Temporary Love2

第三章

10
 氷室が意味する決意した気持ちは、具体的な言葉を発していないとは言えなゆみにはしっかりと伝わる。
 そこまで真剣に自分のことを思っていてくれていた。
 正直、二十歳そこそこで結婚のことを考えるのはぴんとこなかった。
 だが、なゆみも氷室のことが大好きでその気持ちは抑えられない。氷室のことしか考えられないこの熱情は、この先いずれ自然とそうなるのではという心情が 結婚という言葉に結びつくような気がしていた。
 氷室が準備をしてそのときまたなゆみにその思いを問いかけるのなら、なゆみはなゆみでそのときにふさわしい自分でありたいと願う。
 これからは自分達次第。
 暫く離れてしまう中、それぞれの思いを募らせて二人はその夜ベッドの中で抱き合っていた。
「氷室さん、もう寝ました?」
「いや、まだだ。どうかしたか?」
「朝、私も一緒に空港に行きます」
「だめだ、一人でどうやってまた戻ってくるんだ。それに学校があるだろ。朝、お前を学校に送ってからそこでさようならだ」
「でも、少しでも長く一緒に居たい」
「何を言ってる。お前は俺のところに戻ってくるんだろ。暫く我慢しろ。俺の命令だ」
「氷室さん、絶対に私のこと忘れないで下さい」
「当たり前だろ。馬鹿なこと聞くな」
 氷室はなゆみを一層抱きしめ、額にキスをする。
「氷室さん、大好きです」
「俺は大好きじゃないぞ」
「えっ、そんな」
「俺はそれ以上に愛してるんだ」
「氷室さん……」
「なあ、お前、ずっと俺のこと”氷室さん”って呼び続けるのか。いつかお前の苗字も氷室になるんじゃないのか」
「えっ」
「まあ、いい、そのときはそのとき考えるか。さあ、少し寝ろ」
「はい」
 なゆみは目を閉じ氷室に包まれてうっとりとまどろんでいく。
 朝が来ればお別れだというのに、氷室の最後の言葉で永遠という感覚を得た気分だった。
 暫く会えなくてもこの先の二人の未来を考えれば、離れているその時間はほんの一時のことなのかもしれない。
 二週間の氷室となゆみのアドベンチャー。
 それは本当に絆を強くしてくれた。
 だがその出来事を二人は素直に感謝するのは癪だった。
 やはり怖いものは怖かった。
 それでも振り返れば沢山の危機を無事に切り抜けたことで、恐怖心が成仏し気分はすっきりしていた。
 色々起こった事件のことよりもお互いを愛する気持ちの方が強く現れて、他の事などどうでもよく感じていただけなのかもしれない。
 二人は落ち着いていつの間にか眠っていた。

 そして別れの瞬間はやってきた。
 朝、ホテルを後にして車に乗り込んでからなゆみは無口になっていた。
 氷室もなす術もなく静かにそのときを覚悟するように黙り込む。
 時々顔を合わせて笑おうとするが、お互い無理をしていることなど百も承知で、それでも必死で悲しさを持ち込まないようにしている。
 氷室が車を停めたとき、そこはなゆみの通う校舎の近くの駐車場だった。
 なゆみはシートベルトを外すのを一瞬躊躇いながらも、決断したように指先に力を込めてゆっくりとバックルを押さえ込んだ。
 外れるとスルスルっとシートベルトが戻るべき場所に戻っていった。
 そしてなゆみは車を降りなければならない。
「氷室さん、気をつけて帰って下さい。弟さんにもよろしくお伝え下さい」
 なゆみは泣くまいと体に力を入れたせいで、声が低くなっていた。
「ああ、ほんの少しのお別れだ」
 氷室はキティのマスコットを取り出し、少し振るようにしてそれを見せた。
 これがあるから大丈夫とばかりに氷室はキザな笑顔をなゆみに向けた。
 そしてぎゅっとキティを掴んでまたズボンのポケットにしまいこんだ。
「手紙書けよ」
「はい」
「何が起こっても隠すなよ」
「はい」
「浮気すんなよ」
「はい」
「俺のことずっと思ってろよ」
「はい」
 なゆみは感情が高ぶり我慢できないと氷室に近づき、氷室の唇に襲いかかるようにキスをした。
 氷室はこのときばかりはなゆみの大胆さに照れながらも微笑んで、しっかりと受け応えていた。
 いつまでもそうしている訳も行かず、なゆみは覚悟を決めて車を降り、氷室の運転席側へとぐるりと回り込む。
 窓を全開させ氷室はなゆみの名前を呼んだ。
 なゆみが身をかがめて窓に近寄ると、氷室はあの大きな手でなゆみの頭をくしゃっと撫ぜた。
「それじゃ、また後でな」
 なゆみは一生懸命笑おうとしているが、車のエンジンがかかる音が心の中を震わすように動揺させる。
 それは氷室も同じことだった。
「氷室さん、今度会うときはパーマネントラブですからね」
「ああ」
 氷室はとうとう車を走らせた。そしてクラクションを一度鳴らし、潔く去っていく。
 氷室の車が見えなくなったとき、なゆみの目から堪えてた涙が一度にでてきてしまった。
 なゆみはそれを拭って、そして背筋を伸ばしながら教室へと歩いていった。
 氷室もほんの暫く会えないだけだと言い聞かし、ぐっと募るなゆみへの思いを原動に前へ進む。
 これからやらなければいけないことが沢山あるとばかりに、前を見据えた。
 二人は次会うときのためにこの瞬間から準備にかかる。
 悲しんでいる暇も、泣いてる暇もない。
 お互いベストの状態でそのときを迎えるためにと──。

