第四章

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  ◇澤田隼八の時間軸

 今日は始業式だ。延期されることなく普通に始まった。
 学年ごとにクラス分けの紙が校舎の壁に張り出されて、人が集まっていた。遠慮がちに自分の名前を探していたら、ショートヘアーの活発そうな女の子と接触してしまった。
「すいません」
 僕はすぐに謝った。
「気にしないで」とあっさりと言った後、その女の子はすぐに自分の名前を見つけ、そこを離れる。その直後、僕の背後で誰かに名前を呼ばれていた。
「リミ、何組だった?」
 えっ、リミ? どこかで聞いたことのある名前だ。そう思って二人の会話を立ち聞きしていた。
「私は二組だった。芽衣ちゃんは?」
「私は一組。離れちゃったね」
 芽衣はがっかりしてたけど、すぐ他の人にも同じ質問をして、そこで同じクラスだと分かると、すでにリミの事は忘れたようだった。
 僕もそこで自分の名前が二組に入っていた事を知った。リミと同じクラスかと思い、彼女に振り返った。
 リミはひとりで立って、声をかけてきた芽衣を冷めた目で見ていたのでつい話し掛けた。
「あの、まさかだとは思うんだけど、栗原智世さんって知ってる?」
「えっ、知ってるも何も、幼馴染み……だった」
 最初驚いたけど、急に現実を突きつけられたみたいな悲しい瞳を僕に向けた。
 まさかこんなところで栗原さんの友達に会うなんて思わなかった。
「僕も栗原さんの友達なんだ」
 すでに仲良くなってるからそういったところで問題はないだろう。
「でも智世ちゃんは……」
「知ってる。僕もその時事故に遭ったから」
 リミは口元に手を当ててはっとした。
「じゃあ一緒にバスに乗ろうとしてあのバス停で待ってたんだ。もしかしてふたりはできてたの?」
 結構はっきりとモノを言う子だ。
「そうだったらよかったんだけど、まだ始まる前だった。でもあの事故がなかったら僕たちはきっと付き合っていたと思う」
 いいよね、栗原さん。君の幼馴染に僕の妄想を伝えても。
 僕が声を掛けていたら、栗原さんはきっと僕のこと好きになってくれてたでしょう。だから本当のことだよね。
 リミはこの上なくびっくりしていたけど、目が少し潤んでいた。栗原さんのことを思い出すと自然にそうなるのだろう。
「そうなんだ。智世ちゃんもすみに置けなかったんだ。それならそうと教えてくれてたらよかったのに」
「リミさんは栗原さんと仲いい友達だったの?」
 小学生の時、栗原さんは好きかと訊いて、半分より少し上って言われてショックを受けていたあのエピソードが思い出される。
「当たり前じゃない。大親友よ。小さい頃からずっと一緒だったんだもん。いいところも悪いところも知ってるし、喧嘩もしょっちゅうだったし、だけどいつも自然でいられた。あんな友達もう二度と作れないと思う」
 最初は子供同士の他愛ない付き合いで始まっても、月日を重ねたらまたかけがえのない友情が育っていく。そして失ってしまった後だから、それが大切なものだったと改めて気がついたのだろう。リミも栗原さんを失って嘆き悲しんだに違いない。
 僕たちは栗原さんのことを思い、一緒にしんみりしてしまった。
「おい、澤田、お前何組になった?」
 昨年同じクラスだった鹿島が側にやって来た。
 僕はリミに「またあとで」といって軽く頭を下げた。そして鹿島と合流する。
「お前、早速女子に声かけてるのか。この」
「そんなんじゃないって」
「で、お前、何組だよ」
「二組だけど」
「なんだ、また同じじゃないか。で、さっきの女子ももしかして同じクラスか?」
「うん」
「なかなか目立ってかわいい子だったじゃん」
「そんなんじゃないって」
「だったら、俺アタックしちゃうぜ」
 どこまで本気でどこまで冗談かわからない。でも鹿島はとても気さくで話しやすい。
 僕は彼女の幼馴染が好きなんだって鹿島に言いたかったけど、今はまだ全てを話せない。
 栗原さんはこの世界線にいないけど、栗原さんを知っている人がいた。また後で栗原さんの事を訊いてみたい。リミと話を共有することで思いが強くなってそっちの世界線の栗原さんとまた繋がれるんじゃないかって僕は期待している。
 僕はどこにいても君を思う――。
「澤田、何ぼんやりしてんだよ。もしかして悩んでるのか? もし足のことでからかわれたら俺に言えよ」
 鹿島は哲みたいに面倒見のいいところがある。
「大丈夫だよ。僕はこの足がかっこいいと思ってるから、反対に自慢してやるよ」
 僕の新しい義足が体の一部として段々と馴染んできた。
 僕はこの世界でも一生懸命生きていこうと思う。栗原さんとあんな冒険をしたからさらにパワーアップしたよ。
 学校の校庭の隅で桜の花が咲いている。風が吹くと柔らかく一枚一枚が次々と木から離れて舞っていく。散っていくのはもったいないけど、それがはかなげでありながらとても美しく、まるで僕の初恋に似ていると思った。


