第一章


 宅急便を受け取り、インターネットの準備が整うとサトミは少し落ちつき、飲み物やスナック、お弁当などを求めて近所のコンビニへと向かった。
 結婚してこの町を離れ、何度か戻って来たが、帰る度に目に入る光景は色々と変わっていた。
 変わらない場所は、歴史あるお寺。
 それを観光資源として、この町は栄えているといっていい。
 自然の山や川はそのままにあるけども、点々としながら、家やマンションが増え、ビルや店が建つ。
 折角新しく建っても、またそれが入れ替わり、違ったものになっていたり、無くなっていたり、小さな町の中でも移り変わりが激しい。
 その間に、人も同じように去って行ったり、また新しい人がきたりと入れ替わりがあって、そして昔は珍しかった外国人たちも沢山やってきている。
 この町はこれからどのように変わっていくのだろう。
 その先をもう見られない。
 今回が最後の滞在。
 しんみりとして、物悲しく、またサトミの涙腺は緩んでしまった。
 それを手で軽く拭い、センチメンタルになって歩いている時だった。
 コンビニの角で中学生の女の子三人がたむろしていた。
 その前を通り過ぎて、店の入り口に向かおうとすると、何やら言い合っていた様子にサトミは気になって、できるだけさりげなくゆっくりと横切った。
「ちょっとやり過ぎだよ、美代ちゃん」
「ナズナが先にこの話持ち出しといてよくいうよ」
「だって、万引き……」
 そこにサトミがちょうど背後から現れたから、気まずく不自然に会話が途切れた。
 サトミは聞こえなかったふりをして、コンビニの出入り口に近づき、すっと開いた自動ドアの中へと入って行った。
 コンビニの商品を見つつ、少し間を置いて駐車場に面したガラスの壁に近づき、そこに置いてあった雑誌を手に取るふりをして、遠巻きながらさっきの女子中学生たちの様子を窺った。 
 そわそわとしている様子が明らかに伝わり、コンビニの中の様子を気にしていたので、サトミも改めて店内の様子を見渡せば、制服を着た女の子が一人、暗い顔をして思いつめて何かを見ている様子に気が付いた。
 唯香だった。
 店は適度に客が入り、まばらに散らばり、レジには人が並んで忙しそうにしている。
 唯香は、時々そちらの様子を窺い、挙動不審に目をキョロキョロとしていた。
 万引きという言葉にサトミは想像力を働かせ、すぐさまこれが虐めだと気が付いた。
 あの三人が、あの子に万引きを強制している。
 そう思うや否や、サトミはその女の子の側へと近づいた。
 サトミ自身、胸がドキドキとして、緊張してしまう。
 でも女の子が目の前の商品に手を掛けようとしている瞬間、恥をかき捨て声を掛けた。
「それ、この町のゆるキャラだよね。人気あるの?」
 唯香は突然背後から声を掛けられ、ビクッとして恐怖に慄いた。
 すぐさま目に涙が溜まって行くので、サトミも焦ってしまう。
「ごめん、ごめん、驚かすつもりはなかったの。おばちゃんさ、この町で育ったんだけど、久しぶりに帰ってきたらいつの間にか色々と変わってて、ゆるキャラまでできててびっくりしちゃった。地元ではやっぱり人気があるのかなって思って」
 唯香は何も言わずただ耐えて、まだ震えている。
「おばちゃんも、昔はあなたと同じ制服着て、同じ中学に通ってたのよ。そんでさ、中学一年の時、思いっきりクラスで虐められてさ、辛かったわ」
「えっ?」
 唯香がやっと反応した。
「だから、あなたの気持ちよくわかる。外にいる三人に虐められてるんじゃないの?」
「あっ」
 唯香の目から大粒の涙が頬に伝わって行った。
「やっぱり、そうなのね。落ち着いて。おばちゃん、何も怪しいものでもないのよ。おばちゃんもちょっと寂しくて話し相手がいると嬉しいなって思ってたの。迷惑かな?」
 唯香は首を横に振った。
「おばちゃんさ、中学一年の時、みんなから嫌われて『死ね』なんて黒板に書かれた事もあった。しかも黒板いっぱいの大きさに、でっかく名前といっしょに よ。放課後、何気に教室に戻ってドアを開けてさ、それ見た時ショックだったな。そこには普通に話してた男女のクラスメートが十数人居たんだもん。何これって思っちゃった」
 唯香はじっと聞いていた。
「でも、おばちゃん、負けなかったよ。『死ねばいいんでしょ、死んだるわ!』って売り言葉に買い言葉でやけになってドアをバンって閉めたらさ、クラスで一番不良って言われてた女の子の声が教室から聞こえて、『さっさと死ねよ!』って言われちゃった」
