第三章


 ケムヨがメイド服で家に戻ると、玄関先で出迎えたシズは驚き目を見開いた。
「お嬢様、なぜそのような格好に?」
「話せば長くなるんです」
 と言いつつも、全く話したくなかったので下向き加減に目を逸らす。
 シズはそれを読み取り、話題を変えた。
「だけど、パーティは大丈夫でしたか?」
「途中で抜けてきたから、おじいちゃんの役割をちゃんと果たせなかったかもしれない。やっぱり怒られるかな。どうしよう、シズさん」
「旦那様はお怒りにはなられないでしょうが、相手の方はどう思いになられるのか、それが心配でございます」
「えっ? 相手の方? どういうことですか?」
「パーティには笑美子お嬢様とお見合いなされる方がいらっしゃるとかで、それで今日は前もって顔合わせのつもりで旦那様がお嬢様をパーティに出向かせたのでございます」
「ちょっと待って下さい。なんでそんな話になってるんですか。だけど相手って一体誰?」
「お会いになられませんでしたか? 向こうはご存知だったんですが」
「出会ったのは政界の息子の二宮タケルだったけど…… まさかあの年下が私の見合い候補?」
「私もどなたか詳しくは存じませんが、かなりいいところの御曹司とは伺っております」
 ケムヨは祖父のたくらみにうんざりしてしまう。
 文句の一つでもいいたかったが、あの人に刃向かえる訳がない。
「おじいちゃん怖いもんな」
 ぶつくさいいながら自分の部屋に篭ってしまった。

 次の日、パートの仕事で会社に出勤し、昼休みになればタケルを探しに社員食堂へ向かった。
 途中、社員食堂に向かって廊下を歩いているタケルを見つけ、後ろから手を取り人のいない会議室を見つけてそこへ連れ込む。
「姐御、どうしたんですか?」
「ちょっと昨日のことなんだけど」
「ああ、アレですね。あの後大丈夫でしたか? あの人見事に姐御を追いかけていきましたね。僕も何か質問されても困るので避けて、あの後は全く言葉を交わしませんでした」
「そうじゃなくて、そのなんかうちの祖父から聞いてない?」
「えっ? 別に何も聞いてませんけど。なんなんですか?」
「何も聞いてないの? お見合いのことは知らないの?」
「何ですか、お見合いって? 僕まだ22歳ですけど、この年でお見合いは早いかと。その前に恋愛したいですし、姐御誰かいい人いませんか?」
「えっ、そ、そうだね。また居たら紹介してあげる……」
 ケムヨは一先ずほっとして、何も考えずに適当なことを言った。
 やはりあのパーティでは途中で退場したために会えずじまいだったのかもしれない。
 それにしてもあんな場所に見合い相手がいたなんて。
 祖父のたくらみにケムヨは辟易してしまった。
「姐御、なんだかお疲れのようですね。僕でよかったら相談に乗ります。公には言えませんが、姐御のおじいさんには僕も父もお世話になってますし」
「二宮家も裏で糸引いてそうね。うちの祖父と本格的に付き合うとあと大変よ。あの人は計算高く動くから義理とかいろいろそれとなく求めてくるわよ」
 それは心得ているとタケルは誤魔化したような笑顔を見せていた。
 二人はまた昼食を一緒に取ろうと社員食堂に向かった。
「そう言えば、前回ここできつそうな女性に何か言われてましたけど、もう大丈夫ですか?」
 何を食べようかと並べられた色々なおかずを見ているときにタケルが話しかけてきた。
「何か言われてももう慣れてるから大丈夫」
「そうですか。詳しく分かりませんけど、女性って怖いですね。あっ、そのケムヨさんが怖いっていうんじゃないですよ」
 タケルは慌てて訂正する。動揺して食べたいとも思わなかったのに手前にあった小鉢を一つ取っていた。
「そうよね、ほんと怖いよね。だけどそれって女だからって拘ることでもないわ。切羽詰ったときは男女関係なく人間の本能が出てしまう。特に自分が得られないものを持ってる人を目の前にして、悔しさと嫉妬が混じったときが人間という生き物は怖くなるものよ」
 ケムヨは独り言を言うように呟き、そして適当に目の前にあったものをトレイに乗せてさっさとレジに向かった。
 タケルは置いてけ堀を食らいたくないと慌ててその後をついて行った。

