第三章


 それから暫くして、屋敷の周辺は慌しさを帯びた。街から五人の男達が入り込み、森の奥深くへ通う行為が数日続いていた。
 マスカート、ムッカ、カルマン、バルジは様子を見ながら、森に潜り込む人々を警戒していた。
 あまりにも頻繁に続くので、最終的に警告をするが、向こう見ずな男達のグループは一向に聞く耳持たずだった。その中の一人に、ムッカの昔の仲間がいたのもよくなかった。
「負け犬ムッカがいるぜ。こんな奴の話は全部嘘だ。皆、信じるんじゃないぞ。こいつは弱い癖に口ばっかりで粋がってたような奴だ」
 ラジーと呼ばれるその男は、ムッカを蔑んで見ては、唾を吐いた。
 ムッカは昔の弱みもあり、されるがままになっていた。
「ちょっとこれ、やばいよ、マスカート。なんとかして」
 カルマンが小声で耳打ちする。
 マスカートもまずいと思いながらも、ムッカが辛抱強く耐え、葛藤している手前上、どう行動していいかわからなかった。とりあえず、一歩引いてムッカに判断を委ねていた。バルジもいつでも動けるように、その後ろで鋭く睨み続ける。
「なあ、ムッカ、本当はこの森にお宝が隠されてることを知ってるんだろ。どこにあるか教えろよ」
「そんな物はここにはない。早くこの森から出て行け」
「何をえらっそうに。もうお前のいう事など誰も聞きやしない。お前は怖気づいてグループから逃げたんだからな。この弱虫が」
「違う、ただ嫌気が差しただけだ。もう虚しい真似をするのが嫌になったんだ」
「散々、俺達にえらっそうな態度とって暴れてた癖に、何を今更。結局、お前は俺達を売ったんだよ。この裏切り者が」
 ムッカは苦虫を噛んだ様に顔を歪めていた。
 本当は自分が弱かったのを充分に分かっていた。それを誤魔化すために、粋がって数人の男達を集めて悪ぶったグループを作った。
 自分を大きくみせるために、見栄を張り、たまたま強がったハッタリが成功しただけで強い者と思われた。
 ムッカの下につくものは、疑うことなく自分達が強い集団と思い込みムッカを益々祭り上げる。ムッカも最初はそれで満足していたが、後に引っ込みがつかないほどに、グループは名前ばかりが有名となっていく。
 そうなると他の者はその名の下で暴走し、ムッカの目の届かないところで益々エスカレートして悪いことをする者も出てきた。
 そこまで悪くなれないムッカはそのうち虚栄心まみれの自分が嫌になり、それが心苦しくなっていた。
 ある日、仲間が盗みを働こうと計画を立てていることを知り、犯罪者になることを恐れたムッカは仲間を裏切り、その情報を公に洩らした。
 事件は回避できても、仲間との信用はすぐさまなくなった。そこから袋叩きにされて追放され、ムッカは街にも住めなくなった。
 だからムッカは逃げたと思われても仕方ないし、実際逃げてきてるから言い返しもできない。ぐっと耐えるしかなかった。
「俺達の邪魔をするんじゃない。ここ数日森に入ってもオーガなんてどこにもいないじゃないか。お前と同じハッタリじゃないのか?」
 意地の悪い笑みを浮かべ、馬鹿にするように笑えば、周りの仲間も同じ態度を取っていた。
 マスカートとカルマンは、引き続きハラハラしては、助けを請うようにバルジを一瞥した。バルジは首を横に振り、とにかく耐えろと二人に示唆するが、バルジもこの連中に腸が煮えくり返っていた。
「この森はオーガだけでなく、人食い植物や毒キノコが生息している。人間を襲う動物もいるし、危険は一杯だ。森を舐めて油断するのは命取りだ」
 ムッカはできるだけ冷静に忠告した。
「だったらなんで、お前達四人はノコノコとこの森に住んでんだよ」
「俺達はある程度の知識がある。それは雇い主から叩き込まれた。入ってはいけない場所、生息する動物の習性、そしてオーガの縄張り。それを知っているから、動ける範囲で活動している」
「入れない場所に、縄張りだって? 笑わせるな。本当はそこにこの森のお宝がたっぷりあって、お前の言う雇い主が独り占めしてるんだろ。聞いたぞ、この森には金が眠るって。それは一体どこにあるんだ。早く教えろよ。この弱虫やろう」
 ムッカは胸元を掴まれ引っ張られた。
「おい止めろよ」
 カルマンが見てられなくて、ラジーを突き飛ばした。
