幽霊と見たあの日の夢は終わらない

第四章


 3 胡内大志


「それじゃ出るよ」

 竹本は、迷わず廊下に出る。

「あっ」

 自然と声が漏れた後、竹本が振り向いて俺と目が合った。消えてない。

 竹本が戻ってきて、俺はほっとした。

「なんだ、やっぱり前のドアだけがどこでもドアだったんだ」

 怖くなくなった俺も廊下へ足を向けた。

「一体この世界はどんな法則があるのかわからないけどさ、蓋を開けたら意外と簡単な仕組みだったりしてな」

 振り返って得意気に笑ったけど、そこには誰もいなかった。

「えっ! どういうことだよ」

「そういうことなんだよ」

 誰かが話しかけるから、俺はびびってしまう。隣のクラスから黒服の仮面をつけた男が出て来た。

「ち、ちょっと誰だよ、あんた…… 何でそんな格好なんだ」

 俺もよく知ってる大好きな仮面。

「ゴゴゴゴゴゴゴ」

 そいつが言った擬音はまさに、僕の好きな漫画のシーンそのものだ。

「えっ、まじで石仮面?」

 あれは俺の好きな漫画のアイテムだ。あれをつけると吸血鬼になって人を襲ってしまう設定だ。

 俺が唖然としていると目の前で、手を顔に被せて、体をキュッとくねらせて尻を突き出した独特のポーズを取った。いわゆるジョジョ立ちといわれるその漫画で有名なポーズだ。

 俺も漫画を読んで影響されたけども、全く知らない人物がいきなり登場してきてそんな事をされると薄気味悪い。

「お前は少し調子に乗りすぎた」

 石仮面が喋った。じりじりと俺に近づいてくる。俺は後ずさるが、背中で何かにぶつかった。

 ゆっくりと振り返れば、真っ黒な布切れをまとった者がいる。

「うわぁ!!」

 それはスクリームのお面だった。俺は殺されると思った。膝がガクガクし、逃げたいのに体が思うように動かない。

 かなり悲惨な顔つきをしていたのだろう。スクリームが笑っている声がくぐもって聞こえてきた。肩も震えている。俺が怖がっている事を楽しんでいた。

「おいおい、そんなに笑わなくても」

 石仮面が注意する。

「それならお前がなんとかしな」

 スクリームは俺をドンと突き押す。俺はつんのめりふらふらと倒れこんだ。

「けっ、ひでー奴」

 石仮面はそういって俺に近づき、上から見下ろした。

「まあ、ちょっと生意気で恥ずかしい奴ではあるな。あーあ、なんか嫌だな」

 そういいつつ、俺の手を取り、力いっぱい引っ張って立ち上がらせた。

「いてて」

 俺が痛がると、石仮面はため息を漏らす。

「ほら、しっかりしろ。情けない奴だな」

 スクリームは乱暴だが、石仮面の方は話が通じるかもしれない。

「一体、誰なんですか。俺をどうするつもりですか」

 できるだけ丁寧に言った。

「なんだ、急に優等生ぶった口の聞き方は。こういうときだけいい子ちゃんぶりか。それともクラスメートが誰もいないのをいいことに、無様な格好をさらしてもいいと思ったのか? 本当はもっとプライド高く、自己中心のくせにさ」

 石仮面もきつかった。

「どうした。本当の事を言われて口が聞けなくなったのか?」

 石仮面の裏で一体どんな顔があるのだろう。全然知らない奴にここまで馬鹿にされ、脅かされるのは悔しい。だけどそれよりも恐怖が勝ってしまって、俺は息をするリズムも狂って喘いでしまう。

「ほ、他のみんなはどうした。もしかして始末したのか?」

「他のみんな? ほー、お前が友達の事を心配するのか。そんなに仲がいい奴らなのか?」

 仲がいい? あれ? 仲がよかったっけ。

 コーセーはいつも喋るけども、心底の友達とはいえない。俺にとったら都合がいいだけだ。

 残りはそれ以下に、偶然同じ境遇にあっただけで、普段は喋ることすらない。そんな奴らと仲がいい? そして俺は心配している? いや心配なんてしてない。ただどうなったか知りたいだけだった。

