第一章


 まるで私を待っていたように、私が廊下に出たとたんにいきなり名前を呼ぶもんだから、体が跳ね上がるほどびっくりしてしまった。
 私の後ろからは、かの子、千佳、みのりが続いて教室を出てきたところで、山之内君が近づいてきている姿に、同じように驚いていた。
「倉持さん、一緒にまた帰れる?」
 まっすぐに見つめる山之内君の瞳はどこか眩し過ぎて、見つめ返すのが恥ずかしくなってくる。
 私はつい後ろにいた友達を振り返ったことで、友達の付き合いがあると態度で示してしまう。
「あっ、そっか用事があるのか。だったらまた今度でいいや」
「あの、もしよかったら皆で一緒に帰りませんか」
 気を遣って思わずそんな受け答えをしてしまったが、山之内君を余計に困らせたかもしれない。
 どこか苦笑いになって、それでも愛想良く応えようとしていた。
「僕がいると、邪魔になってしまうから遠慮しておくよ。それに倉持さんに個人的にちょっと話したい事があったんだ」
 ここまで言われると、なんだかドキドキしてしまう。
 何を私と話したいのだろうか。
 こんなとき、後にいる三人が、私の背中を押して山之内君についていけとでも言ってくれたらいいのに、なんて思ってしまう。
 でも三人も驚きすぎて、気を利かすことなどできないでいる。
 山之内君も私の後ろに居た三人を気にして居心地が悪そうだった。
「また今度でいいよ。別に大したことじゃないから」
 笑顔で大したことじゃないという言葉が出てくると、ドキドキしていた高まりがシュンと萎んで、何かを期待していた自分が恥ずかしい。
 山之内君は私に気軽に接してくるが、それがどういう意味なのか全く読めずに、私一人で一喜一憂している。
 そうこうしているうちに山之内君は、私達に遠慮して「じゃあ、また」と行ってしまった。
 私はその後姿をじっとみていた。
 またひそひそと何かを言われている気配を感じ、周りを見つめれば、わざとらしく目線をそらしている女子たちが多数いた。
 立て続けに山之内君に声を掛けられると、一体どんな噂をされているのか怖くなってくる。
「ちょっと、真由。すごいじゃない。今日もまた誘われて」
 攻撃でもするかのように、肘でつつきながらかの子が言った。
「なんか私達の方が邪魔した感じになっちゃったね。いきなりの展開だったから圧倒されちゃった」
 みのりが気を利かして上げられなかったことを悪く思っていた。
「気にしないで」
 みのりには笑ってそう答えても、あの時はそれを望んでいたと思うと私も複雑だった。
「この、この、やっぱり真由はかわいいから得だね。初めて真由を見たとき、すぐに友達になりたかったくらい目立ってたもん」
 かの子と仲良くなれたのも、入学式の時に声を掛けられたのがきっかけだった。
 積極的に話しかけられたのが嬉しくてそれで私もすぐに打ち解けた。
「そうだよな。素朴な気品ある可愛さがあって、それを鼻にかけてない落ち着いた雰囲気が確かにしてたわ」
 千佳がさらりと言ってくれた。
 かの子と千佳は同じ中学出身なので元から仲がよかった。
「私も真由の笑顔にやられた口だよ」
 みのりもエヘヘと照れた笑いを見せて言った。
 みのりと仲良くなったのはたまたま目が合って、お互いニコッと笑ったのがきっかけだった。
 みのりは小柄で女の子女の子したようなかわいらしさがある。
 妹みたいな守ってあげたい気持ちになって、私の方がみのりの笑顔にやられた口だった。
 かの子は姐御肌のちょっときつい感じがするけど、そこがまたクールな美人タイプ。
 千佳は髪が短くボーイッシュでかっこいい女子だった。
 仲間だから、それぞれを褒めるのは身内の贔屓もあるだろうけど、私達はそこそこ悪くない感じではあった。
 似たもの同志が結局は集まってきているのかもしれない。
 山之内君のことも気になるけど、やはり友達も大切にしたい思いもある。
 ここは友達と過ごす約束を先にしたんだから、優先するのが当たり前だった。
「いいように言ってくれるけど、何も出ないからね」
 私が笑うと、皆も笑顔で応えてくれた。

 千佳が紹介したいと言っていた店は、知る人ぞ知るような、駅から少し離れた、入り組んだ雑居ビルの中に紛れていた。
 乗り換え路線が沢山集まる主要の駅の周辺では街の中心となって賑わいがあるが、その店は狭い路地を通って駅の裏側に出るために、知らないと中々足を踏み入れないようなところにあった。
 コーヒーショップ「艶(つや)」と書かれた小さなつい立の看板が通りに出ていなければ、そこがお店とわからないくらい見逃してしまいそう。
 見かけも古ぼけた民家を改造したような作りで、周りのごちゃごちゃしたビルや建物に押されて埋もれてしまいそうだった。
 千佳が連れて来てくれなければ、絶対自ら入ろうと思わない。
 でも千佳は自信たっぷりに笑みを浮かべて、ドアを開けた。
