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運動場では学校中の生徒達が、トイラとキースを乗せたパトカーを目で追っていた。
特に2年A組の生徒達の表情は固く、どう受け止めて
いいのか悄然としていた。
ミカは目に涙をためて、次第に小さくなって消えてくキースを乗せたパトカーをいつまでもいつまでも見ていた。
「キース、私の王子様が」
気分は悲劇のヒロインのように啜り泣くと、物語の全てが悲劇の幕を閉じて終わったと心引き裂かれていた。
ハンカチを手に握り締め、目頭をそっと押さえる。
上品なお姫様を演じるつもりが、我慢できないほどの悲しみが押し寄せ、わんわんと叫んで泣いていた。
仁は自分が犯してしまったことの重大さを、しっかりと受け止めていたが、身に火を放たれたような衝撃で落ち込みが激しく後味が悪い。
自分が手錠を掛けられて、警察に連れていかれた方が似つかわしい。
運動場に集まっていた生徒達が、先生の指示で教室に流れ込む。
その人の波にのまれて仁もトボトボと歩き出す。
時々後ろを振り返る。
何もかも終わったと警
察や消防車が去っていった。虚しさだけをそこに置き去りにして。
──これでユキが助かるんだ。
仁は強く正当化しようとしていた。
後はジークがちゃんと約束を守ってくれることを信じるのみ。
しかしどこか不安がよぎる。
もしかして──。
突然それは心にひびを走らせた。そこからじわじわ疑心が漏れ出す。
──ジークは本当に信用おける奴なのか。
もう一人の自分が問いかける。
なんとか約束を信じようと空を見上げた。
カラスが一羽、学校の校舎付近から山の麓へ飛んでいった。
パトカーの後部座席でトイラとキースは顔を見合わせていた。
悪いことなど何もしてない。
ただ自分たちが異種なだけで捕らえられてしまった。
あまりにも理不尽すぎて、どうしようかあぐねていた。
トイラはキースに目で訴える。
──俺達どうなるんだ。
キースは手錠をかけられた自分
の手を胸元に引き寄せ、わからないと肩をすくめていた。
「僕たちどうなるんですか」
キースが一応、前に居る警察官に聞いてみた。
「とりあえず、事情聴取ということで、あの、その、とにかく署まで来て下さい」
どう対処していいのかわからないのか、警察官もこの状況に混乱していた。
豹と狼に変身する人間を野放しにしていたら、住民の不安を買う。
身柄を拘束
して、町の騒ぎが大きくならないようにするしかなかった。
「
事情聴取で、どうして俺たちは、犯人扱いにならないといけないんだ。この手錠をはずしてく
れ」
トイラは手錠がかけられた手を、警察官の座席越しに突き出した。
助手席に座っていた警察官は怯えてしまう。
運転していた警察官もび
くっとして、一瞬車が道を外れた。
「トイラ、やめろ。ここは従うしかない」
手錠が繋がれている両手でキースはトイラを後ろに引いた。
トイラは落ち着かない気持ちのまま、座席に深く腰掛け窓から景色を眺める。
「ユキは大丈夫だろうか」
トイラはぽつりと呟いた。
あの泣き叫んでいたユキの顔が忘れられない。
このまま引き裂かれて会えなくなるのではと思うとしゅんと小さく縮こまった。
「ああ大丈夫さ。病院で念のために検査するんだろう。それよりも僕たちがどうなるかだ。正体がばれた今、放ってくれそうにもないな」
「まさか、火あぶりってことにはならないよな」
「ありえるかもな」
キースは前方の警察官二人の怯えぶりを見ていると、嫌な予感がする。
トイラは自分の言葉でこそこそと話し出した。
自分の言葉とは、人間にはわからない黒豹の言葉である。
「逃げるのはいつでもできる。まずはこのまま警察署に行って、様子を見るしかない。そしてユキになんとしてでも会わないと、この騒ぎを聞きつけて、またいつジークが襲ってくるかわからない」
「ユキも病院で検査を受けたあと、事情聴取で警察にやってくるはずだ。そのときチャンスを見計らって、ユキを連れて逃げよう」
「逃げるって、どこに逃げるんだ。家にはもう戻れないぞ」
「一か八かだ。ジークが居るあの森だ。あそこは僕達の森にリンクされて、今繋がっている」
「キース、それは危険だ。太陽の玉を持つジークに近づけば、ユキの胸のアザが大きくなってしまう。もし満月になってしまったら、俺まだユキを助ける方法が
わからない」
「しかし、ここにはもう居られない。危険な賭けだが、僕達の森に帰るしか道はない」
ガラスの破片がばら撒かれた道を素足で踏むようなものだとトイラは思った。