 テーブルについて二人で食べ始めたとき、タケルの背後から女性が「ご一緒してもいいですかと」声をかけた。
 タケルは面識があったのか、小さく声を漏らしたように「あっ」と驚いていた。
 その女性はタケルと同じ部署の派遣で働いている井村多恵子だった。
 目を大きく見せようと睫毛が上向きにカールしてそこにアイラッシュがたっぷりと塗られている。
 タイプとしては優香のような派手さがあり気が強そうだが、髪の毛先が柔らかにはねたセミロングの明るめの髪がふわっとして、幼いかわいらしさがあるので小悪魔的タイプに見えた。
 思い切ったことをしでかしそうで、でもそこに悪気がない無知な部分が見える。まだ世間のことを知らなさ過ぎてツンとした粋がってる部分があるが、経験を 積めば丸くなっていくかもしれないし、または擦れていくのかもしれない。まだ何にも染まってないがどっちにも転びそうな少しつかみ所のないような女性だと ケムヨは一瞬で読み取った。
 最後に細身だが胸がでかいとふと思ったのは、ケムヨが自分の胸にコンプレックスを抱いてつい見てしまったからだった。
 多恵子も優香同様に男性を探して、タケルを狙っているような匂いがプンプンと立ち込める。
 ケムヨは冷静に多恵子の様子を見ていた。
 席が空いているので断るのも不自然だと、タケルは一度ケムヨに気を遣う態度で目を合わし、ケムヨが気にしてなかったのでどうぞと手を差し伸べる。
 トレイをテーブルに置き、嬉しそうに多恵子は椅子を引いて腰掛けるその一瞬、向かいに座っていたケムヨをきつい目で睨んで、すぐに視線を逸らした。
 ケムヨは気がついたが、相手にするのも面倒臭いと黙々と食事をする。
「二宮さん、この方は?」
 早速自分の知りたいことを探ろうと多恵子はケムヨのことを聞いてきた。
「ああ、こちらは……」
 タケルがいいかけると、その上に被さるようにケムヨは自ら自己紹介をする。
「ナサケムヨ。28歳、週に二、三回来るだけのパートのおばちゃん」
 そしてまた食事を続ける。タケルも多恵子も愛想のないケムヨに一瞬唖然としていた。
「姐御、パートだったんですか?」
「そうよ、今は適当に働いてるだけ」
 それを聞いて多恵子は勝ったと少し口元を上向きにする。
「私は井村多恵子です。派遣ですが二宮さんと同じ部署で働いてます。ちなみに年は21歳です」
 勝ち誇った笑顔で最後の年の所を強調していた。
 興味がないとひたすらケムヨは無視をして食べていた。
 その瞬間から多恵子も自分のライバルではないとケムヨを気にせずタケルに話しかける。
 課長が短気で気分次第で怒ることや、同じ部署の社員から無理な注文を受けて辛いと愚痴を言い出した。
 そこにはタケルもいつも上司から注意を受けていることや、同じ境遇だからと仲間意識を持ちたいという気持ちがあったからだった。
 タケルは優しい性格なのか適当に返事して相手しているが、ケムヨの目から見ると多恵子には目も暮れていないことは分かっていた。
 自分と同じだ。
 タケルの状況と自分を重ね合わせると不意に口角が上を向く。
「ごちそうさまでした。それじゃお先に」
 ケムヨはすくっと立ってさっさと去る。
「あっ、姐御!」
 タケルは何か言いたげだったが、ケムヨは振り返らずにそのまま社員食堂を後にした。
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