「そ、そうだ」

 一応嘘でも肯定しておいたけど、声が上擦って自分でも嘘臭く聞こえた。

「そうか。それなら当然お前の事を助けに来てくれるだろう。さあ、歩け」

 俺は足を軽く蹴られた。

「ど、どこへ連れて行くつもりだ」

「体育館さ」

「みんなもそこにいるのか?」

「どこにいるかなんて知ったこっちゃない。大事なのはみんながそこへ来るかってことなんだよ。元の世界に戻る方法もいずれお前の仲のいいお友達は解明するだろう。だけどその解明した時、そこにお前がいないというのがポイントだ」

 石仮面の言葉がすんなりと頭に入ってこず、俺は暫く考え込んだ。

「おいおい、こいつまだ自分の置かれている状況がわかってないぜ」

 後ろからスクリームが言った。

「ちぇっ、なんでわからないんだよ」

 石仮面もイラついて吐き出した。

「元に戻る方法をみんなが見つけてくれたら、それは嬉しいし、別にその方法を俺が見つけなくても、この場合俺は何も気にはしない」

 俺が一番にその方法を見つけたらかっこいいだろうとは思うけども、誰かが見つけてくれたら俺はそれでいい。こんなことで別に張り合うつもりなんてない。

「バーカ。何を勘違いしている。お前の仲のいいお友達は、お前の事を好きなのかってことを訊いているんだ」

 階段の前に来たとき、石仮面は一度立ち止まって振り返り俺を見た。そしてまた前を見てゆっくりと階段を下りていった。

 俺も暫く突っ立っていたけど、スクリームにせかされた。

「ほら、早く行け」

 俺はふたりに挟まれて階段を下りていく。

『お前の事を好きなのかってことを訊いているんだ』

 その意味がやっとわかった。遠まわしに俺の事を助けに来るかをこいつらは訊いている。

「あいつら、きっと俺を助けにきてくれるよ」

 石仮面もスクリームも何も答えない。こんな時に無視するなよ。不安になってくるじゃないか。

 階段を下り終われば、廊下の突き当たりに昇降口がある。体育館はそこを出た向かいだ。

 何もこいつらに律儀についていかなくてもいいじゃないか。手足は自由だし、全力で走れば逃げ切れるかもしれない。外へ出たときがチャンスだ。

 後ろを振り返れば、スクリームが立ち止まって服を調えている。視界が悪くて動きにくそうだ。

 石仮面が先に外に出て、正面の体育館へと向かう。俺もその後を続いた時だった。今だ。逃げろ。

 だけど、まさか校舎のすぐ出たところにまだ仲間がいるなんて考えてもみなかった。俺が右へ曲がってダッシュした直後、ドンと赤いお面の男にぶつかった。

「おっと、どこへ行くつもりだ」

 もうひとり不気味に俺を見ている能面の女もいた。こいつらは一体何人いるんだ。

 俺は赤のお面に首根っこを捕まれ引っ張られた。

「おい、石仮面。しっかり見とけよ」

「あっ、わりい、わりい。なんかあんまりそいつ好きじゃないわ。見てたらむかついちまって」

 俺だってお前らのことは大嫌いだ。俺のことをバカにするな。腹が立つも、一対四ではどうしようもなかった。

「その気持ちは分からないでもない。俺もコーセーを見た時、あいつの頼りなさにギュってつねりたくなった」

 コーセーはこいつらに出会っても上手く逃げて、なんで俺だけが捕まるんだ。

「あっ、不服そうな顔」

 能面が俺に顔を近づけてくる。

「向こういけよ」

「私が女だから強気なの? はっきり言って私が一番きついよ。くらえ、でこピン!」

「いてっ、何すんだよ」

「はははは」

 くるくる回って喜んでいた。

「ほら、お前も早く体育館に入れ」

 赤いお面の男に押されて俺はつんのめる。

 広い空間で、ボールの弾かれる音が響いている。石仮面がバスケットボールを持ってドリブルをしていた。それをバスケットゴールに投げ入れシュートを決めた。