 ◇栗原智世の時間軸

 始業式が終わって、家に帰る前に思い立って、澤田君が私に初めて会ったと言われる場所に行った。中学校から下りてくるあの緩やかな坂道。あそこで澤田君とすれ違った。
 もしかしたらあの辺りに澤田君の家があるのじゃないだろうか。
 私は久しぶりに中学へ行く道を歩きながら、『澤田』の表札が出てないか辺りを見回した。こんな小さな町でも、一軒の家を探すのは至難の業だ。やはり思うように探せなかった。
 そんな時に『猫に餌をやるな』という張り紙がブロック塀に貼ってあるのを見つけた。きっとあのうるさそうな爺さんの家に違いない。
「福は私が引き取ったけど、この近所にはまだ猫がいるんだ」
 その張り紙をじろじろ見ていたら、キーというブレーキ音が後ろで響いた。あまりの不快恩に首をすくめた。
「あんた、わしの家の前で何しとる」
 振り返れば、やっぱりあのお爺さんだった。でもお爺さんは私の事は覚えてなさそうだ。
「あの、家を探してまして」
「家を探してる? 誰の?」
 お爺さんに言っても分からないだろうけど、とりあえず澤田君の名前を口にしてみた。
「おお、あの子か。あんた、あの子の知り合いか?」
 先ほどの居丈高な態度が和らいだ。
「まあ、そうですが。ご存知なんですか?」
「ああ、この町内のことだから、一応は」
「教えてもらえませんか」
「ああ、別にかまわんが。ここを真っ直ぐ行って、左に曲がってちょっと大きな通りに出たら、右に緩やかな坂をあがって、次の道を左に曲がった先にあるアパートだったはずじゃ」
 お爺さんが教えてくれたお陰で、位置が大体分かった。行けばわかるだろう。
「どうも、ありがとうございました」
 丁寧にお礼を言って、去ろうとした時だった。
「うーん、あれは悲惨な事故だったな。澤田さんもかわいそうに」
 きっと足を失った事故の事を言っているのだろう。
 適当にあしらって頭を下げて今度こそ去ろうとした時、お爺さんはしみじみと呟いた。
「一人息子さんだったのに、亡くなられてかわいそうに」
 それを聞いて私はハッとして顔を上げた。
「ちょっと待って下さい。澤田君は事故にあったけど、足を怪我したんじゃないんですか」
「なんか勘違いしとるようじゃな。あの事故はこの町中に広がって誰もがお気の毒にって思ったもんじゃった。わしも近所だったから告別式には行かせてもらった」
 そんな、嘘よ。この世界では澤田君が事故で死んだなんて。
 私はすぐさま走り去る。
 そんな事ってありえない、この世界に澤田君が存在しないなんて。
 感情に流されるまま無我夢中に暫く走って、息が切れた。立ち止まりはあはあとして前方を見れば、二階建てのアパートが目に入った。
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