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次の日、一時間目の授業が始まろうとしていたときだった。
担任の村上先生がユキに声を掛けた。
「春日のお父さんのことで緊急な話があるそうだ。詳しいことを知らせようと、知り合いの方が今学校にきてるらしいから、すぐに職員室に行きなさい」
「えっ、何があったのかしら」
ユキは不安な面持ちで席を立ち上がり教室を出て行った。
トイラとキースは顔を見合わせる。
どちらも落ち着かず、不安げな面持ちをしていた。
ユキが職員室に行くと、その前で柴山が立っていた。
「えっ? 柴山さん? どうしてここに」
仁と組んで騒動を起こしたことで、ユキは怪訝に柴山を見ていた。
「ユキちゃん、嘘ついて呼び出してごめん。悪いんだけどちょっと話があるんだ。トイラとキースのことで」
「一体何ですか?」
「ここでは話せない。ついて来てくれないか」
柴山はさっさと歩き出し、ユキは仕方なく後を追う。
トイラを車で送ってもらったとき、雑談でこの地元で育ち、この学校の出身と教えてくれたが、出身校なことだけあって、隅々まで熟知している。
ユキはどうしたものか思案しながら、結局柴山が行くところまでついていってしまった。
「柴山さん、屋上なんかに来て、何なんですか」
「ユキちゃん、ごめんよ。どうしてもトイラとキースが、黒豹と狼だって世間に知らせたいんだ。写真ではことごとく失敗したからね。手荒だけど、ユキちゃんを利用させて貰うね」
柴山の顔つきが怖くなる。
「ちょっと待って下さい」
危機を感じたユキは逃げようとするが、徐々に柴山に追い詰められ、屋上のフェンスまで追いやられていた。
柴山が不気味に近づいてくる。何をされるのか分からず、恐怖心だけが肥大する。
柴山がユキに襲い掛かり、ユキは口を押さえつけられた。
ユキの力で払いのけられず、もみ合ううちに力が消耗していく。
一瞬の隙をつかれて、ユキの口にはガムテープが張られ、体を予めそこに用意していた縄で手際よく縛られた。
ユキは思うように抵抗することもできず、悔しさで涙がにじんでいた。
「ユキちゃん、安全は保障……できるかな。とにかくトイラとキース次第だ」
ユキは軽々と柴山の肩に担がれ、次の瞬間、底知れぬ恐怖が襲った。
何やら運動場が騒がしくなった。
「人が屋上から吊るされてるぞ」
その声が各クラスに届くや否や、確認しようと教室の窓にたくさんの顔が集まった。
それを見た女子の『キャー』という悲鳴まで聞こえてきた。
トイラとキースも確認するが、顔まで確かめられない。
「落ち着きなさい、みんな」
担任の村上先生がなだめようとしたとき、教室のドアが大きな音を立てて開いて、誰かが入ってくる。
「村上先生、大変です。このクラスの春日ユキが屋上から吊るされてます」
「何だって!」
トイラが叫んで立ち上がるや否や、弾丸のごとくすぐに教室から出て行った。
クラスは一瞬のことに唖然としていた。
トイラは素早かった。
一目散に廊下を走りぬけ、階段を何段も一度に飛び越えて駆け上がっていた。
無我夢中で屋上に立つ。
屋上の柵の側に柴山が立っていた。
その柵からはロープがピーンと吊るされている。
そして柴山の右手には
ナイフがきらりと光っていた。
どのクラスの生徒も、窓から顔を出して上を見ている。
事件を正確に把握してないクラスは、火事でも起こったかと、一斉に校舎から避難しだす始末だった。
学校中が大騒ぎで、ぶら下がっているユキを見ていた。
やがて警察や救急車、消防車までもが集まってくると、その騒ぎは学校内だけでは収まらず、町を巻き込んでの驚天動地の騒ぎとなった。
キースはすでに教室を出て、運動場で下から見守っていた。
もしもの時はユキを受け止める覚悟だ。
全ての企みを知っていた仁もやりきれない思いで、歯を食いしばっている。
近くに居たキースと目が合うと、逃げるように目を逸らしていた。
「ユキに何をする」
トイラは怒りで我を忘れ血が逆上し、髪が逆立っていた。
「トイラ、ユキちゃんを助けたかったら黒豹になるんだ。そして皆にその姿を見せろ」
トイラは『グルルルルル』と唸っていた。
人の姿のままで近づこうとする。
「おっと、待ったトイラ。その姿で近づいたら、このロープを切る」
「止めろ、ユキが落ちてしまう」
「さあ、どうする。黒豹になるのか、ならないのか」
トイラは柴山の望みどおりに黒豹になってやった。
そして柴山に飛び掛かった。
柴山は持っていたナイフを闇雲に振り回した。
トイラは唸りながら、何度も飛び掛かり、攻撃態勢を崩さなかった。