 かっこつけているが、あれぐらい俺にだってできる。バスケットは結構得意だ。

 俺は石仮面に近づき、奴の持っていたボールをバシッとはたいた。

「おい、何するんだよ」

 石仮面が怒っても俺はボールを手にしてドリブルしながらゴール目掛けて走る。そしてシュートを決めた。我ながら綺麗なフォームだった。

「お前な、何を張り合ってるんだ。自分の置かれている状況が分かってるのか?」

「分かってるけど、別に俺は手足を縛られるわけでもなく、危害を加えられるわけでもない。あんたが格好つけてバスケしてるもんで、ちょっと相手になってやろうと思って。あんたもバスケ好きそうだし」

 ここで流れを変えて逃げる隙を見つけるんだ。

「状況に慣れると、お前は調子こくんだな。自分で判断してそう決め付けて突っ走る。まるで自分が主人公にでもなったみたいに。バスケを通じて仲良くなれるとでも思ったか?」

 石仮面が手を挙げると、スクリームが側にやって来た。

「なんか用か?」

「ああ、コイツ、隙を見て逃げようとしているようだ。ちょっと見ていてくれないか」

 あっ、石仮面には本心がばれていた。

「面倒くせー」

 スクリームはやる気がなさそうだ。

「コイツを好きに殴っていいぞ」

 ちょっと待ってくれ、なんでそんな事を指示するんだ、石仮面。

「えっ、本当にいいのか?」

 やる気がなかったのになぜそこでやる気になるんだ、スクリーム。

「ああ、構わん。遠慮なくやってくれ。まあ、あれだ。サービスさ。お前には迷惑かけたからな」

 どういう意味だ、サービスって。俺はお前の所有物じゃないし、提供される粗品でもない。

 俺は言い返すことも出来ないまま、石仮面がバスケをする姿をただ睨んでいた。

 その直後、スクリームが俺の前に立ちはだかる。同時にぞっとした。本当に殴られるのだろうか。

「さてと、石仮面がいいと言うんだから、一発くらい殴るか」

「えっ、ちょっと、待ってくれよ。一体俺が何をしたんだよ」

 スクリームは腕を挙げ俺は怯んだ。だが、すぐには殴ってこなかった。

「なんてな、冗談だよ」

 スクリームが腕を下ろした。そのとたん俺の緊張が解けた。

「ただのはったりかよ」

 俺が口走ったその時、腰に足蹴りされた。

「いてっ。なんだよ、そのフェイント。卑怯じゃないか」

「あんまり強く蹴ってないぞ。そっちこそ大げさだな」

 強いわけではなかったけども、十分鈍い痛みを感じた。急に蹴られたら納得行かない。

「人に危害を加えるなんて、それだけで異常じゃないか」

「そうだよな。お前の言い分も分かるぞ。だけどさ、お前だって簡単に手を出したことあるだろう。ふざけて、ノリで軽く虐めてさ」

 確かにそれはあった。でもあれは仲間内の遊びだ。本気で殴ったことなんてない。

「お前はいつも殴る役ばかりで、殴られたものは我慢して笑っている。それを楽しんでいると勘違いしてるけど、どんなに遊びでも叩くのは、相手を見下してるからだ」

「じゃあ、あんたも俺を見下してるってことじゃないか」

「ほら、俺を責めて、やっと自分が見下しているって認めた。見下すから殴れるって肯定したのと同じだぜ」

 まるで哲学のような理屈っぽさ。相手がそうだと認めた時、自分もそうである。なんだよ、これ。わけわからん。

「人間ってさ、自分を基準にして上か下かのランク付けするんだよな。そして自分よりも下だと思っていた奴が、自分よりも優れた 事をすると気に入らず認められない。そうやってそいつの事が嫌いになる。または自分が目立つために邪魔をしてくる奴とかもそう。自分よりも気弱な奴を支配 下に置いて管理して自分がえらいと思いこむ」

