Brilliant Emerald

第一章

1 

 四月が始まってまだ間もない高校二年の新学期。クラスは友達付き合いにまだ不安定さが漂っている。それでも一年生をすでに経験した同じ学年の者たちにとって全く知らないもの同士ではない。仲の良いグループはほぼできあがりつつあった。
 しかし、春日ユキだけはまだこのクラスで一人ぼっち。
 自分が浮いている――その理由は彼女自身よくわかっていた。
 ホームルームが始まる前のざわつく教室。生徒たちの話し声は雑音そのものだ。
 その中に自分の話題が紛れ込んでいるようで、ユキは居心地悪く下を向いて席についている。
 その雑音がぴたりとやんだとき、ユキは顔を上げた。
 担任の村上先生が教室に入って、朝の挨拶が始まると思っていた。だが、様子がいつもと違う。村上先生はドア付近でもたもたし、後ろを気にするしぐさをしている。まだドアの向こうに誰かがいるようだ。
 村上先生が手招きして教室内に廊下にいた誰かを呼び寄せたその時、クラス中がハッとした。息を呑むように緊張した空気がピンと張り詰め、誰もが目の前の光景を信じられないとばかりに目を見開いている。
 でもユキだけはどうでもいいことのように無表情を決め込む。入ってきた者を見たとき、何か嫌な予感を感じていた。
 じっと前を見つめ困惑している生徒たちの様子を窺いながら、教壇に立った村上先生は始まりの合図のようにコホンと喉を鳴らした。
「えー、彼らはキースとトイラだ。今日からこのクラスで一緒に学ぶことになった」
 ドア付近で立っているふたりを簡単に紹介する。
 クラス中の視線を一斉に浴びてもふたりは物怖じすることなく、姿勢を正して堂々としていた。
 それは突然に、その朝降って湧いたごとくそこに現れ、その存在を皆に見せ付けている。名前もそうだが、見掛けもどう見ても外国人だった。
 誰もが見慣れないその姿に圧倒された。
 始まったばかりの新学期。二人の転入生。そして外国人――。
 非日常的な出来事すぎて、物珍しさからじろじろとふたりを見ずにはいられない。
 ただ一人、ユキだけは冷静に受け止めている。というより、冷めた目でちらりと見てから小さくため息を吐いて窓の外に目を向ける。まるで転校生の二人を毛嫌い しているとでも言わんばかりに。
 何かが自分に降りかかる。直感で感じた嫌な気持ちを蹴散らし、ユキは無になろうとしていた。
 これには彼女なりの訳があった――。
 その一方で、クラス中が注目しているというのにひとりだけそっぽを向くユキのしぐさは、このふたりの関心をすぐひいた。
 ふたりは慎重な面持ちでユキを見つめる。
 クラスがまだ唖然として戸惑いを見せている中、村上先生は思案しながら再び声を発した。
 「えー、見ての通り彼らは外国人だ。この高校に留学生としてやってきた。日本にはまだ慣れていない。それじゃとりあえずまずは自己紹介をしてもらおうか。えー、プ、Please introduce yourself」
 英語を話すとき声が一瞬上擦ったが、村上先生の専門は英語だ。多少は話せるところを強調したくて、少し力みすぎてしまった。
 他の教師よりは英語が話せる分、それを考慮してふたりはこのクラスに割り当てられたのかもしれないが、もうひとり都合のいい生徒がこのクラスにいる。
 それが春日ユキだった。
 ユキが感じた嫌な予感はこの二人の面倒を押し付けられるのではと危惧したことだった。それが自分にとても都合の悪いことでもある。
 その瞬間、ぞっと悪寒が走っていたたまれなくなり、ユキは耐えるように無意識に膝元で強くスカートの裾を握り締めた。
 そしてクラスの静けさを破って、荒々しい声が耳にはいってきた。
「I am Toyler」
 転入生の一人が英語で『俺はトイラだ!』とぶっきらぼうに叫んでいた。
