遠星のささやき

第八章

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 服職業の仕事といっても、メンズの服を扱う仕事をしているのでお客は男性が断然的に多い。
 この時まで深く考えなかったが、地元でも名が知れ渡ってる店、そしてよく人が集まるような場所で働いていて、こんな偶然が起こりうる事を考えなかった方 が おかしかったのかもし れない。
 なぜなら、私が働いている店に三岡君が来てしまったから。
 こんな偶然、拷問に等しかった。
 お互い出会ってしまったとき、顔が凍りつくくらいショックで心臓だけが激しく稼動していた。
 相手もそれは同じなのか、声を失い暫く静止状態が続く。
 なぜまた出会ってしまったのだろう。
 封印してた気持ちが飛び出しそうになって無意識に胸に手を掲げる。
 この状態で見て見ぬフリなどできない。
 ましてやお客。
 私は強張る体を無理に曲げるように浅く会釈した。

「リサ、元気そうだな」
 久しぶりに聞いた彼の声、優しく耳に届く。
 私の目はもう真っ赤になっていたと思う。
 気持ちはあのままだって自ら暴露してるようなものだった。
「三岡君も元気そうだね」
 無理に合わせるのが辛くても、そんな言葉しかでてこなかった。

「そっか、ここで働いてたのか。すっかり女らしくなってお前を見たときびっくりしたよ」
 もう何も言えなかった。
 そんな言葉掛けてもらっても全く嬉しくない。
 また地獄のような苦しさがぶり返すのかと思うと、優しくして貰いたくなかった。

「どんな洋服お探しですか?」
 私は仕事をしているんだと知らせる。
 気丈になろうとしたけども足は震えていた。
「ああ、そうだったな。ちょっとぶらっと見に来ただけなんだ。ごめんな、仕事の邪魔して」
 三岡君はすぐに察した。
 私だってほんとはすがりつきたいくらいなのに、こんな風にしか話せないことが悔しくてたまらない。
 高校生だったときの私は、どうしようもない大人の世界の状況にあれこれ言うこともできなかった。
 社会に出て、一人で暮らして自立した今、あの時のことが妙に腹立たしく思える。
 時間が経ったこの時になって三岡君の元彼女、いや、妻の存在に憤りを感じていた。
「それじゃ、俺これで失礼するよ。リサにまた会えて嬉しかったよ」
 三岡君らしくない弱々しい笑顔。
 背中も丸まっている。
 どこか老け込んだ姿。
 すかっと笑って白い歯を見せてくれたあのときの笑顔と比べると、つまんない男になっていたように見えた。
 三岡君はこんなんじゃなかった。
 いつも堂々としてリーダーに立つ様な男だった。
「三岡君!」
 思わず名前を呼んでいた。
「もっと背筋伸ばして、それから力強く堂々と歩きなよ。三岡君はずっとかっこよくなくっちゃダメなの」
 軽く鼻で笑って、寂しげな笑顔を私に向け手をさっとあげて「わかったよ」とでも言いたげに三岡君は去っていった。
 ずっと彼の後姿を見えなくなるまで見つめる。
 溢れそうになる涙を堪え、固まったように暫くその場から動けなかった。
 私は早めに休憩を取らせて貰い、トイレにかけ込み隠れて泣いた。

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