「なんだ、コイツ。アホ面しやがって、生意気な」
 安っぽい挑発だが、プライドの高いカルマンには簡単に攻撃のトリガーを引いてしまう。カルマンの瞳はギラギラと怒りで燃え盛った。
 カルマンは腰の剣を抜いてしまい、邪悪な笑みを向けてラジーめがけて振り下ろす。
「止めろ、カルマン!」
 ムッカは咄嗟にラジーを庇い、カルマンの剣を左腕で受けていた。切られた部分の袖から赤い血がにじみ出て、そして手首にもつたわりポタポタとゆっくり地面に落ちていく。
「なんで止めるんだよ、ムッカ。こんな奴痛い目に合えばいいんだよ」
「カルマン、俺達は人助けはするが、むやみな争いはしてはならない。同じ土俵に立つんじゃない。わきまえろ」
 後ろからバルジが黙ってカルマンの首根っこを掴み、有無を言わさず引っ込まさせた。
 にらみ合いが暫く続くも、ムッカの血は大地に鮮明な赤色を焼きつかせ、ラジーの視界に無理やり入り込んでいく。ラジーは気に食わなさそうに顔を歪ませるが、次第にそれは息苦しさを伴わせた。
「なんだよ、わざとらしく恩着せようという魂胆か? 馬鹿馬鹿しい。全てが茶番劇なんだよ。今更そんな事して何の意味がある」
「ラジーこそ、悪ぶってなんの意味がある? どうせ引っ込みがつかなくなって、虚栄心だけでこの森に入って粋がってるだけだろ。本当は怖いくせに」
「なんだと!」
「無理しなくていい。俺も少し前まではそうだったから」
「俺はムッカとは違うぜ。絶対に仲間を売らない」
「もし仲間が間違ったことをしようとしていてもか。そうやって流されてどんどん深みにはまって、結局は取り返しのつかないようになるぜ。その前に気付け、ラジー」
「馬鹿馬鹿しい。話してても埒があかない。皆、こんなのは放っておいて、行こうぜ」
 ラジーはもっと森の奥へ進もうと歩き出した、その中の一人が、ムッカの話に怖気づいて出足を鈍らせた。
「おい、何してんだ、早く来い」
「だって、人食い植物や恐ろしい動物がいるんだろ」
「そんなの嘘に決まってる。ムッカはハッタリをかましただけだ。早く来い」
 ラジーは嫌がる手下を無理やり引っ張って行ってしまった。
 姿が見えなくなったところで、カルマンがムッカの前に立った。
「あーあ、僕に切られちゃって。馬鹿だなムッカは」
「お前な、もう少しで勇者の名前に泥をぬるところだったんだぞ。一般人を攻撃してどうするつもりだったんだ」
「あんなのどうせ雑魚さ。この世には必要ない人間さ」
 カルマンの悪ぶった若者に対する見下しは今に始まったことではないが、暴言を吐かれて、簡単に剣を振りかざした事は大問題だった。
 ムッカはマスカートと顔を見合わせ、その懸念をお互い認識していた。
 バルジは腰に掲げてた手ぬぐいを手に取り、そしてカルマンの傷口を応急処置する。
「すまない、バルジ」
「大した傷ではない。だが、ジュジュが心配する」
 ムッカは縛られた腕を見て「そうだな」と小さく呟いた。
 その時、森の奥から悲鳴が聞こえ、周りの小動物たちが一斉に騒ぎ出し、緊張感が走った。
 先ほどのラジーの子分たちの一人が腕に傷を負いながら走って逃げてくる。
「助けてくれ、オーガだ。オーガが出た」
 その男は怯えきって、腰が抜けてしまった。
 ムッカとマスカートは同時に、バルジに真剣な眼差しを向けた。バルジは「うむ」と頷いてそれに応えた。
「ほら、言わんこっちゃないのに。だけど本物のオーガみたいだね」
 カルマンは暢気に笑みを浮かべては、いい気味だと笑っていた。
「ムッカ、どうする?」
 マスカートに判断を委ねられ、ムッカは口を一文字に結んで、そして森の奥へと真っ先に走っていった。その後をマスカートとバルジも追いかける。
「ええ、あんな奴らを助けに行くの? 放っておけばいいのに」
「お、お願いです。仲間を助けて下さい。皆、怪我をしてうずくまっています」
「うそ、オーガにやられたの? あらま。どうしようかな。さっきはラジーに馬鹿にされたしな」
「お願いします。お礼はちゃんとしますから」
「君、中々律儀だね。分かった。それじゃ、ハム、ソーセージ、それからチーズ、それと……」
「わかりましたから、何でも差し上げますから」
「そう、だったら助けてくるね」
