Lost Marbles

第四章


 硬くなって突っ張っていたジョーイの体は限界だとばかりに突然力が入らなくなり、持っていた箸をぽろっと落としそうになった。
 はっとして慌てて箸を掴み直す。
 何を動揺しているのだろう。
 落ち着こうとばかりに目の前の大豆の煮付けを一粒挟んだ。
 そして平常心を心がける。
 それはいつもの自分の姿であるのに、なぜか無理をしているように思えた。
「特別っていうより、奇抜で謎めいてるだけで真相を知りたいだけだろ。それにまだハリウッド女優だって決まったわけじゃないし、ほんとのそっくりさんなだけかもしれない。迎えに来ていた人もキノの親の可能性もあるだろ」
 言い終わると、ジョーイはぱくっと豆を口に放り込んだ。
「まあな、勝手に俺らが推測してるだけに過ぎないのは分かってるけど、あのコンビニ事件はキノの企んだことなのははっきりしている。やっぱり只者じゃないだろう」
「それで、英会話ボランティアではどんな行動だったんだよ」
「ああ、俺もそうだけど、眞子ちゃんの指示で動いてたから、別に変わったことはなかった。普通にボランティアで来ていただけだった」
「お前、先生のこと眞子ちゃんって呼ぶのは止めろよ」
「いや、それが本人も気に入ってるみたいで別に注意はされてないぜ」
「本人に向かってその呼び方だったのか……」
「うん。あっ、そういえば、俺が眞子ちゃんって呼ぶとキノのやつ眞子ちゃんの反応見てた。キノも俺がそう呼ぶことに対してびっくりしてるのかな」
「一体クラスには何人いて、どんなことやってんだよ」
「気になるんだったら来ればいいじゃないか」
 ジョーイがその質問で黙り込んでしまうと、社交的ではないのは充分理解していると言わんばかりにトニーは優しく負担にならないように笑みを浮かべる。
「意地張ってないで、一度来てみないか。ジョーイがくれば眞子ちゃんも喜ぶと思うぜ。明日来いよ」
「なあ、そのボランティアって毎日あるのか?」
「クラブ活動みたいだし、レギュラー人は毎日かもしれないが、ボランティアは気が向いたらいつでもいいってことになってる。一回こっきりでもOKってことさ」
「そっか」
「じゃあ決まりだね」
 ジョーイは行くとはっきりと答えた訳ではなかったが、トニーによって決め付けられた。
 だがそれを全く否定せずに、茶碗を持ちジョーイはご飯を口に入れ、ただ黙々と食べていた。
 世話がかかるとでも言いたげな目をしながら、トニーもまた黙って食べていた。

