第三章


 令和元年五月一日。世間がお祝いムードで盛り上がっていても僕はあまりピンとこなかった。朝、目覚めたらいつもと変わらない日だった。まだ寝たらないとあくびをしながら僕はゆっくりと布団から出た。
 歴史に刻まれる元号の始まりがこんないつもと変わらない、しかもだらけた態度で少しだけもったいないような気もした。
 でも映見とこれから会うと思うと非日常な気もする。深く考えるのは止め、身支度をさっさと済ませ、カメラを手に取ると映見の言っていた待ち合わせ場所の神社に向かった。
 地元でもあまり人が寄ってこない寂れた小さな神社はひっそりとして物悲しい。その古ぼけた祠の前で、映見が手を合わせて拝んでいる。その後姿は無防備だ。
 もし上手く斜め前あたりに回り込むことができたら気づかれずに写真が撮れそうだ。息を殺してそっと近づく。
 でも僕がそこへたどり着く前に彼女は顔を上げてしまった。僕の動きも同時に止まる。後ろを振り返るかと思ったが、いつになく真剣な様子ですがるように祠 を見つめたままだった。何をそんなに思いつめているのだろう。その映見の佇まいが悲しく見えて、僕の胸をいたずらにキュッとさせた。
 穢れを知らない純粋な佇まい。あまりにもそれは貴く透明に透けていくようだ。まるで光の集合体がそこに固まっているだけで、何かのショックを与えれば今 にも儚げに消えてしまいそうだ。僕はそれを美しいと思うのだけど、そう思う事が心を揺さぶらせて却って震えてしまう。泣きたくなる不安が現れ、急に怖く なってしまった。
「映見!」
 咄嗟に追いかけるように声をかけていた。
「えっ、透?」
 驚いて振り返る映見。
 僕はいてもたってもいられなくて走りよった。
「隠し撮りするのに、自ら声を掛けてどうするのよ」
 映見は笑っているが、この時僕は写真を撮ることなどすっかり忘れていた。映見が居なくなってしまうのではと僕は恐れた。そんな事が言えず誤魔化した。
「なんか神社の神々しい雰囲気に負けた」
「はい?」
 映見はいつもの調子に戻っているけども、僕は胸がドキドキとして落ち着かない。もしかして僕の呪いが影響を及ぼしてしまったのじゃないかと、いやな予感を感じていた。
「写真撮るよ」
 僕は負の気分に捉われてそっけなく言った。
「ええ? そんな簡単に撮っていいの? 張り合いがないな」
 僕はカメラを構える。
 映見は戸惑いながらも、シャッターを押す時にはしっかりと笑っていた。
「それじゃ、僕はこれで帰る」
「えっ、もう帰るの? お参りしていかないの?」
 僕は半ば映見をその場に置き去りにして、ひとりでスタスタと歩いていった。逃げたのだ。
 後ろで映見が僕を呼んでいる。でも振り向かなかった。写真を撮る事が約束であっても、一緒にいる時間を極力少なくした方がいい。
 映見が消えていきそうに見えたとき、僕は自分の法則が発動したのかと焦ったのだ。そしてそれがどれほど恐ろしいことか気がついたとき、僕はずっと抑え続けていた気持ちに気がついてしまった。
 僕は映見が好きになっている。離れて欲しいと思いながら、映見と一緒に居る事が嫌じゃなくなってしまった。それを認めるのがいやでずっと自分で誤魔化していたのだ。映見とこれ以上一緒にいたら僕の気持ちの方がどんどん強くなってしまう。
 だからこそ、早く離れなければ――。
 こうなる事を僕は恐れていたというのに、一体この先どうすればいいのだろう。カメラのフィルムはあと十八枚残っている。本当に映見に気がつかれずに写真を撮ることなんて可能なのだろうか。それが撮れなかったら映見はこの先も僕に付きまとうつもりだろうか。
 写真が上手く撮れても撮れなくても僕はどうしていいのかわからなかった。
 間もなくして、メールの着信音が鳴った。立ち止まり気乗りしないままスマホを取り出し確認する。

 ――今日の透なんか変だった。具合でも悪かったの? ずっと引っ張りまわしてばかりだったから疲れたんだろうね。とにかくゆっくりしてね。明日は夕方五時以降、駅前のスーパーの中に居るから探してね。

 時間を夕方にしたのは僕に負担をかけないようにと気を遣ったに違いない。スーパーの中を選んだのも、映見にしたら最大限のチャンスを僕に与えたつもりなのだろう。スーパーはごちゃごちゃして人も多く、身を潜めやすい。
 映見にしても気が抜けない場所だ。
 僕もここらで本気を出さなければならない。普通にスーパー内を彷徨っているだけでは絶対に映見に気づかれてしまう。でも今のままでは上手く事を運ぶ自信がない。
「誰かの助けがあれば」
 と不意に独り言が口から漏れていた。
 こういうとき助けを求められる友達がいる有難さに感謝してしまう。そう感じるや否や神野に電話を掛けた。
 神野に繋がって僕の計画を話した時、神野は手伝ってくれると承諾してくれた。そして必死な様子な僕のために早速根回しをしてくれた。
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