で歓迎してくれた。
そしてサンドイッチを差し出した時のあの驚いた顔。
「(えっ、ほんと、すごい)」
目をぱちくりして私を見ていた。
自分が作ったものだったらよかったけど、買ってきたものだから、そのリアクションはちょっとびっくりだった。
「(君はなんか他の人と違うね)」
これはどういう意味だったんだろうか。
誰と比べてるんだろう。
一般的な女性とという意味かな。
こんな風に食べ物持参してくる女性って珍しいのかな。
これって、ちょっと点数稼いじゃったかもしれない。
マシューが私をさらにじっと見つめてくる。
ダイニングテーブルを挟んで私達は一緒に食事した。
この日は、マシューの宿題を手伝ったり、私の宿題したりで仲良くお勉強。
キャッキャウフフの時間だった。
それだけでも楽しかった。
「(あのさ、キョウコはどこか行きたい所とかある?)」
その質問は、一緒にどこかへ行こうという前フリだと思う。
それくらい推測できるんだけど、この時ほんとに行きたいところが一つだけあった。
海の近くの小高い丘なのだが、そこは見晴らしがよく、360度景色が見渡せるところ。
海も街も見下ろせて、ほんとに奇麗な景色が堪能できる。
特にお薦めは夜景。
昼間は何度か行ったことはあっても、夜景はまだ見た事がなかった。
ホストファミリーと一緒に過ごしていると、暗くなると家から出てはいけない風潮になる。
いつかそこで夜景や星空を見たいとずっと思っていた。
その事をマシューに話していたら、マシューもその気になって自分も行きたいと言い出した。
「(それじゃ来週そこに行こう。デートしよう)」
まさにそうなるかもっていう雰囲気はあったけど、こうもはっきりとデートしようと言われるとは思わなかった。
何かが確実に私達を突き動かしている。
時折何気に体に触れてくるマシュー。
ルームメイトは居ないし、マシューの寮に二人だけっていうのも、変な話、何が起こっても不思議じゃない空間。
男にしてみれば、ちょっとムラムラするのかな。
でもこのどっちつかずの不安定な状態というのが、一番ドキドキして楽しいものだと思う。
一線越えるのだけは抵抗があって、距離が縮まれば時々また離してという風に、私は一定の感覚を保っていた。
それにマシューの宗教ってかなりの規約があるから、男女間の間のことも結構厳しかったように思ったのだが、しかしそんなの当てになるのだろうか。
人間だから雰囲気に飲まれたら、来るときはくるだろうけど、でもまだお互いドキドキを楽しみたいというのもあり、どちらも二人きりになっても楽しい時間を過ごせる事がこの時一番重要だった。
だけど時折見せるマシューの真面目な表情に、どこかキスしたそうな雰囲気が出てきていたように思う。
気のせいならそれでいいのだけど、いつまでもキャッキャウフフフでは済まされない雰囲気が時々表に出てきていた。