第三章 頭上で揺れる猫じゃらし


 あれから数日後、人間関係が上手くいかないまま時が過ぎ去った。
 クラスに入れば、希莉との距離感の問題。
 放課後気乗りしないままに、サッカー部の部室へ足を運ぶ日々。
 一人帰宅中、サクライさん親衛隊を避けるサバイバル。
 何かの罰ゲームかというくらい、そのへんに敵やゾンビがいて逃げ惑うような高校生活となってしまった。
 サクライさん親衛隊隊長の常盤さんと、帰宅途中で一度遭遇した時は、全速力で走って逃げた。
「あんた、なんで逃げるのよ」
 『泣く子はいねがぁぁ』とナマハゲを想起するくらい声を上げられて、リアル鬼ごっこのように追いかけられた時のあの恐怖感は、戦場さながらの迫力だった。
 隣のクラスの加地さんは、たまに廊下ですれ違うが完全に無視され、わたしの存在を真っ向から否定している。
 クラブでは部員がいるのでかろうじて最低限の会話があるが、まだ慣れなくてキビキビ動けない私を容赦なく押しのける。仕事ができないレッテルを押し付けるようだった。
 この二人は別に避けることで回避できるが、希莉についてはそうも行かない。
 元に戻りそうで戻らないようなヤキモキ感が一番苦しかった。
 そんな思いを抱えつつ、毎日は過ぎて行き、それだけでは終わらない新たな事もどんどんやってくる。
 その一つに、下駄箱にサクライさんからの警告の手紙が入っていたときは、マネージャーになったことを後悔した。
 その手紙には、私がマネージャーになった事は歓迎していないが、仕方のない諦めから始まり、サッカー部に入ったからといって、草壁先輩とは距離感を持つことやいい気になるなといった、一応心得みたいなのが書かれ、恨みつらみの感情が込められているようだった。
 表向きは大人な対応でも、手紙に本心を書いて知らせて来たのだろう。
 それでも、私は真摯に捉えておこうと思う。
 今更嫌だとは言えず、後にも引けないし、サクライさんはそのうち辞めるから、それまでの辛抱なのかもしれない。
 だけど、私はサクライさんの事を尊敬の念を持って見ているだけに嫌われているってなんだか悲しい。
 殆ど諦め気味に、言い分を受け入れ、その手紙は戒めとして鞄に入れていつも持ち歩くことにした。
 こんなトラブル続きでも、サッカー部のマネージャーになった事はちょっとしたニュースとなり、すぐさま相田さんの耳にも入り周りが騒ぎだした。
 お蔭で周辺が賑やかになり、人が集まり出す。
 そっとして欲しいというのに、いつも真逆の方向へ行くのが辛い。
 ただ、一定の距離を保ちながら希莉も柚実もその輪に入ってたから、雨降って地固まるじゃないがどさくさに紛れてまた元に戻れる期待も抱く。
 時々希莉を見つめ、すぐにでも寄りを戻したいと笑顔を送れば、希莉は私の微笑みに逡巡する。
 唇がかすかに動きながらも声が伴わず、結局はぎこちなく目を逸らして他の人の会話に視線を向けてしまった。
 柚実も私達がいつまでも進展することないこの態度にいい加減飽き飽きしてきた様子でヤキモキしていた。
 私達の目の前で露骨に溜息を吐いたり、独り言を話しているようで、不満を少しだけ漏らしたりする。
「最近肩凝ってきちゃってね」
 自分の肩をトントンと手で叩いて、見せ付ける。
 希莉はその度に途方にくれ黙り込んでしまうが、私はヘラヘラとした見せ掛けの笑顔をつい作ってしまう。
 希莉は頑固に突っ走り、私は全面的に折れて希莉の心が開くのをひたすら待つという状態がずっと続いていた。
 そんな私達の複雑な思いとは裏腹に、休み時間の教室内はがやがやとざわめき、皆それぞれ話題が尽きることなく会話が弾んで活気付いていた。
「それで、草壁先輩とはどうなってるの?」
 私がマネージャーになったことで、相田さんは益々私に一目を置き、私の側に来ては根掘り葉掘り草壁先輩の事を質問してくる。
「だから、その、今はサッカーのルールや仕事を覚えることが忙しくて……」
 そんなに気になるのなら相田さんがサッカー部のマネージャーになればよかったのに。
 今からでも遅くないから入部すればと言ってみるが、相田さんは首を横に振る。
「私は遠くから見ているだけで幸せなの。自分で勝手に妄想して楽しむのが好きなの」
 一体何を妄想して楽しむというのだろう。相田さんはオタク傾向が強いので、もしや男性同士のアレのネタにしてるのかもしれない。
 想像するとなんだか震えがきてしまい、怖くて訊けなかった。
「だけど、千咲都がサッカー部のマネージャーだなんて、本当にやっていけるの?」
 口を開いたのはなんと希莉だった。
「えっ、そ、それは」
 私は突然の希莉の質問に言葉が詰まってしまう。希莉が私に声を掛けてくるのは久し振りのような気がする。
「だって、千咲都は優柔不断で、頼りないじゃない。そんな人に世話役が務まるなんて、私思えないな」
 久し振りに話しかけてきてくれた希莉の言葉は、とても尖って私の心をちくっとさせた。
 希莉が私を否定しているのがとても悲しい。もう元に戻れないくらい私達の溝は深く開いてしまったのだろうか。
「私もそれはよくわかってるけど、でも、こんな事になるとは思わなくて」
「よくわかってるの? ほんとに? それでも、断れなくて受けたってこと?」
 白々しさが残る呆れた希莉の声がきつく耳に届く。
「うーんと、そ、そういう事になるのかな。でももうやるっていっちゃったし、言ったからにはやっぱりちゃんとやらなくっちゃ」
 ここでポジティブに、やる気になってると笑顔を添えてアピールしておく。それがやせ我慢だと分かっていても。
「千咲都、やっぱり何も分かってないんだね」
「えっ?」
 私達のやり取りを周りは静かに聞いて、トンボが不意に飛んで行ったような間が暫く空いた。
 しらっとした空気を皆感じ、先が続かなくなった。
 ちょうどタイミングよくチャイムの音が割り込んで、一足早く希莉はさっさと自分の席に戻ってしまった。
 体全身が心臓になってしまったように血がドクドクとして激しくドキドキする。無意識に胸を押さえ、私は息を沢山吸い込んでいた。
 希莉は何を思ってあんなことをいったのだろう。私は去っていく希莉の背中をじっと見ていた。
 周りの皆も席に戻りだし散らばっていく中、柚実は気を遣うように私の肩に優しく触れた。
「千咲都、希莉は寂しいんだよ。もちろん私も」
「柚実……」
 私だって、私だってとっても寂しい。だから元に戻りたくて、いつも努力してるというのに、なんでいつも頑なにそれを受け入れないで、強情なの?
 文句を言いたくなる気持ちがこの時ぐっとこみ上げて、喉元がつかえてしまった。
 喉をゴホンと鳴らして引っかかりを払うも、気分は優れなかった。
 そして自分も席に戻った時、机の上に何もかかれてないポストイットが一枚貼りつていた。
 偶然なのだろうか。始末するつもりではがせば、裏から走り書きの文字が現われた。
 昼休み
 図書室
 二つの単語だけが走り書きされていた。
 すぐさま、近江君の方を振り返れば、案の定憎たらしい笑みを向けていた。
 私はこの時、どんな風に彼を見ていたのだろう。
 ただポストイットのメモをくしゃっと握りつぶしていた。
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