第三章
8
マシューはあの時、理性より欲望が勝ってしまっていたのだろうか。
私は自分という餌を目の前に差し出しながら、それを突然にキャンセルしたことで、反感を買ったということ?
誰だって、これあげると差し出されて、いざそれを手にしようとしたときに、やっぱりやーめたなんて気が変わって、さっとかわされたら気分のいいものではない。
そう喩えれば、これは完全に私が悪い。
はっきりと自分の意思表示を先にしなかったことで、こんな風になってしまった。
マシューが怒るのもなんとなくだが、日が経って徐々に理解を示せる。
だけど、このもやもやする気持ちはどうしても払拭できないまま、割り切れない。
あれからなんの連絡もないのは、もう私の事を完全にふっきれたということなのだろうか。
女心も複雑だけど、男心も知らなさ過ぎて全く読めない。
そんなもやもやを持ち続けていると、私はまた彼に会いたくて何度も校舎へと通ってしまった。
マシューには会えなかったとはいえ、やってる事はほんとにストーカーだった。
結局会えないのに、それでも何かを期待して、会えると信じてしまう。
時には、彼の車があるか駐車場を覗いてしまった。
そこにオレンジ色のジープを見てしまうと、もう最高に胸が苦しくなる。
分かっているのに、なぜそんな苦しい思いをしてまで、それを見にいこうとしてしまうのだろうか。
自分で自分を虐めてしまう。
痛いと分かって突付いてしまいたくなる心理。
それを見たからといって、状況が良くなるとも限らないのに。
ため息だけが一層深く、肺の奥から空気が出て行くばかりだった。
それからどれだけ経っただろうか。
時にすれば一週間とちょっとくらい。
その時変化が起こった。
夕ご飯が済んで、まだ夜の七時にもならなかったときだった。
電話がなった。
もうマシューからの連絡はないと決め付けていたので、それがマシューからの私への電話だったときは非常にびっくりした。
それこそ、ずっと待っていたことだった。
「キョウコ、ゲンキ?」
何事もなかったような話し方。
どこかよそよそしい訳でもなく、堂々として普段と変わらない。
こっちは思いっきり悩んで、苦しんで、どうしていいか分からなかったのに、あの時の説明もないままに、普通に会話が始まる。
一体これはどうなっているのだろう。
「(キョウコ、今から会えない?)」
またドキドキがぶり返してくる。
「(どうしたの? 急に)」
「(それが日本語の宿題があって、どうしても一人でできないんだ。だから手伝って欲しい。今すぐ迎えに行くから)」
「(ちょっと待って、ホストファミリーに聞かないと)」
近くでうろついていたホストマザーに出かけてもいいかと聞いたら、にんまりとした笑顔で承諾された。
あまり私を煽らないで下さい。
この状況でマシューに誘われても全然嬉しくなかった。
あれだけ会いたいと思って、ストーカーまがいのことまでやってのけたのに、肝心なことを話さずに用事だけ伝えられて会いたいといわれると、私は一体なんなの? という疑問がでてきた。
結局はマシューの言うままに私は彼の宿題を手伝いに行くのだけど、なぜ宿題をもってここに来ないのだろう。
別にホストマザーは人を迎え入れることには反対しないだろうし、その方が時間短縮だし、効率がいいようにも思う。
なのにわざわざ迎えに来て、マシューの寮に行くメリットはなんだろう。
また頭の中でぐるぐるとしてくる。
何か引っかかるものがあるのに、またマシューに会えるというこのチャンスはどこか喜ばしいとも思える。
嬉しい、でも素直に喜ぶのが虚しい。
かといって連絡がずっとなかったときに比べれば、やっとまた会える喜び。
どう捉えていいのか、気持ちも激しく浮き沈みしてくる。
なんだか振り回されている自分が悲しい。
それなのに、マシューがやってくると思うと、ドキドキして落ち着かなかった。
何度も窓から外の様子を見てそわそわしていた。