 サトミは思わずそこで笑ってしまった。
 それを不思議そうに唯香が見つめた。
「あの当時はそりゃ、辛かったよ。本当に高い所から飛び降りて当てつけで死んでやろうかとか、無茶な事も考えた。だってまだ中学一年生だもん。何が正しくて、どうしたらいいのなかなんて、自分で判断できないわ。あなたもそう思わない? ちょうどそれくらいの年でしょ」
 唯香は静かに頷く。
「でも大人になって、おばちゃんみたいに年取ると、そんな辛い事も笑えてしまうの。ああ、あの時はああだったなって。そりゃ、今もあの時に虐めた奴らは大 嫌いだよ。だけど、会う事もないし、もし会っても今では見知らぬ人で、すーって通り過ぎちゃう。あいつらよりは、いい人生送ってるって思えるし、生きてて よかった……なんて、人生って先を見て初めて有難くなるものよ。その時、辛い事があっても、時間が経つと和らいで、楽しい事を一杯経験した後では笑って話 せる時がくるものなの。こんな風にね」
 焦点も合わさず、ただ前を向いて話を聞くだけだった唯香だったが、明るく話しかけられて思わずサトミに振り返った。
 唯香の目に映るサトミは、この辺でみかけるおばさんとはどこか違った雰囲気がして、活発そうで芯のある頼もしさがあった。
 それでいて、初対面でもとても親しみやすい。
 おばさんだけど若々しく思えた。
 こんな人が虐めに遭っていたと信じがたくて、唯香はつい口を開いた。
「でも、その辛い時はどうやって乗り越えたんですか?」
「いじめられた時、守ってくれた人がクラスにいたの。ハルカちゃんって子だったな。お蔭で心強かった」
「でも私には守ってくれる人がいないんです」
「でもさ、次の学年に上がれば必ず新しい友達ができると思う。あなたのようなかわいらしい子なら、絶対友達ができるって。もっと自分に自信もたなくっちゃ」
「でも、私」
「ほら、そうやって自信なさげにいるから、足元みられちゃうのよ。背筋伸ばしてごらん。それだけで違ってくるから。一度に大きく変えるのは難しいかもしれ ないけど、小さい事を少しずつ変えていくことは今すぐできるのよ。そしてこういうの『きっと上手く行く!』って。そしたら本当にそうなるから。おばちゃ ん、それで夢叶えたくらいよ」
 サトミも無我夢中だった。
 どうすればこの状況から唯香の気がまぎれるのか、内心ドキドキとしていた。
「きっと上手く行く?」
「そうそう。きっと上手く行くって口に出すだけで、心が軽くならない?」
 唯香は半信半疑だった。
 だがサトミのお蔭で、徐々に自分を取り戻しつつあった。
 目の前のゆるキャラが付いたペンに視線を戻し、暫く見つめていると、盗もうとしていたことがどれほど悪い事だったのか我に返る。
 おもむろに振り返って、ガラス張りの向こう側で様子を窺っている三人が目に入った時、そこまでして一緒にいたい人たちとは思えなくなった。
 一人ぼっちになるのは辛いけど、犯罪を犯して一緒にいるような仲間じゃない。
 それでもまた美代に何か言われたらどうしようとも思う。
 唯香の心はまだ不安定に彷徨い、瞳は焦点を定めず、揺らついていた。
 どうしていいかわからない唯香の様子をサトミは察し、どうしても助けてやりたくてたまらなくなった。
「やっぱり、あの子たちが怖い?」
 素直に頷く唯香に、サトミは思案しながら、目の前のゆるきゃらが付いたペンを見ていた。
「よし、じゃあ、おばちゃんがこのペン買ってあげる」
「えっ」
「このペンをとってこいって言われたんじゃないの?」
 唯香の返事も聞かずに、サトミはそれを手にして猪突猛進にコンビニのレジに向かった。
 唯香はあたふたとして、立ち往生していた。
 でも何も言えずにいる間、サトミは支払いを済ませ、それを持って外へ出て、三人の前に立ちはだかった。
 外にいた三人はぎょっとした顔でサトミを見上げ、及び腰にたじろいでいた。
「はい、これ」
 サトミはペンを前に差し出す。
 三人は黙り込んだまま、目だけはぎょろりとサトミを見つめて突っ立っていた。
「あのさ、万引きを強制するようなことさせちゃダメ。それ、虐めだよ」
 単刀直入にズバッとサトミが言った。
 後ろから慌てて現れた唯香も潔いサトミの態度におどおどしてしまった。
