第四章



「もちろん大丈夫よ。兜ちゃんのことは心配ないから」
 伯母の対応を聞いていると、どうやら、兜を今晩預かって欲しいと頼みにきた様子だった。
 これから必要なものを持って病院に行くため、小さい兜は足手まといになるし、また一人で留守番させるにはまだ小さすぎる。
 無理を承知で、伯母に助けを求めに来ていた。
 伯母はすぐに理解して、少しでも重荷を軽くしてあげたいために喜んで引き受けた。
 兜は不安そうに、焦点も合わせず、虚ろな目をしていた。
 俺が手招きしてやると、兜は母親と伯母の顔を交互に一度見て、許可を取ってから家に上がった。
「それじゃお願いします。本当にご迷惑お掛けしてすみません」
「全然、気にしなくていいから、兜ちゃんの事は私たちに任せて、とにかく安心して出かけて頂戴ね」
 伯母は葉羽の母親を労い、なんとか励まそうとしていた。
 すでに心労で疲れ切っていた母親は、気を張りつめ踏ん張ってはいるが、少し突いたら簡単に崩れそうだった。
 俺もまた不安でいたため、去ろうとしていた母親に、迷惑顧みず咄嗟に声を掛けた。
「あの、葉羽は大丈夫なんですか」
 母親は神経がすり減っているのに、精一杯の笑みを俺に向けて気を遣ってくれた。
「ええ、大丈夫よ。悠斗君、心配してくれてありがとう」
「その、落ち着いたら、必ず会いに行くって伝えてくれませんか」
「わかったわ。葉羽に会ったらすぐに伝えておく。葉羽もきっと喜ぶと思うわ」
 そして静かにドアを閉めて、行ってしまった。
 俺が暫く突っ立ったままでいると、兜が服の裾を引っ張ってきた。
「前もこんな調子だったの。お姉ちゃんまた我慢してこんなになっちゃった」
 前回と同じように入院したら、また元気になって戻ってくることをいいたかったらしい。
 不安な俺の表情を読み取ってか「大丈夫だから」と、一生懸命、俺を慰めようとしてくれた。
 俺よりも小さな兜の方が、突然姉が倒れて、混乱して不安だというのに、俺に気を遣ってくるところは葉羽と気質が似ているらしい。
 俺は兜の頭をぐしゃっと撫で回した。
 そんなこと分かってる。
 小さいくせに気を遣うんじゃねぇ。
 そういう気持ちもあったが、俺なりの可愛がり方だった。
 兜もそれを感じ取ったのか、あどけない笑顔を見せてくれた。
「さて、兜ちゃんの寝るところ用意しなくっちゃ。さあ誰と寝る? おばちゃんがいい? それとも悠斗お兄ちゃんかな?」
「お兄ちゃん!」
 元気のいい兜の声が周りを明るくする。
 お陰で俺も少し気が紛れた。
 葉羽はまた少しの入院をして、そしてすぐに戻ってくる。
 その時、俺は謝らなくっちゃ。
 葉羽のあの意識がない顔を見たとき、正直俺は恐怖で体がすくんだ。
 あの時、どれだけ葉羽が大切なのか、鞭を打たれるように気がついた。
 葉羽に酷い事を言ってしまったけど、葉羽は人よりも体が弱く、いつ倒れるか分からない貧血が葉羽の辛い悩みだったに違いない。
 そんなことも汲み取ってやれずに、俺は自分のことしか考えられず八つ当たってしまった。
 今度こそ、きっちりと謝って、そして自分の気持ちを正直に言おう。

 俺は本当は葉羽が好きなんだって。
 だからいつも甘えてしまうんだって。
 構って欲しいから、わざと気を引くような事をしてしまったんだって。
 意地を張ってしまうのは、それだけ葉羽の事が好きで、その気持ちを悟られるのが恥ずかしかったんだって。
 もうプライドなんて気にしてる場合じゃない。
 人はいつも何か大変な目にあってから、大切なことに気がつく。
 それが手遅れになってからでは遅すぎる。
 そうならないためにも、俺は素直になって洗いざらい自分の気持ちを葉羽に伝えないと。
 もう自分勝手のままではいられない。
 葉羽への思いがどんどん募って、俺の心は熱くなっていた。
 俺はその晩、葉羽の事を心配しつつベッドに入った。
 俺の部屋にはもう一組布団がしかれて、そこに兜が横たわっている。
 電気を消した暗い部屋で、兜は何度も寝返りをうっている様子だった。
「兜、寝られないのか?」
「うん、ちょっとね。ねぇ、お兄ちゃん、お姉ちゃんはエムデスだけど、治るよね」
「M? ああ、またマゾの話か。そうだな。あれは治るというより癖というようなものだから……」
 なんか俺は答えに困ってしまった。
「お姉ちゃん、僕がエムデスなんて言ったから、一時かなり落ち込んじゃって大変だった」
「そういえばなんか塞ぎこんでるときもあったな。そっかそんなこと言われてやっぱりショックだったのか。だけど、一体誰がそんなこと最初に言ったんだい?」
「お姉ちゃんのお医者さん」
「医者?」
「うん、お医者さんがお父さんとお母さんにそういってるのを、僕たまたま聞いちゃったんだ」
 俺はなんだか急に違和感を覚えた。
 兜が言った「エムデス」という言葉が、急に重い響きとなって俺を不安がらせた。
 何か俺の知らない意味がありそうで、俺は考え込んだ。
 兜と少し話をしていたが、次第に兜は眠りに落ちて行った。
 すっかりスースーと寝息を立てて眠り込んでいる。
 しかし、今度は俺が眠れなくなってしまった。
 じっとしてれば眠たくなるかと思ったが、どうしても何度も寝返りをうってしまって、余計に目が冴えてしまう。
 兜が言った言葉がどうも気になって、俺の中で膨れ上がってしまった。
 とうとう俺は我慢できず、兜を起こさないようにそっとベッドを離れ、コンピューターのある伯父の書斎へ向かった。
 調べ物があるときは遠慮なく使っていいと言われているので、ネットがしたいときはここに時々来ている。
 皆寝静まった夜、息を潜めるように俺はコンピューターの電源を入れた。
 立ち上がる時間がもどかしく、訳もなくイライラする。
 俺は革張りの椅子に腰をかけ、暗闇の中コンピューターから発せられる青白い光に照らされていた。
 やっと準備が整ったとき、検索サイトを開いてそこに「エムデス」と打ち込んでみた。
 色々と同じ名前のものが検索に引っかかったが、それらは店の名前や組織名だったり、病気の名前ではなかった。
 そこに「血」と付け足してみた。
 それでも自分が思うような情報はひっかからなかった。
 やっぱりマゾの意味で言っただけなのだろうか。
 次にアルファベットに変換してみた。
「エムはそのままMとしてデスはこの場合、頭文字だけとってDSとしてみよう」
 MDSと打ち、そこに「血」とくっつけて検索したときだった。
 俺は出てきた結果に一瞬で全身が凍ってしまった。
「う、嘘だろ、嘘だろ」
 俺は何度もそう呟いて、何かの間違いであって欲しいと、コンピューター画面を見て震えていた。

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