「おい、屋上でなんかやってるぞ。黒いものが飛び交ってるのが見える」
運動場から皆首を伸ばして見ていた。ユキも何が起こっているか様子見ようと体をよじらせた。
トイラが黒豹の姿で戦っている姿がちらりとみえる。
ユキはトイラに何かを言いたくて、もごもごしている。
そして足が自然とばたつくと、その拍子に振り子のようにゆれていた。
それがまたユキの恐怖をそそった。
下ではユキが動くたび、『うわぁ』や『キャー』という声が漏れていた。
ユキの縛られていたロープが動く摩擦に耐えられなくなり、徐々に切れかけてくる。
その下では消防隊が落ちても大丈夫なように、布をぴーんと広げて救助の待機をしていた。
「トイラ、待て、ユキちゃんのロープが切れ掛かっている」
柴山が気がついて真っ青になった。
ただのはったりにすぎず、ユキを落とそうとは全く考えていなかった。
「ユキ!」
そのときロープが切れてしまった。
ユキが落ちていく。
トイラは柵を乗り越え、黒豹の姿のままで垂直に壁を走り、ジャンプした。
「おい、あれ黒豹じゃないのか」
運動場の人だかりは、突然の出来事に息を飲んだ。
トイラは人の姿になり、ユキを抱き上げ、一回転して、ユキの衝撃が少しでも和らぐように庇いながら、布の上に落ちた。
「ユキ、大丈夫か」
ユキの口に張ってあったガムテープと縄をトイラははずしてやった。
ユキは自分が落ちたことよりも、トイラが黒豹の姿を皆に見られたことが衝撃で、目に涙をためて周りを
見回していた。
「トイラ、ごめんなさい」
「何謝ってんだ、ユキが無事でよかった」
周りは騒然としていた。
次々にやっぱりあの噂は本当だったと言い出して、キースの周りも人が避けるようにいなくなった。
仁だけその場に留まり、悲しい顔をして申し訳なさそうにキースを見つめていた。
「キース、ごめん。これもユキのためなんだ。許して欲しい」
「なんのことだ、仁。この騒動を企んだのも仁なのか? やはりジークが関係してるのか」
仁は何も答えずキースから遠ざかっていった。
屋上では警察が柴山を現行犯逮捕していた。
「今の見ただろ。あいつは黒豹なんだよ。アハハハハハ」
狂人のように笑っては正気をすっかり失っていた。
手錠で手を繋がれ連行されていった。
トイラが立ち上がると、周りは後ろずさりをするように引いた。
キースはトイラとユキの側に寄りそい、三人で一緒に突っ立っている。
警察が近寄って事情聴取の任意をユキに求めてきた。
だが、トイラの前ではどこか怯えていた。
トイラは大勢の目の前で、黒豹の姿を見せてしまい、もう誤魔化せなかった。
周りを見渡し、自分に怯えている人間の目だけがいくつも宙に浮いているように
見えた。
そしてその状況は、柴山があらかじめ手配していたテレビ局のカメラによって一部始終を撮られ、それはすぐにテレビに放映されることになった。
ユキは助けを求める目で、周りを見渡すように見つめていた。
(お願い、誰かトイラを助けて)
ユキは救急隊員に手をとられ、救急車に乗せられそうになった。
「私は大丈夫です」
そのときだった。
警察がトイラとキースの手に手錠をかけた。
ユキはそれを見て、不公正な扱いに痛憤した。
「何をするの! この人たちは何も悪いことしていない」
ユキは救急隊員の手を振り払ってトイラとキースを守るように立ち向かった。
「すみません。あの、その、念のため、騒がれないようにと思いまして。罪を犯したとかそんなんじゃないんですよ。市民の安全のためにということで。ご理解を頂けたら」
警察は豹と狼だと思うと、何かに繋がずにはいられないようだった。
「別にそれで納得するのなら、俺は構わないぜ」
トイラが喋ると、警察官は少し帯びえを見せた。
「ご協力ありがとうございます」
お礼を言って手錠をはめる。ユキは納得がいかない。
「トイラとキースは何もしない。なぜ連れて行こうとするの。そんなのおかしい。彼らは何も関係ない」
ユキが暴れると、周りのもが必死に押さえつける。
それを見て、トイラは腹を立て、ユキを庇おうと立ち向かう。
「やめろ、トイラ」
キースが押さえ込むが、それは十分周りのものを怖がらせていた。
ユキは状況が不利になると思い大人しくなった。
「トイラ、ごめん」
トイラとキースは警察の車に乗せられてしまった。この時、ふたりは大人しく、されるがままに従った。
豹や狼の姿になって変に抵抗したら、それこそ銃で撃たれるだろう。
ユキは狂ったようにトイラの名前を何度も叫び、トイラはユキの顔を苦しそうに見つめ返していた。
ユキは無理やり救急車に乗せられてドアを閉められた。
ユキの叫びが途中でと切れる。
そしてサイレンが鳴ると同時に救急車は走り去っていった。