 サトミと三人のクラスメートが対峙している姿を交互に見てしまう。
「唯香、このおばさんに何を言ったんだよ」
 美代が逆切れして抗った。
「この子は何も言ってないわよ。言ったのはあなたたちの方だったわ。おばちゃん聞こえたもん、万引きがどうのこうのって」
 美代もそうだったが、ナズナも綾も気まずく、後ずさった。
「おばさんには関係ない。ふんっ、ばっかじゃないの」
 分かりやすいように美代は憤慨し、負け惜しみに暴言を吐いて去っていく。
 ナズナと綾は、美代とサトミ、そして唯香を順番に見つめて戸惑い、結局は美代の後を追いかけるように走って去って行った。
 三人の姿が遠くなると、サトミはペンを持ちながら、ふっと息を吐き、苦笑いして唯香を見つめた。
「ごめんね、おばちゃん、お節介だったかもね。えっと、唯香ちゃんだっけ、あのきつい感じの女の子がそう呼んでたけど、あんな子、唯香ちゃんとは合わない よ。ついでに後の二人もなんか言いなりになって子分みたいになってるね。おばちゃんの目からみたら、ほんと無駄に突っ張ってる子供だ」
「おばさん、ごめんなさい」
「唯香ちゃんが謝る事ないのよ」
「でも、私」
 唯香は自分がしようとしていた事が恥ずかしくて、誰かに許して欲しくてたまらなかった。
「まだまだややこしい感じがしそうだね。あのきつい子、美代って呼ばれてたけど、おばさんの中学時代にもあんな子いた。その子もすごく気の強い子でね、負 けず嫌いでいつも反抗してた。高校に上がった頃、噂では喧嘩して、傷害事件起こしたって聞いた。自分でやっていい事と悪い事に気が付かないと、不運や不幸 に向っていきやすくなると思う。そんなのに影響されちゃだめだよ。嫌な事は嫌ってはっきりと言わなくっちゃ」
 唯香は俯いて、自分の足元を焦点を合わさずに見ていた。
 いくら大人の意見を言ったところで、一筋縄では解決できないこの年代特有の人間関係があるのはサトミにも感じられた。
 サトミ自身、同じ年頃の頃、唯香のように悩み苦しんだ。
 何を言われても、結局は本人にしか乗り越えられない試練。
 それが唯香に今現在、振りかかっている。
 サトミもややこしくしてしまった事を悔やんだ。
「唯香ちゃん。明日、学校行くの怖い?」
「……はい」
「そうだよね。おばさんが係わっちゃったから、きっと明日学校で責められるよね」
 サトミはどうすれば一番いいのか考えた。
「ねえ、生活指導の先生って誰かな?」
「えっと、戸賀崎先生です」
「えっ、戸賀崎先生?」
「知ってるんですか?」
「ううん、知らないんだけど、名前を聞いた事があって、珍しい名前だからなんかはっとしちゃって」
 サトミは何かを思い出したように、遠く視線を漂わせた。
「あの、生活指導の先生に今日の事、報告するんでしょうか」
 不安な目を向けてくる唯香に、サトミは我に返った。
「やっぱりトラブルを解決するには、先生が間に入る方がいいと思ったけど……」
 唯香がまた落ち込む気配を見せたので、サトミは中途半端に答えてしまった。
 唯香を助けたいと思ったが、全く見ず知らずのものがしゃしゃり出るのも場違いな気になって、どこまで首を突っ込んでいいものか思案していた。
「やっぱり、唯香ちゃんも困るよね。おばちゃん、何も言わない。でもさ、一人で解決できない時は、誰かの助けを必ず求めてね」
「はい」
「暗くなっちゃったし、遅くなったらご両親心配するから、早く帰った方がいいわ」
「あの、ありがとうございました」
 頭を下げた後、唯香はその場から逃れたくてすぐ踵を返すも、サトミが気になって数回振り返った。
 サトミは、それに応えるように手を振ってやった。
 唯香が視界から消えたところで、勢いで買ってしまったペンを見つめた。
 深刻な問題なのに、そのペン先に付いたゆるキャラはのほほーんとしていて、みていると気が抜ける。
「これなんて名前だっけ」
 一人で呟きながら、肩に掛けていたショルダーバッグにしまった。
 一息ついて、気持ちを切り替え、またコンビニの中へと入っていく。
 唯香がこの後どうなるのか、本当は気になって仕方がなかったが、それを紛らわすために、カゴを取って、思うままに次から次へと好きなものを入れていった。
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