第三章
3
自分のことだけで精一杯で、相手の立場というものなんか考えられないし、ましてや付き合ったこともない未経験者に、男の恋の心理なんて知りもしないし、そこにプラスアルファで考えようと言う気持ちすら持ち合わせてなかった。
乙女心は分かっても、男心というのは皆無に等しい。
普通、みんながそうじゃないだろうか。
自分を中心にして、恋というのは燃え上がり、相手には自分の思いを優先してもらって当たり前になってるような気がする。
恋は駆け引きと、まるで頭脳でゲームをするような感覚の例えをすることがあるけど、そんなの初めて付き合う人には全くちんぷんかんぷん。
考えてもみて欲しい。
何もかも必死で、目の前に好きな人がいて、それがとてもかっこよくて、ハリウッド映画から飛び出してきたような人で、舞台は南カリフォルニアで、言葉は英語で…… こんな状態の中、物事を客観的に見られるほど冷静になれるわけがない。
場所、状況、条件が夢のような設定。
少女漫画ならではの憧れがそのまま現実になって、どんどん進んで行く。
初心者にはレベルが高すぎる。
それでも心は彼を捉えて、好きになればなるほどこの恋にしがみつきたい。
そこに、守りの精神が出てきて、振り落とされたくない恐れが強くなる。
これが恋の醍醐味といってしまえば簡単だが、足元がふわふわとしているだけに、すくわれそうにかなり不安定。
彼にどう思われるだろう。
これでいいのかな。
嫌われたりしないだろうか。
常にどこかでチェックして、自分らしさを見失ってしまうとわかっていても、彼を目の前にすると自分じゃない何かが身を纏う。
好きになる弱み。
会いたい、でも会えば恥ずかしいし、構えてしまってきごちなくなって、必死に踏ん張って彼についていこうとしながらも、慣れない事柄の前では体が本能的にストップをかけてしまう。
初めての本格的な恋に対しての、この乙女心は男性にはきっと分かってもらえないだろう。
私だって、マシューが何を思って何を考えているのか全く分からないように──。
そんなマシューの内面の事を考えようと思う気持ちすら微塵もなかった。
だからこの日、あのキスをしてから、久し振りに会ったこのタイミングは、お互いの心理が噛み合わない最初のきっかけ、いや、それ以上にもっと根本的からの結末を意味するものとなった。
マシューの寮に向かうときは、やはりドキドキと心臓が高鳴ってしまう。
階段を上り終わって通路に出たときが、一番体に力が入って緊張が始まる。
ドアの前に立って、一呼吸してから、覚悟を決めてドアベルを鳴らす。
ドアの向こうで、かすかに自分が鳴らしたドアベルの音が響き、家の中からドアに向かってきている人の気配が振動と音で伝わってくる。
マシューがドアの前に立ったときの瞬間、そこからドアノブにふれてカチャッと回す音、全てがはっきりと聞こえる。
私はついごくっと喉をならすように、唾を飲み込んで、さらに背筋が伸びた。
すぐに笑おうと、マシューの背の高さの位置を想像して首が上向きになる。
ドアが開いたその時、マシューが出てきた瞬間から私は満面の笑顔を向けた。
マシューも嬉しそうに微笑んでくれ、そしてすぐに「カムイン」と家の中に招き入れられた。
何度も来ているので、靴を脱がなければならない躊躇いはなく、体もすんなりと彼の部屋へと入れた。
だが、何かが違うと感じたのは、部屋がとても静か過ぎた。
以前は他にルームメートがいる気配がしていたのだが、この日は全くって言うほど静かだった。
「(ルームメート達はいないんだ)」
この時のマシューの言葉の意味をもっと考えるべきだった。
英語だったから、ルームメイトが自らどこかへ行ったという意味で捉えたが、来ていきなりこの言葉が出たことにもっと深読みをするべきだった。
そしたらもっと、自分もマシューに対してちゃんとした対処ができたかもしれない。
でも、結局は同じことだったかも。
この部屋に入って、マシューに会って、もう最初から何も考えられなかったのだろう。
久し振りに会えて、お互いとても喜び合う。
すでに、自分達は惹かれあい、先のことも視野に入れての付き合いがお互いあったと思う。
あのデートの後、確実に私達の中では交じり合う度合いが強くなった。
ただ、その後をどうしていいのか具体的に知る教科書や参考書といった資料はなかっただけに、私は行き当たりばったり。
でもマシューの頭の中ではすでに計画があったようだった。
私としては、まだ一緒にいて、話をするだけで満足だったから、心は通ってると思っていても、マシューとの温度差がかなり開いていることに気がつかなかった。
マシューといつものようにふざけあって、キャッキャウフフフ感覚でじゃれあって遊んでいた。
相変わらずマシューは柔らかな物腰で優しいし、とても紳士的に見えた。
私も徐々に心は開いてきていたし、この時とても好きになっていたから、側に居るだけで幸せを感じていた。
おしゃべりするだけなら、ルームメイトが全て出払ったこのリビングルームで過ごす方が、ベランダに続く大きな窓が開放感タップリに快適だったはず。
それなのにマシューは自分の部屋に向かい私においでと中に誘った。