 カルマンは二カッと歯を見せて笑い、そして遅れてムッカたちの後を追った。
 その先で、オーガに攻撃されて傷を受けている者達が横たわり、皆その手当てに忙しそうにしていた。
「あれ、オーガは?」
「すでに去った後だった。しかし、来るのが遅いぞ、カルマン」
 マスカートがその辺で見つけた薬草を手でもみ、それを負傷した男達にすり込んでいた。
「あら、あのラジーって男がいないけど、もしかしてオーガに食べられたの?」
「そんな訳がないだろ。アイツは仲間を放っておいて真っ先に逃げたのさ」
 ムッカが言うと、負傷していた者達は悔しがるように俯いていた。
「まあいいさ。とにかく屋敷にみんなを連れて行こう。ちゃんと手当てしないと、傷口が悪化するかもしれない」
 マスカートは皆の傷を心配すると、ある者は素直に謝り、またある者は涙を流して反省していた。
 殆どのものはオーガとの接触でショックが強く、引っかかれた傷口よりも、深く傷ついている様子だった。
 バルジは歩けなくなったものを肩に担ぎ、ムッカとマスカートも肩を貸して寄り添った。カルマンは時々後ろから自力で歩ける者のケツを蹴ってはしっかりしろと励ましていたが、それは不評だった。
 屋敷に戻れば、案の定、ジュジュが悲壮な顔をして青ざめた。
 運びこまれた負傷者が次々と広間に連れてこられ、モンモンシューがびっくりし右往左往して飛んでいた。
「ジュジュ、手当てを手伝ってくれるか」
 マスカートは色々な薬草を用意しながらテキパキと負傷者の傷を手当する。
 ジュジュはそのアシスタントとして大いに役立った。特に負傷者が、ジュジュに手当てをしてもらうだけで気持ちがよくなり、ポッと頬を染めて照れていた。
「大丈夫ですからね。マスカートは薬草の名医なんですよ。すぐに治りますからね」
 ジュジュは皆からの視線を浴びていた。
 ジュジュのいう事を素直に聞くラジーたちの手下を見て、ムッカは微笑む。
 ジュジュはその晩、沢山の夕食の用意に追われ、とても働いていた。
 食事は美味しく、優しく介護してくれ、手下達はジュジュにメロメロになっていく。誰もが、心も傷も癒され、そしてそれが大いに影響し、尖った部分が丸くなっていく。
 この時ばかりは、ムッカの話にも耳を傾け、結局は見捨てて去ってしまったラジーに憤りを感じていた。
 しかし、ムッカはラジーを庇った。追い詰められて逃げ出したり、心の弱さは誰にでもある。それを許してやり直すチャンスを与える事も必要だと付け加えていた。
「ムッカは甘いな」
 カルマンはそれを陰で嘲笑った。
 ジュジュは真剣にムッカの話を聞いては、感銘を受けていた。
「ムッカはとても男らしいと思うわ。自分の弱さを知った上で、負けない勇気のある人だわ」
「ジュジュ……」
 ムッカはジュジュに褒められ、心が洗われていく。そして小さく「ありがとう」と呟いた。ジュジュにはそれがちゃんと聞こえたみたいで、優しい笑顔がムッカに向けられた。
 その笑顔を見るだけでムッカには充分だった。好きになった人に、自分の思いは届かなくとも、自分自身を理解してもらえた。それだけで心が満たされていた。
 オーガに襲われ、怪我を負った男達も、すっかりジュジュに心を許し打ち解けると、次第に笑い声が飛び交うようになった。ムッカたちにも、非礼のお詫びをし、すっかり丸く収まった。
 屋敷の中が賑やかになり、リーフの書斎までそれが伝わってくる。
 バルジからの報告を受け、全てを把握していたが、オーガが現れ、容赦なく切りつけたことはよく思ってなかった。
「この森では仕方がない事とはいえ、大量の怪我人がでてしまったか」
 容赦のないオーガの行動は、歓迎できるものではなかった。
 リーフ自身も懸念する問題を抱え、一人でそれを背負い込むのは苦しくなる。
 暗闇が訪れた森の頭上に、月の光が降り注いでいた。慰めを求め、窓際に立ちその月を眺めれば、溜息が出てきた。
 リーフとて時には弱音を吐きたくなる。
「月夜の晩か……」
 白く冷たく輝く月の光は美しく神秘であったが、リーフはおもむろにカーテンを閉めてそれを遮った。そして悩みながら、椅子に深く腰掛けた。
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