 軽やかなカランコロンというベルがなって、すぐさまコーヒーの香りが鼻をつついた。
 中はカウンターと、テーブル席が三つあり、素朴に木の素材をそのまま生かした風貌がログハウス調でおちついた親しみやすさが出ていた。
 お客が誰も居ないので流行ってなさそうだが、却ってそれが秘密の場所に感じられて私はすぐに気に入ってしまった。
「おっ、千佳ちゃん。いらっしゃい。友達連れて来てくれたんだ」
 カウンターの中にはひょろっとした男性がエプロン姿で手を動かしながら、にこりと笑って歓迎してくれた。
 色白な優男風で、四角いフレームのメガネをかけているところがインテリな雰囲気がする。
「ヒロヤさん、こんにちは」
 普段あまり感情を顔に表さない千佳がにっこりと愛想のいい笑顔を見せている。
 かの子はそれを見逃すことなく、何かを感じ取るようにじっと見ていた。
 私達は一番奥のテーブルに座り、喫茶店を見回した。
 世の中、沢山のコーヒーショップがあり、今時らしくスタイリッシュで都会的なおしゃれ感があるが、それとは違って手作り的でアットホームな感じがとても居心地よかった。
 ヒロヤさんがメニューと水を運んできて、にこやかに千佳に話しかけた。
「千佳ちゃんが友達連れて来てくれるなんて嬉しいな」
 千佳が私達をヒロヤさんに紹介すると、ヒロヤさんは一人一人の名前を嬉しそうにちゃん付けで呼んでいた。
 人懐こいその態度は、どこか世話好きの匂いがする。
 コーヒーの柔らかなアロマと共に、ヒロヤさんは人を和ませる温かい気持ちにさせてくれた。
 その時のヒロヤさんを見る千佳の瞳はキラキラしていて、学校では見せない生気溢れたものが出ていた。
 私だけでなく、かの子とみのりも同じように感じているのか、時々目が会うと何かを言いたい意味ありげな顔をしていた。
 私達は、ヒロヤさんが焼いたという特性のケーキと紅茶を頼んだ。
 焼きっぱなしの素朴なケーキだが、タップリと生クリームを添えて食べるのがとても癖になるほど美味しかった。
「千佳、いつからこの店知ってたのよ」
 千佳の態度で、かなり前からヒロヤさんと親しい事がわかるだけに、かの子にはすぐに教えてもらえなかった事が不服そうだった。
「割と昔からかな。中学の時はさ、喫茶店とか気軽に入れる年でもないじゃない。だからあまり友達に紹介できなかった」
「でもいいところだね。ケーキも美味しいし、とても落ち着く」
 紅茶のカップを手にしてみのりは満足そうに目を細めていた。
「私のことよりも、今日は真由の話を聞きにきたんでしょ」
 千佳に言われてかの子ははっとした。
「そうだった、そうだった。千佳のことはまた今度だ。とにかく真由、昨日のこと全て話してもらうよ」
「はいはい、なんでも包み隠さずお話します。だけど、誰にも言わないでよ」
 それは分かってるとばかりに、皆うんうんと頷く。
 私もこの三人の前では全部知っていてもらった方がいいと、前日起こった事を全て話した。
 それは池谷君のことも含めたために、過去の思い出まで話すこととなってしまった。
 皆は私が話し終えるまで、とにかく静かに聞いてくれた。
「最後、話がなんか枝分かれして変な感じになってない?」
 一通り聞き終わったところでかの子が指摘した。
 第三者の池谷君の登場で、山之内君が走って帰らざることになって、変な方向に行ってしまった結果にかの子は心配してくれている。
「山之内君、だから今日、詳しく聞きたかったんじゃないかな。その池谷っていう男の事を」
 千佳は冷静に分析していた。
「真由ってやっぱりもてるんだね」
 みのりが一番暢気な答えだったかもしれない。
「だから、もてるとかそういうのじゃなくて、山之内君とだって、ただ喋って終わっただけなの。ほんとそれだけだよ」
「で、真由は結局どうしたいの? やっぱり山之内君のこと気になるんでしょ」
 かの子にはっきり言われると、答え難くて仕方がない。
 自分でもどうしたいとかわからないくらいだった。
「もちろん、あれだけかっこいい人が声を掛けてくれたんだから、気にならない訳がないじゃない」
 変わりに千佳が代弁してくれたが、ふとその視線がヒロヤさんの方を一瞬向いていた。
 悟られないようにすぐにカップを口にもって、お茶を何気にすすっているが、その態度で千佳もヒロヤさんに気があるように思えた。
 この時は私の話題だったので、千佳のことまでは誰も突っ込まなかった。
「その池谷君って言う人だけど、一体どんな人なの?」
 みのりが質問したその時、カランコロンと軽やかな音が聞こえて、誰か他のお客が入って来た。
 私達は音のなる方向を無意識に見てしまった。
 そして見覚えのある制服を着た、二人の男の子が入って来て、思わず私は「うわっ」と声を上げてしまった。
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