そんな危険な道しか残されていないことに、車の後部座席で目を瞑り頭をうなだれた。
ユキの胸の月の玉がそれまでもってくれるか、そしてジークに見つ
からず自分の森に帰れるか、無謀な賭けだった。
突然思うようにいかない怒りがこみ上げる。
心の底からの震えが手先にまで振動した。
「くそっ!」
このとき、人間の耳には豹の咆哮として届いた。
前方に居た警察官二人は、悲鳴をあげて震え上がっていた。
ユキは病院で検査を受けさせられた。
泣き疲れ声までがらがらになり、ぐったりと骨が砕けきったように体がだらりとしていた。
誰の目にも重度の病人
と映っていたことだろう。
実際は、トイラが庇ってくれたお陰で、体には何も異常がなく擦り傷程度で済んだ。
普通なら足の一つや二つ骨折していてもおかしくない状況だった。または命を落としていたか――。
病院の書類の手続きが完了するまで、廊下の長いすに座り、ユキは待たされた。
警察官二人に付き添われ、この後事情聴取で警察署に行くと聞かさ
れた。
その時トイラとキースに会えると思うと、幾分落ち着いくる。
しかし、警察がとった行動がどうしても許せない。
煮えたぎる感情がふつふつと胸の中でまたぶり返してきた。
「ねえ、おまわりさん、トイラとキースをどうするつもりなの? 何も悪いことしてないのに、どうして手錠なんかかけちゃったの」
警察官も前代未聞の出来事に何をどう答えていいのかわからず、苦笑いするだけだった。
ユキはプイっと駄々をこねる子供のように首をふった。
力を入れすぎ
て首の筋が変になったかと思ったが、それは首の痛みじゃないことに気がついた。胸がキリキリと痛み出していた。
──嘘、ジークが近くにいる!? まさか
血の気がすーっと引いていく。
ドクンドクンと胸の鼓動が激しくなると同時に痛みも増してゆく。
ユキは辺りを見回した。
そして見てしまった。黒っぽいワードローブを纏った男が確かにそこに居た。
──あっ、どうしよう!どうしよう!
ハラハラと敵に狙われる恐怖感。
じわりじわりと追い詰められる。
絶体絶命──。
トイラもキースもここには居ない。
このままジークが近づけば、胸のアザは
完全に満月に
なってしまう。
トイラが命の玉を取る前に自分は死んでしまう──。
──嫌だ!このまま死んでしまうのは嫌だ!逃げなきゃ。なんとしでも逃げなきゃ。
ぶるぶると震えるユキに警察官は気がついた。
「どうしたんですか。気分が悪いんですか?」
「あの、ちょっとトイレに行きたいんですけど」
「ああ、トイレですか、それなら遠慮なくどうぞ行って下さい」
ユキは、震える足でゆっくり立った。
警察官にはこのとき、突然腹を下したとでも思ったことだろう。
そんなことなどどうでもいいと、ユキは逃げることで頭がいっぱいだった。
──来る、近づいて来る。
胸の痛みもどんどん強くなる。
──落ち着け、落ち着け、落ち着くんだ!
ジークがの動きが機敏になり、ユキめがけて駆け寄る。
ユキは無
我夢中で走った。
廊下を歩いている患者や、看護師にぶつかりそうになりながら、必死で出口を探した。
「一体出口はどこなのよ」
廊下の角を曲がったが、病室のドアが見えるだけで外に続く出口がない。
──このままでは捕まってしまう。
ユキの焦りは沸点に達してきては、発狂しそうになっていた。
胸の痛みと、身も毛もよだつ恐怖心が体を容赦なく締め付ける。
咄嗟に近くの部屋に飛び込んだ。
そこは四人部屋だった。
一つだけカーテンが開いて、中のベッドで寝ている人と目が合った。
ユキはそんな視線もお構いなしに窓を見つけると一目散に走りより、窓を開けて飛び出した。
幸い一階だったので、なんとかジャンプできる高さだったが、降りたとき、足がジー
ンとした。
低木の茂みで、また擦り傷が増えた。
これだけ逃げてもまだ胸の痛みは消えない。ジークがまだ近くにいる。
苦しい、痛い、怖い、パニックで息もまともに出来ないほどユキは極限に追
い詰められていた。
目の前は網のフェンスで囲まれている。
病院の壁とフェンスの狭い空間を走っても病院の敷地内から一歩も出られない。
無我夢中でその
フェンスに足をかけ、よじ登って反対
側へ移動した。
フェンスを超えると一目散に走って逃げた。
どれだけ走っただろう。
胸の痛みは消えていたが、息があがって苦しい。
ジークから離れてほっとしたが、これからどこへ行けばいいのかがわからない。
途方に暮れていると、見慣れた景色が現れた。
「あっ、ここ、仁の家の近くだ」
ユキの足はそう思うや否や、仁のマンションに向かっていた。