第五章
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招待を受けたアイシャのコンサート会場は、円盤のような形をした大きなアリーナで行われる。
その周りでは人々がどこからともなく集まって、辺りは混雑していた。
「すごい人気なんですね」
沢山の人が集まる様子をあまり見たことのないキャムにとって、同じ方向へ吸い込まれるように向かっていく様子は、圧倒されて酔うような気分だった。
「俺たち、娯楽部分なんて縁遠いからさ、アイシャが宇宙で名の知れた歌手だとは全然知らなかったぜ」
ジッロにとって、その本人から招待されてもまだそのありがたさがよくわかっていなかった。
「だよな、いっつもハングリー精神で、世間の流行とか追いかける余裕すらなかったもんね。セカンドアースで住んでる人たちってかなり裕福で恵まれてるもんなのかね」
例え恵まれていたとしても、ネオアースに行けないのは同じだろうと思うとマイキーはそんなに羨ましいとは思わなかった。
「月とネオアースは繋がりが深い。そんな場所で名声を上げたものがここへ来るというのは、好き嫌い関係なく見に来たくなるものなのかもしれない。ネオアー
スへ行けない分、月はまだ手が届く範囲でもある。そこで流行っているものを取り入れて遅れを取りたくないコンプレックスの裏返しで流行ってるだけなのかも
しれない」
クレートは冷めた目つきで周りの人間達を見ていた。
「ちょっとそれは捻くれてるかもしれませんよ。皆、純粋にアイシャの歌声を生で聴きたいんですよ。ちらっとしかまだ聴いてませんけど、ほんとに素晴らしい歌声なんですって。僕もなんだか心の中で何かが弾けるようなそんな衝撃を受けました」
キャムは何も反応しないクレートと暫く見詰め合うも、自分が出すぎた事を言ったかもとハッとしてあたふたしてしまった。
「僕なんだか生意気でしたね。すみません」
「いや、そんなことない。つい皮肉った事を言ってしまったと自分でも気がついたまでだ。こんな事を言ったのはどうやら私が一番コンプレックスを抱いていたようだ。キャムの言う通りだ」
クレートはキャムの意見にしっかりと耳を傾け、自分の過ちを素直に認めた。
自分の事でも冷静に判断できるその態度が却って男らしい。
キャムの鼓動が少し早まって、胸がきゅっと収縮した反動で肩がピクッとはねた。
その後は息苦しくなるようで、それ以上クレートを見ていられなくなってきた。
「と、とにかく百聞は一見にしかずです。彼女の歌で一体どんな事を感じるのか、また後で聞かせて下さいね」
「わかった」
クレートが笑った。
その笑顔はとても上品で気品高く感じる。
クレートが微笑むのを見る度、キャムは自分がどんどん変になって行くのを感じていた。
しかし、自分でそれを認めたくないために、とことん否定する。
──ただの憧れだから。憧れ。
前を歩いていたジッロとマイキーの間めがけて、高まった気持ちを発散させるようにわざとぶつかっていった。
二人はキャムの接触にドキッとしていた。
「お前、何ぶつかってきてんだよ。100年早いんだよ」
ジッロはキャムのほっぺたをつまみあげた。
「急に来られるとびっくりするじゃないか。このいたずら坊主め」
マイキーは頭を拳でぐりぐりと突いていた。
「ちょっと、そこまでしなくてもいいじゃないですか」
それでも思ったほど痛くはなかった。
二人はつっけんどんな態度をとっていながら、不思議と顔は笑顔になっていたので、キャムもニコッと微笑む。
二人に挟まれながら、会場の入り口へと向かっていった。
「キャムは明るい、とてもいい子ですよね」
クローバーが出し抜けにクレートに言った。
「そうみたいだが、知らぬところで寂しい思いもしているのだろう」
「でもキャムはあなた達にとても救われてます。あなた達と出会わなければ、こんなに明るくなれなかったでしょう」
「まるで、キャムの事を昔から知っているような口ぶりだな」
少しだけクローバーの間が空いた。
「そういうつもりではなかったのですが、勘ぐり深いクレートのことですから、色々と思うこともおありなのでしょう。ただ私が言いたいのは、私が原因で危な
い目に合わしてしまったのは確かですから、責任を感じていました。だからキャムが明るく楽しく振舞っている姿を見ると私はとても嬉しいんです」
「クローバーがどう思おうと勝手だが、この先何が起こるかわからない。スペースウルフ艦隊も動いていることだし、ネオアースから来たクローバの目的も何か
わからない。未知なるものに時々恐れをなしてしまう。果たしてキャムと君を私の船に置いておく事が正しいことなのか、それとも……」
クローバーはクレートの言葉を遮るように話し出す。
「それは善悪で判断することなのでしょうか。私がネオアースから来ただけで、悪だとお思いでしょうか? 一つだけはっきりいえる事は、キャムも私もあなた方に好意を抱いているということです。私はただそれだけをお伝えしたかっただけです」
「そうか。気に入られて光栄だ」
クレートは微笑して静かにつぶやいた。
「きっといつか真相の方からあなたに追いつくことでしょう。もしかしたら、ある程度のことはお気づきなのかもしれません。だけど、どうかまだ私達を追い出さないで頂きたい」
「そんな言い方をされると、クローバーの記憶が戻ったような印象だ」
「さあ、戻ったのか戻ってないのか、それはあなたの判断に任せます」
曖昧な言い方を裏返せば、記憶喪失を真っ向から否定することになる。
本当に記憶喪失であるならばこんな言い方などしない。
クローバーもクレートを騙せないとすでに感づいているということだった。
無表情な顔でクレートを見つめるその姿勢は、クレートの反応を気にしていた。
「わかった。君は私を試したいようだ。本当に信用できるのか、そうでないのかを。それを見極めたとき答えを教えてくれる。そうじゃないかね」
「あなたはとても頭の回転の速い人です。あなたこそ頭にコンピューターが入っているのではないですか?」
クローバーは答えをはぐらかした。
しかしクレートにはクローバーの言わんとしてたことがすでに飲み込めていた。
「さてと、キャムが言ってた素晴らしい歌声とやらを楽しもうではないか。アクアロイドの耳にはどのように聞こえるか、後で感想をきかせてもらえないかね」
「はい、わかりました」
二人はそれ以上話すことはなかった。
クレートにはもうそれで充分にクローバーがキャムを迎えに来たこと、そしてネオアースに関して何か秘密を持っていることが伝わっていた。
記憶喪失ということも嘘だと早くから見破っているだけに、クローバーには何かの使命があることも分かった。
クローバーはクレートの助けを必要としている。
ただそれをまだ直接いえないだけに、回りくどい言い方をした。
そうすればクレートはすぐに理解するという計算だった。
──頭の回転が速いのは君の方ではないかね、クローバー。
横目で女性の姿に変装しているクローバーをちらりと見ながら、クレートは片方の口角を上げてニヤリとしていた。
前方を見ればキャムがジッロとマイキーとふざけて遊んでいた。
暫くは、息抜きできるこんな光景もいいとキャムが仲間に加わった僥倖に感謝するような気持ちになっていた。
クレートの目から見ても、キャムは心を和ませてくれる魅力があった。
そんな風に人を見ることなどなかっただけに戸惑いつつも、心の感じるまま人と接することの楽しさを教えられたような気持ちだった。
何かが変わりつつあると、パンツの両ポケットに手を突っ込んで少し気楽に歩いていた。