 すらりとした長身。青みを帯びたつややかな黒髪。肌は日焼けした小麦色。エメラルドのような緑の瞳。野生的で美しいがそれは清涼さと非情さを同時に持ち合わせているようにも思えた。
 冷たく悪びれた態度でクラスに鋭く睨みを利かす。まるで野獣にでも睨まれているかのごとく見るものを居心地悪くさせた。
 顔は整い、かっこいいはずではあるのに、冷酷さが際立ってクラスの印象は悪かった。
 自分の名前だけ冷然に言うと、後は面倒くさそうにプイっと首を横に一振りし、不機嫌さをあらわにしていた。
「この子はトイラという。出身はカナダだ」
 村上先生は顔を引きつらせ、気を遣ってフォローをいれる。
 これは先がやっかいだとでも言わんばかりに苦笑いしながら、もう一人に手を差し出して自己紹介を促した。
 先ほどのトイラとは違う空気が流れ、その場が和らいだ。
「ボク …… ハ キース デス。カナダ カラ キタ。 ヨロシク」
 キースはたどたどしいながらも日本語が話せた。
 トイラと違ってにこやかでうらうらとした笑顔を振りまいている。
 こちらもすらっと背が高い。髪は少し長めだが、白銀に近いプラチナブロンドが輝いている。白い肌、ブルーの目。洗練された気品があった。まるでそれは王子さまのようで、女子生徒はその美しさに魅了され、目がとろんとしていた。

 トイラはキースのその媚びた態度が気に入らなさそうに、隣で鼻をフンっと鳴らしていた。
 そして春日ユキをちらりと一瞥する。
 冷たいはずの緑の目は、そのとき、懐かしいものを見るかのように優しい眼差しとなっていた。
 張り詰めていた気持ちが突然緩み、トイラの足が欲望のまま無意識に前に出る。
 キースは咄嗟に手を伸ばして遮り、ダメだと注意する。
 はっとして、トイラはもっていきようのないくすぶった感情を押さえ込むように下唇を少し噛んでうつむいた。
 それは注意されて腹を立ててるようにも、悲しんでいるようにもみえた。
 ユキはふたりを完全に無視して下を向いて、祈る思いでこの先の事を懸念していた。
 そんなユキの心配などお構いなしに村上先生は悪気なくユキを貶める。
「日本語はそのうちなんとかなるだろう。それまで皆も手助けしてやってくれ。特に春日、お前この二人を宜しく頼むぞ。二人にも何かわからないことがあったらお前に聞けといってあるから、手伝ってやってくれ。なんせお前は帰国子女で、英語がぺらぺらだからな」
 ユキが恐れいたことが現実となった。
 『帰国子女』とこの言葉を聞く度に耳をふさぎたくなる。
 その言葉と同時に冷たい視線があちこちから飛び交って、体に突き刺さるのを感じていた。
 ひそひそと話し声が聞こえると、自分のことを悪く言われているようでさらに被害妄想も強まる。
 最悪の瞬間だった。
 帰国子女になりたくて別になったわけじゃない。すべては家庭の事情だ。
 それなのにそれを知られると、人は大げさにそのことを取り上げ、異物が混じった人間のようにどこか接し方がぎくしゃくする。
 帰国子女 ──どれだけ違った目で見られたことだろう。
 春日ユキの脳裏には嫌なことが次々と映し出される。
 育つ環境が違えば、習慣も常識も考え方も違ってくる。
 どうしても日本と比べてしまう癖がついて、自分が納得できない日本の習慣にぶち当たると、はっきりと口にしてしまうのだ。
「アメリカでは……」
 その出だしから始まる言葉は、日本でしか育ったことのないものには耳障りだった。
 ちょっと英語が話せるからって――
 お高くとまって生意気よね――
 陰でそんな言葉が飛び交う。
 一度マイナスな印象が付きまとうと、それはからかいの対象となり、挙句の果てには虐めへと続いていく。
 ユキにもプライドがあるため、自分はみんなとは違うことを十分理解し、そして自分を貫こうともがいてしまう。
