第四章
2
三月になって、一段と気持ちのいい天気が続き、カリフォルニアは春真っ盛り。
三月の中旬になれば、今受けてる授業が終了して、春休みになる。
折角仲良くなった人たちもそれぞれの自分の国に帰ったりして、別れのシーズンだった。
私はまだ夏までもう一学期間とってたので、このままこの学校に残る予定。
ここへ来て半年以上たち、七転八倒──これだと転んでばかりの失敗続きではないか、失敗もあるけども、負けずに立ち向かおうとしたから七転び八起きで、英語も少しは上達したと思う。
二月はそれこそマシューとのことで色々あって、浮き沈み激しく、気持ちもねっとりと暗く感じたけど、この三月からは気温も益々温かくなるし、もう少し気持ち的にも明るくならなければと清々しい青い空を眺める。
青い空はやっぱりいい。
カリフォルニアの空の色はどうしてこんなに青くからっと気持ちいいのだろう。
心の中にそれを取り入れて、頑張ってみたいと、マシューへの思いも青い空に塗り替えてまた新たに気持ちを入れ替えたい。
開きすぎた溝はもう埋まらないと私の中ではすっかり諦めかけていた。
それでも、時々楽しかったことを思い出しては、知らずとため息をついてしまうのは、人間やはり吹っ切れるまではかなりの時間が必要だということだった。
でも自分の気持ちを無理に押さえつけても苦しいだけだし、過去のことは覚えている限り忘れられないものでもある。
いつかは和らぐと信じて、それまでは無理をせずに、辛いときは辛いと正直に認めてやってもいいかもしれない。
なんだかんだとここでも理由を見つけて、自分の納得する答えを探し出そうとする。
不安定で浮き沈み激しいが、これまた失恋の典型的な感情だから仕方がない。
あーあ、七面鳥さん、なんか辛いです。
こうなったらやけ食いですよ、ターキーサンドイッチを。
まだ、日中の目に飛び込んでくる青い空に魅せられて、気温の温かさがなんとか気分を紛らわせてくれる。
今日もいい天気と精一杯腕を伸ばせば、縮こまっていた体の力が空に向かって発散されるようだった。
そこからラジオ体操第一〜! などと声を出して、準備体操のさわりだけでもやってみる。
そうやって声を掛けて体を動かせば、それだけでも力がでてきそうだった。
少しでも何かを変えたいと思う気持ちが、訳の分からないことをしてしまう。
人間、本当に悲しい事があったとき、自分でも何をやっているかわからなくなってしまうもんです。
そんな中、マシューとはあれから連絡もなく、私もすっかり遠ざかって終わりと決め付けていたので、失恋中だと思っていた。
そう結論つけることの方が、変に期待を持ち続けるよりかは楽だった。
だから、ある日マシューから突然電話が掛かってきて、近くまで来ているからそっちへ言っていいかと急に言われたときは、まさに青天の霹靂だった。
今度は青い空のパワーですか?
それは日曜日の午後で、ホストファミリーと教会から帰って何もすることなく家でゴロゴロしているときだった。
家にはホストファミリーもいるし、マシューはここに来て何をするのだろうと不思議だったのだが、ホストファミリーにも一応許可をもらい、もちろんOKと言ってくれてとにかくマシューを迎える準備は整った。
5時からこの近くで用事があるらしく、それまで一緒に過ごして欲しいとマシューはまるで時間つぶしのためにやってきたような感じだった。
マシューがやってきたとき、子供達はちらりとマシューを見たけど、ホストファーザーもマザーも用事で忙しく、姿が見えなかったので碌に紹介せずに自分の部屋に入ってもらった。
私が借りてる部屋は、部屋の大半をダブルベッドで占領されて、それだけで場所を取られて狭くるしいのだが、そこに箪笥と机も置いてるから、あまり身動きが取れない。
座るところといえばベッドの上だけだったので二人で並んで座っていた。
窓辺付近にある箪笥の上にデジタル時計が置いてあるのだが、マシューはそれをちらちらとみていた。
今度は自分のベッドの上にマシューと二人。
思わず、ホストマザーの言葉を思い出してしまう。
『ここでセックスはできません』
言われなくても、そんなのいやどす。
それに、ずっと連絡を取ってなかったのに、忘れたころに不意にマシューは現れて、なんでこんな奇妙なことになっているのだろうと、私はまたぎこちなくこの状況が受け入れられないでいた。
断ることもできたのに、それをしなかったということは、やはり潜在的にやり直せるかもしれない期待とまだ好きでいる弱みが複雑に作用していた。
振られた後、相手から連絡が入ると結局はずるずるとしてしまうこの心理。
これが人間の弱いところだと思う。
もろ、典型的に自分も当てはまってしまった。
また密室の中、ベッドの上に座っていれば、変な感情が渦巻いてくる。
マシューはあのがっしりとした大きな手で、私の頭を優しく撫ぜ出した。
また触れられて、私はとてもドキッとして、また心臓が激しく高鳴ってしまう。