「なんだよ……」

 俺は圧倒されて言い返せない。心当たりがもろにある。

「自己主張が強い者ほど、周りを気にして負けたくないと人と張り合ってしまう。そうだろ?」

「……」

「プライドが高く、負けず嫌い」

 さっきからこいつは何を言っているんだ。でも耳が痛い。

「そういう奴をどう思う? お前は好きか?」

「そんなの、嫌だよ。嫌いに決まってるじゃないか」

「へぇ、そうなんだ。てっきり自己愛が強いものかと思ってたよ。お前自身のことなのに」

 そうだよ。俺は自分が嫌いだよ。お調子もので、承認願望が強くてすぐに嫉妬する。こんな心の狭い自分が嫌なんだ。だから、認められてすごいって思われたいんだ。そしてもっと無理をして、嫌いになってそのループだよ。

 俺はなんだか落ち込んでいく。この上なく惨めで情けなくなっていく。

「あー、これでスカッとする」

 落ち込んでいる俺をスクリームは虐めて楽しんでいた。

「一体なんなんだよ。お前たちの目的は何なんだよ」

 俺は打ちのめされて半分べそを掻いていた。

 石仮面はさっきからひとりでバスケットをしていた。一心不乱にボールをシュートしている。ボールの跳ねる音、きゅっと靴が床を擦れる音、ゴールにぶつかる音が聞こえていた。

「もっと自分を好きになれよ。心を開けよ」

 スクリームの言葉に、俺は「えっ?」と顔を上げた。

「何でも、殻に閉じこもったり、視野が狭かったり、自分の不満に押し潰されていたりすると、人間って意地の悪い根性が育ってい くよな。そして攻撃的になるやつもいたら、悲観的になってうじうじするやつもいる。どんどん人間が嫌いになって、目につくやつらみんな嫌いだーなんてな」

 スクリームはどこを見ているのかわからない方向を見てひとりで喋っている。もしかしてこいつもそうなのか?

 ボールが弾む音が近づいてくる。石仮面が俺の方にやってきていた。

「まだこいつを助けに来ないな」

「みんな元の世界に戻ってたりして」

 スクリームが茶化した。

 俺は心配になってくる。みんな俺を助けに来てくれるのだろうか。それだけの友情が俺たちにあったのだろうか。

 いや、全くなかった。

 こんな訳のわからない奴らを前にしてどうやって俺を助けにくるというのだろう。あいつらだって得体の知れない連中を見て怖がっていたに違いない。危険を冒してまで来るわけない。

 その時、ボールが俺の体にバンと当たった。

「いてっ、何するんだよ」

 石仮面が俺を見ていた。

「ほら、助けてくれってお友達に言えよ。それとも、プライドが邪魔してそんな事も言えないか?」

 またボールをぶつけられた。

「ちょっとやめてよ」

「これでわかっただろう。お前は忘れられてるんだよ。誰も助けに来ないんだよ」

「そんな」

 俺は追い詰められていく。誰も助けに来てくれないと思うと、自分がしてきたことを後悔していた。

「ほらほら、今の心境を声に出してみろよ。プライド捨ててもっと素直になってみろよ!」

 石仮面が俺に怒鳴った。

「た、助けて……」

「えっ、聞こえないぞ。もっとお友達に聞こえるように言ってみな」

「た、助けて、早く助けに来てくれ!!」

 俺はもう限界だった。

「そうだよ。素直に言えばそれでいいんだよ。それでもし、仲のいいお友達が本当にお前の事を助けに来たらどうするんだ?」

「それは、もちろん感謝します」

「罪を悔い改めるほどか?」

 石仮面は鼻で笑うように言った。

 窮地に立たされて、頼れるのがかつてバカにしていたクラスメートたち。あいつらが本当に助けにくるのだろうか。俺は体育館の真ん中で迷子になった子供のように途方にくれて突っ立っていた。

 石仮面とスクリームがこそこそ何かを話し、体育館の入り口付近にいた赤のお面に指示を出していた。

 赤のお面が姿を消して暫くすると女性の声で校内放送が流れてくる。

「この放送を聞いている諸君へ、胡内大志からの伝言です。『早く助けに来てくれ』だそうです。以上」

「これで助けに来なかったら、お前は心底嫌われているってとこだな」

 石仮面が言った。

 俺はへなへなと床の上にへたってしまった。

inserted by FC2 system