第三章


「一体何の用?」
 図書室の本棚の前で、本を手に取り佇んでいた近江君に私は声を掛ける。
 メモを貰ったから会いに来てやったという、上から目線な態度を向けてしまった。
 近江君は落ち着いた様子で顔を上げ、私をまじまじとみてから片方の口角を粋に上げた。それがとてもふてぶてしかった。
「お前、なんか怒ってるな」
「怒ってないわよ」
「文句あるのなら、はっきり言ったらどうだ。溜め込んじまうと体に悪いぜ」
「そんな事のために私を呼んだの?」
「そんな事? どんな事だよ」
「だったら、なんで私をここへ呼び出したのよ」
「うーんなんでだろうな」
「えっ?」
 近江君は手に持っていた本を棚に戻し、暫く考え事をするように動かないまま話しだした。
「だけどさ、俺、お前を呼び出したんだろうか。メモには『昼休み 図書室』としか書かなかったけど」
 不思議そうにして再び私に視線を向けた。
「はぁ? そういうメモを机に貼り付けたら、誰だって呼び出しって思うじゃない」
「そうかな。もしかしたら、自分が居る場所を教えただけかもしれない」
「そんなことしてどんな意味があるの?」
「だから、遠山はここに来たんじゃないのか。俺が昼休み図書室にいると思って」
 意味がわからなかった。これじゃ私が勝手に会いに来たということなのだろうか。
 だけどあんなメモをみたら、誰だって呼びだされてると受け取ると思う。それをどうして呼び出してないと言い切れるのだろうか。
「私をからかってるの?」
 ついムキになってしまう。
「ほら、やっぱり遠山は怒ってる」
「こんな風に訳のわからない事したら怒るわよ」
「それでいい」
「ちょっと、何よ。どういうつもり?」
「素直になれってことさ。遠山は俺と係わったことで要らぬことを押し付けられただろ。手紙の事やマネージャーの事とか」
「えっ、それは」
「そして俺に恨みがある」
「恨み?」
「ないのか、恨み」
「そんな事言われても」
「じゃあ、逆にそんな風に思った事ないのか?」
「それは……」
 もちろんある。大ありだ。全てはみな、近江君に係わったから始まった。
 私は眉根を寄せながら、近江君の顔をまじまじと見つめた。
 一体近江君は何が言いたいのだろう。
「サッカー部は楽しいか?」
「えっ?」
「あいつ…… 草壁…… と、うまく行きそうか?」
「はぁ?」
「これはちょっと野暮な質問だったな」
「近江君、一体何が言いたいの?」
「俺が言いたいんじゃなくて、遠山がどうするかだろ」
「近江君の言ってる意味がわからないんだけど、一体私にどうしろっていうの。恨みとか言って、近江君に怒りをぶつけろってこと?」
「やっぱり俺に対して多少の不満はありそうだな」
「もちろんあるわよ。近江君と係わってから変な方向に行ってしまったって思った事もあるし、こんな風に訳のわからない事を言われてイライラもする。もっと分かるように説明してよ」
 近江君はクスッと笑った。
「今の言葉、もう一度鏡見て言ったらいいぜ」
「ふざけないでよ。はっきり言ってよ」
「はっきり言って…… か。そうだな、何をはっきり言えばいいんだろうな。それより、お前こそ、はっきり言えばいいじゃないか、笹山に」
「えっ、希莉?」
「お前、猫かぶりすぎだぞ。まあ、俺は猫好きだからいいけどな」
 ──猫かぶり
 なぜだかその響きにドキッとしてしまった。
 この訳のわからない会話にとても違和感を感じ、どこか意図されたような近江君の企みがあるように深読みしてしまう。
『ふざけないでよ。はっきり言ってよ』
 自分が発したこの言葉。なんだろう、この感触。とても自分勝手に聞こえる。
「遠山、あまり悩むなよ。気楽に行けばいいんだよ。そういえばこういうの英語でなんていったかな、えっと」
「Take it easy」
「そうそう、テーキィットイーズィー」
 英語を意識した発音だった。
 私はぼんやりとして無言で遠山君を見つめてしまう。
「英語、得意なんだろ?」
「えっ?」
「なんかそんな気がしたんだ。もしかして家庭教師とかつけてるんじゃないのか?」
 たまたま単語を知っていただけで、勉強していると思われるのもあれだが、家庭教師とはいわなくても、英語に関しては分からなければ父が教えてくれるから、その点は大いに助かっているのは確かだった。
「ちょっと知ってただけだから、それよりも、近江君」
「ん?」
「一体私達ここで何をしてる訳?」
「理由が必要か?」
「はぐらかされたり、支離滅裂に話が飛ぶから、訳がわからなくて」
「それに関しては、俺もちょっと複雑だから、つい色々とごっちゃになってしまったけど、ただ、遠山と休み時間過ごしてもいいじゃないか。理由なんて俺にはどうでもいい。それに……」
 近江君はそこでじっと私を見つめていた。
「な、何?」
「俺の前では気を遣ってないだろ。息抜きだと思えばいいじゃないか」
「息抜き?」
「俺には気を遣わなくてもいってことさ。俺の前だと遠山は素直になれるだろ。この先もずっとそのままでいろよ」
 確かに近江君には慣れてしまって、気を遣うことはなかったが、改めてこんな事を言われると、恥かしくなってくる。
 常に気にかけられているようで、私の事を見透かしているようでもある。
「まるで私の事観察して、なんでもお見通しって感じがする」
「やっぱり気になるから仕方がない。これも猫が取り持つ縁かな」
「猫?」
 同じ猫好きでブンジの写真をあげたから、私が気になるっていうの? 
 結局近江君との会話は最初から最後までチグハグして、取り止めもなく終わった。
 教室に戻ると近江君は物静かになり、私も何もなかったように静かに席についた。
 近江君にやられっぱなしになったけど、決して嫌な気はしなかった。ああやって思うままに気持ちをぶつけて話せるのは近江君だからのような気がする。
 でも私は近江君を見下してるから、あんな態度が平気で取れるのだろうか。いや、そんな事はない。近江君はクラスでもトップを争うくらいの成績だし、一人だからと言ってクラスで虐められている訳でもない。
 寧ろ孤高の人といっていい。
 そんな近江君がありのままの私を受け止めてくれる。よく考えれば不思議なことだった。
 やっぱり猫好きは猫好きを呼ぶということなのだろうか。全てはブンジの事から始まって、ついつい私の方が嬉しくなって心開いてしまった。
 この日は放課後もずっと近江君の事を考えてしまい、部活でもやることが特にないと、ボーっとしてしまった。
 まさかこの時ボールが飛んできて、自分の顔面を直撃するとは考えも及ばなかった。
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