 トニーが夕飯の後片付けをしているときだった。
 部屋に突然電話が鳴り響く。
 ソファーでテレビを見ながら寛いでいたジョーイは、面倒くさそうに立ち上がり、テレビに視線が向いたまま、電話の受話器を取った。
 どうせまた母親からだと思い込み、けだるい声で「もしもし」と言った。
「(ヨッ、どうだ大豆の謎は解けたか?)」
 電話の向こうのぶっきらぼうな言い方で、体がはっとした。
 名前を告げなくても、それがギーだとすぐに分かる。
 それと同時に心臓が高鳴り、こめかみがうずくようにドクドクと血が流れ出した。
 すでにギーが要注意人物だと、体で感じていた。
 本当はどうして電話番号を知っているのか、なぜしつこく付きまとうのか、問い質したいが、このことを外部には知られてはいけないと本能が察知し、トニーをさりげなく一瞥する。
 トニーは後姿を向け、皿洗いをしている最中で、ジョーイの行動にまだ気がついていなかった。
 ジョーイはくるっと背を向け、ただ耳を澄ましていた。
「(なんだ、急に黙り込んで。そうかまだ謎が解けないもんだから悔しいのか。まあいい。それならもっとヒントをやってもいいんだぞ。明日学校が終わったら会わないか)」
 ギーからの誘い。
 ふざけるなとでも言って断るべきなのか。
 しかし家にまで電話を掛けてくるということは知らずと身辺を調べ上げられている。
 どうせまた何度も誘ってくると判断すると、ジョーイの口から投げやりに「OK」と返事をしていた。
「(場所は明日なんらかの方法で知らせる。こっちも色んなリスクがあるもんで、君と接触するのは注意が必要なんだ。明日使いを差し向ける。頭のいい君のことだ。すぐに俺からの連絡だっていうことがわかるさ。それじゃな)」
 電話は用件を伝えるとすぐに切れた。
 ジョーイは、ギーの傲慢な態度にイラつきながらもそっと受話器を置く。
「なんだ、サクラからの電話だったのか?」
 タオルで手を拭きながら、トニーが話しかけてきた。
 ジョーイはできるだけ怪しまれないように、それらしき嘘を咄嗟に思い浮かべた。
「いや、早川真須美、俺の精神科医からだった。明日学校終わってから会えないかって」
 トニーはカウンセリングのことについては、気を遣う一面を持っている。
 精神的な問題が含まれるので触れてはいけない話題とでも思ってるのか、これを話すと受け流すところがあった。
「そっか、大変だな。じゃあボランティアはまた今度一緒に行こうぜ。明日は遅くなるのか? まさかそのままお泊りってことには……」
「馬鹿!」
「冗談だよ。まあそれでも俺は気にしないぜ」
 トニーは笑いながら、用が済んだとばかりにソファーに座りこんだ。
 リモコンを持って番組をさりげなく変えている。
 そこには重い話を無理に軽くしようとしているような、心遣いがあったように思えた。
 知りたいことはとことん追求してくるが、ジョーイのカウンセリングのような繊細な領域には、一切かかわろうとしない部分は、一目置くところなのかもしれない。
 ジョーイの過去については、トニーには一度も話したことはないが、時々異様に気を遣う場面があるのは母親のサクラから何か聞いているのではとジョーイは感じていた。
 自分のような癖のあるものと仲良くできるのは、トニーくらいなものだと、ジョーイも認めるところがあるが、一緒に住んでる以上、トニーは結局人一倍気を遣っているのだろう。
 時々腹を割って、好きなこと言い合えば喧嘩になるところ、トニーは絶対そこまではしない。
 女に対してはだらしないが、男として見習うべきところも具え持っていた。
 それだけに嘘をつくのは心苦しいが、この件に関しては人に知られてはいけないと、強く何かが耳打ちするような感覚を覚える。
 第六感とでもいうのだろうか。
 それはとても危険な香りがしていた。

 翌日、普段通りに学校へ向かう。
 どこからギーの連絡が入るのか、気が抜けないと朝から気難しい顔を周囲に向けながらジョーイの体はピリピリしていた。
「ジョーイ、TGIフライデーだぜ! Thanks God, it's Friday!」
 トニーに背中をどーんと叩かれた。
 神よ、金曜日をありがとう。
 アメリカでは週末を控えた金曜日は、気が楽というのか楽しみを抱くところがある。
 陽気なアメリカ人は、キャッチフレーズを口走りさらに陽気になる。
 しかしジョーイたちの学校は週五日制を無視して土曜日でも半日の授業が盛り込まれていた。
 別にフライデーを神に感謝する理由はない。
 ときどきずれるトニーのおめでたさがわずらわしいが、とにかくトニーは楽しめることは楽しみたいというノリのいい男だった。
 この日の朝もまたいつものように電車に乗るが、そこにはキノの姿はなかった。
 前日トニーが学校で見かけたということは、通学はしているに違いない。
 ただ、直接会わないように避けられているみたいに、あれ以来キノとは会えない日々が続いていた。
 ジョーイが制服のポケットに無意識に手が触れると、硬い丸みのものに触れた。
 そういえば、駅で忘れた置き土産のビー玉をまだ持ってることに気がついた。
 まだまだビー玉は転がり続け、何かにぶつかっては次の出来事へと導いているのかもしれない。
  ジョーイはポケットの中で、ビー玉を指に絡ませ暫く弄っていた。
 きっとまた次の展開がやってくる。
  自分がビー玉になって転がっている気分になっていた。


 学校の門をくぐれば、トニーは知ってる顔に次々会い、いつものように挨拶をかわしていく。
 ボランティア活動で、さらにその知名度は学科や学年を飛び越えて広がりつつあるようだった。
 他の友達に囲まれると、トニーはそのまま先に行ってしまった。
 それはトニーの交際範囲であり、ジョーイは一人になろうと別にどうでもよかった。
 自分は一人で気楽でいいと思っていた時、後ろから「ジョーイ」と小さく声を掛けられた。
 学校で自分に近寄って声を掛けて来る奴など滅多にない。
 掛けてくるとすれば、自分によく似た無表情のリルくらいなものだと、面倒くさく後ろを振り向いた。
 だがそこにはキノが立っていた。
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