 それがアメリカナイズと揶揄され、あざ笑われるのだった。
 心を柔軟に開く事ができないユキは常に自分で一人ぼっちを選んでしまう。
 自分でも何かが欠けているとわかりながらも、すでに色眼鏡で見られた状態だと自分ひとりではどうにもならなかった。
 そこへ突然名指しされた二人の留学生の面倒。ぺらぺらと英語を話せば、またクラスの反感を買うに決まっている。
 だからといって、英語を話す行為が萎縮すべきことでもないのもわかっている。面倒くさい問題をこれ以上拗らすのが嫌なだけだ。
 これが外国から来た二人の転入生を歓迎できない理由だった。虐めの種が増えるのが目に見えていた。
 案の定、キースを狙っている女子生徒達からは、もうすでに挑戦状を叩きつけられているのか、鋭い視線を受けていた。
 村上先生が教室の後ろに座るユキの席を指差している。
 ユキはそのとき初めて自分の両隣が空いていることに気がついた。
 どうしてそんなに上手いことその場所が空いているのだろうとユキは突然首をかしげた。前日まではこんな席だっただろうかと、思い出せないくらい奇妙な感覚が走った。
 そんなことをゆっくりと考える時間も与えられぬまま、ユキの左側ちょうど外が眺められる窓際の一番角の席、そこにはトイラが座り、反対の右側に はキースが座った。
「ユキ …… ヨロシク」
 キースが様子を窺いながら、笑顔で親しみを込めて話しかける。ユキは適当に愛想笑いを返した。そのユキの態度はキースには物足りないのか、がっかりとしていた。
 だが仕方ないと諦めたように、首を縦に振ってはうんうんと一人で納得するように頷いていた。その態度でユキのキースの第一印象は『変な人』だった。苦手なタイプかもしれないと、ユキは顔を背けた。
 次にトイラに視線を移した。
 一応、義理でも挨拶すべきだろうかと、目だけでも合わせておこうと顔を覗き込んでみた。
 窓際に座ったトイラはユキを完全に無視しようとしているのか、全くユキに視線をむけなかった。しかしそれはどこか不自然だった。
 妙にユキを意識して、本当は見たい気持ちを抑え、我慢するかのように葛藤していた。トイラは最後までユキをみようとせず苛立ちから足を小刻みに揺らしていた。落ち着かないその態度が神経質そうだった。
 正反対の性格の二人。
 ユキにはまるでトイラが気ままな猫で、キースが人懐こい犬に見えた。
 ユキは怖いもの見たさなのか、暫くトイラから目が離せない。
 焦点も合わさずに前をじっと見つめるトイラ。
 態度は荒々しく、きついのに、その緑の目だけは魅了されるほど美しい。
 ユキはその目の色が好きだと思った。その時、何かがひらめくように記憶が一瞬フラッシュする。
 簡単に言ってしまえばデジャヴュー。
 でもそれは流れ星が消えゆくようにすっとなくなった。
 知っているのに思い出せなかった記憶。あいまいな跡だけが残されていた。
 ユキはどうしてもそれが何だったか思い出したかった。このままでは中途半端で頭を掻き毟りたいほどに気持ち悪い。
 トイラの緑の目を傍でよく見ようと少し近づく。やはり美しい緑の目。魔力を帯びたようにユキを釘付けにする。
 ユキは我を忘れてそれにのめり込んでいた。
 突然トイラが睨みをきかせてユキに視線を合わせた。その時恐ろしいほど近くにトイラの顔があった。
 あまりの至近距離にびっくりして、ユキは触られたカタツムリのように慌てて体を引っ込める。
 何をしてたんだと、自分でも急に恥ずかしくなり、その後ずっともじもじと下を向いていた。
 トイラはふんっとわざとらしく窓に顔を向けるも、その表情は悲しく、ユキに気づかれないようにひっそりとため息をついていた。
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