私の頭を抱きかかえるようにして、マシューは自分の体に私を引き寄せた。
私はされるがままに、頭をマシューの肩にもたせかける。
暫く二人は寄り添っていたけど、そこでマシューが大きくため息を吐いた。
「(なんで僕たちこんな風になったんだろう)」
それは私が一番聞きたいこと。
私だってわからないし、マシューがこの先どうしたいのかはっきり言ってくれないから、どう返事をしたらいいのかもわからない。
どうして私にばかり答えを出させようとするの。
そんな質問されても何を言っていいのか分からないし、どこかでそれに触れる事を恐れてるからはっきりと自分の気持ちすらいい出せない。
本当はこのままマシューの彼女でいたい部分もあるのに、マシューはどうしたいか自分の気持ちを言ってくれないから、こっちも出方を慎重にみてしまうだけ。
はっきりと好きといえないのは、もうこれ以上傷つきたくないし、私からは答えを出す事ができないの。
頭では言葉は飛び交うけど、口には決して出てこなかった。
行き詰った苦しさが、喉元でひっかかっている。
こんなに側にいるのに、マシューは本当に遠いところにいるようだった。
その時、マシューは静かにベッドに横たわる。
「(キョウコ、ここにおいで)」
自分の横に寝ろと誘ってきた。
これにも、体に電気が走るほどびくっとして驚いてしまった。
ここは私がお世話になっているホストファミリーの家。
そして自分が借りているベッドに、マシューは寝転がって私にも一緒に寝転がれと言う。
また逃げ場がない。
自分の部屋で、どうして追い込まれなければならないのだろう。
私もここで嫌だといえばいいだけなのに、この雰囲気を壊すのがいやで、その通りにしてしまう。
マシューの腕を枕にして頭を乗せると、その腕は優しく私の頭を抱え込むように包んだ。
そうして自分の方へと引き寄せる。
マシューはずっとずっとそのままで私と一緒にベッドの上で仰向けになっていた。
私達は一体何をしているのだろうか。
お互い、またやり直そうとしたいのだろうか。
私は目を瞑る。
マシューはただ横に寝ているだけだったけど、頭だけは何度も撫ぜられていた。
ずっとそうするだけで時間が過ぎていった。
窓辺に置かれたデジタル時計が4時を過ぎたとき、マシューは名残おしそうに起き上がった。
「(そろそろ、いかなくっちゃ)」
私も起き上がり、そしてマシューの目を見つめて「うん」と頷いた。
言葉がそれ以上続かない。
そして部屋の外へ出たときホストマザーとばったり出会った。
そこで初めてマシューを紹介した。
その後はマシューを見送りに一緒に外へ出て行く。
マシューが車にある自分の時計を見たとき驚いていた。
「(まだ三時半じゃないか。君の家の時計は四時過ぎてたぞ)」
「(あの時計、三十分早く進んでるの。調節の仕方がわからなくて、そのままにしてある)」
私もなぜその事を黙っていたのか、というより、マシューがあの時計ばかり見てたのが悪い。
他にもアナログの目覚まし時計はベッドの隣にあったし、まさかあのデジタル時計を鵜呑みにするとは思ってなかった。
普通、時計と言うのは時間を正確に合わせるものだから、数字が出るだけにそれは鵜呑みにして当たり前の行動ではあるが。
というより、自分の腕時計くらい持てよ! といいたくなってしまう。
後で考えたら、すごく滑稽なんだけど、この時、マシューはここでなんだか怒ったように、気を悪くした。
「(もう少し君と居られたのに)」
その言葉はなぜか私には重く感じた。
一緒に居たところで、いつも答えは見つからない。
なぜ私ともう少しいたいのか、はっきりとした理由を聞かせて欲しい。
マシューがまだ私の事を好きでいてくれるのなら、私はもう一度やり直したいと思っているのに。
これを言えたらどんなによかっただろう。
それなのに、どこかで拒絶されるのではという気持ちがあって、私はいいだせなかった。
もしマシューがやり直したいと思うのなら、とっくに彼の口からでてるような気がして、それがないということは、マシューはどこかでまだ迷っているんじゃないだろうか。
蛇の生殺しじゃないけども、私達はどちらももう傷つきたくなくて、どっちつかずの態度でどちらかがはっきりと答えを出すのを待っているような感じだった。
なんとも奇妙で曖昧な、不思議な関係だった。
結局はまたはっきりしないまま、またマシューは行ってしまった。
虚しさが再びのしかかった。
家に戻れば、ホストマザーが驚いた顔をして私に話しかけてくる。
「(なんてかっこいい人なの)」
日本人の私が、かっこいいカリフォルニアボーイを連れてきたことに驚きを隠せないでいた。
「(なんでキョウコに、あんなかっこいい人が寄ってくるの)」
10歳の女の子にまで言われた。
だから言ったでしょ、自分でも信じられないくらいのハンサムな人だって。
もしかしたら、マシューも自分がもてて当たり前なのに、私が拒んだことにどこかしら気に入らない部分をもっているのかもしれない。
そんなこと考える自分が一番いけすかなかった。