第三章


 仁はしゃがみこみ、優しく楓太の頭を撫でてやった。
「拙者にまだ用でもあるのか?」
 仁は少しでも情報を得たいがために、楓太の側を離れたくなかった。
「どうしても何も教えてくれないつもりなのか?」
 仁もあきらめきれず、しつこくぶら下がってみた。
「お前さんも切羽詰って大変なんだな。それなら一つ教えてやろう」
 その言葉で仁の目が大きく見開いた。期待して耳を澄ます。
「さっきのキジバトだが、明日、瞳が拙者を迎えに来るという知らせだった」
 楓太の情報は、仁をがっかりさせた。
「そんなことを知りたいんじゃないんだけど」
「何を落胆しておる。明日、ここに瞳が拙者を迎えに来るんだぞ。お前さんはその時は必ず拙者の側にいるんだ。今はそれしか教えられない」
「それで何かわかるんだったらいいけど、僕はあの子が結構苦手なんだ。ちょっと遠慮したい」
「瞳はお前さんに会いたいはず。だから必ず拙者の側に居てくれ」
 楓太の目は仁を見据えて懇願している。
「瞳ちゃんは僕のことをなぜか気に入ってくれて、結構大胆につきまとってくるんだよ。それ困るんだよ。遠慮しておく」
 仁は嫌がっている。楓太はそれがもどかしかった。
「お前さんは、瞳のこと何も知らない。もっと良く知るべきだと思う」
「それって、飼い主のために人肌ぬごうとしてるのかい?」
「いや、拙者は寧ろお前さんのために少し力を貸そうと思っただけだ」
「なんだそういう意味か。折角だけど、僕、そういうの間に合ってるから。好きな人もいるし、それに瞳ちゃんは僕のタイプじゃないんだ」
 楓太の目が、哀愁を帯びたようにもの悲しげになった。仁の物分りの悪さが残念でならない。
「な、なんだよその目つきは。まあ、楓太の飼い主貶して悪かったよ。楓太に取ったらご主人さまだから、力になりたかったんだろうけど、こればっかりは……」
 仁が困った顔になりながらも、穏便に事をすませようとまたヘラヘラ笑いで誤魔化した。
 そして突然尖がった声が耳を突き刺す。
「瞳のこと本当に何も知らないでいいのか?」
 楓太の目が何かを問うように鋭く仁を捉えたために、仁はその表情にはっとさせられた。
 自分は何か勘違いしているのではないだろうか。
 もう一度楓太に問い質そうとしたとき、良子が現れた。邪魔が入って何も言えなくなった。
「仁、ご苦労さん。なんだか楓太と気が合うみたいね。あ、そうそう、さっき瞳ちゃんから電話があって、明日午前中に楓太を迎えに来るって言ってたわ。楓太の傷の具合もよくなってきたから、ちょうど良かった。楓太、もう喧嘩しちゃだめよ」
 良子に首元を優しく撫ぜられながら、楓太は「ワン」と返事をするように答えていた。
「仁、今日のところはこれでいいわよ。ありがとうね。助かったわ。また明日の朝、もう一回だけ頼むわ」
「うん、わかった」
 仁は楓太を一瞥しながら答えていた。
 さっきの楓太の態度がどうも気になって仕方がなかった。
「さてと、あともう一つ診察の予約が入ってたんだ」
 良子はあと一踏ん張りと腕を上げて伸びをした。
「そういえばさっき、すごい動物診察してたね」
「まあね、最近、爬虫類もペットとして飼う人珍しくないもんね。犬猫だけって訳にはいかないわ。次の診察の予約も亀なのよ」
「そのうち、アナコンダみたいな蛇もやってきそうだね」
「いくら獣医でも蛇はさすがに大変だわ。毒をもってるのも平気で飼う人いるし、そればかりは蛇専門の獣医を当たってもらわないと。血清まで準備してないわよ」
「そうだよね。人間の医者だって、歯医者、目医者とか専門があるもんね」
「とりあえずは連れてこられた動物は診るけど、手に負えない種類はお手上げだわ」
 良子と話してる間、楓太は興味深く話を聞いているようだった。

 日がすっかり落ちてもまだ気温が下がりきらない蒸し暑さの中、仁は自転車を飛ばして家路に着いた。
 受験勉強しなければならないのに、騒ぎが大きすぎて落ち着く事ができない。
 いざとなれば浪人することも覚悟して、開き直ってしまう。
「とにかく今目の前にある問題を解決しなければ」
 そうは思いながらも、仁はこの日の出来事を振り返る。
 できるだけ平常心を装っていたが、本当は心乱れて苦しくなっていた。
 トイラの意識が目に見えたとき、ユキがまだトイラを深く思い続けている気持ちに打ちのめされ、結局、自分は蚊帳の外にいた気分になってしまった。
 自分がそんな惨めな気持ちにならないためにも、仁は進んでユキのために協力しようという気持ちを強く抱いた。
 だから藁をも掴む状態で楓太からの情報を手に入れたかった。
 中々思うように事が進まなかったが、『瞳のこと本当に何も知らないでいいのか?』と最後に楓太が言った言葉が耳についてはなれない。
 その晩、仁は風呂に浸かりながらゆっくりと暫く考えてみた。
「楓太は僕と瞳ちゃんをくっつけたいがために、瞳ちゃんのいいところを見るべきだと言っているんだろうか」
 だが段々と違うように思えてきた。
「もしかしたら楓太は何かを間接的に伝えようとしてるのかな」
 楓太が話せない立場なら、その飼い主である瞳が何か気がついたことがあるかもしれない。
 そう思うと、仁は次の日、瞳に会ってみようと決意した。
 リラックスすべきお湯の中で体に力が入ってしまっていた。
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