 空港でチェックイン後、スーツケースを荷物検査の場所に持っていくと、氷室は引っかかってしまった。
 あの玩具の銃が原因だった。
 最後に命を救ってくれたものであり、記念にと持ってきてしまった。
 中を調べられ、取り上げられるかと思ったが、玩具だと分かるとあっけなく問題なくなった。
 そしてゲートへと向かう。
 胸を高鳴らせてここへ来たことを思い出し、帰る時は全てを手に入れて満足した思いで落ち着いていた。
 飛行機に乗って座席に着いたとき自分の旅行も「終わった」と思ったが、ふと顔を上げると見知らぬ乗客が一杯居る中で、一人知っていた顔が通路で番号を確 かめながら座 席を探してい る姿が目に入る。
「おい、嘘だろ。なんであいつがこの飛行機に乗ってるんだ」
 氷室は見つからないように首を引っ込める。だがそいつはどんどん近づいてきた。
 通路側に座っていた氷室だったが、その通路を挟んだ隣にそいつが来てしまった。
「オーマイガッシュ! ヒムロ!」
 叫び声が聞こえたとき、再び悪夢の始まりだと思った。
「(スコット、なんでお前がここにいる)」
「(日本の支店に飛ばされたんだ。でも歓迎したよ。これから日本語勉強して、そしてなゆみを待つ)」
「(まだそんなこと言ってるのか。なゆみは俺のもんだ)」
「(さあ、先のことはわからない。僕にも逆転の余地がある)」
「Not at all(全くない!)」
「Yes, it is(ある!)」
「No(ない!)」
「Yes(ある!)」
「No(ない!)」
 暫くそんなやり取りが続いていた。
 そして十数時間という長いフライト中も、氷室とスコットは時々意識して対立し合う。
 まだまだ続くアドベンチャーラブ。
 『To be continued(続く)』と言う文字が氷室の頭に浮かんでいた。
 つい身震いしてしまった。

 日本に到着後、日本人の入国審査は待ち時間も少なく、氷室はその間にさっさとスコットを煙に巻き逃げる。
 これ以上付きまとわれては、なゆみが日本に帰ってきたときまたトラブルの元になる。
 スーツケースもすぐに出てきて、税関も問題なく通り、氷室は急いで外に出ようとした。
 出口に続く自動ドアが開いた瞬間、自分の待ち人を迎えに来ている沢山の人のかたまりが押し寄せるように目に入ると、その中に知っている顔を見つけて氷室 は安堵した ように日本に帰ってきた 実感を得た。
「お帰り、兄ちゃん」
「おお、凌雅。迎えに来てくれたのか」
 目の前に弟の凌雅が照れくさそうに兄の到着を待っていた。
「ああ、早く土産欲しかったからな。ところでアレ役に立っただろ」
 凌雅はニヤニヤとして様子を聞きたがっているところを見ると、いたずらの結果が聞きたいがために迎えに来たようだった。
「えっ? ああ、アレか。お蔭さんでな。しかし、アレが出てきたときは帰ったときお前を殴ってやろうかと思ったよ」
 凌雅はいたずらっぽい笑みを浮かべて、自分の仕掛けたいたずらの成功に満足していた。

 凌雅の車で氷室はマンションに戻ってくる。
 早速スーツケースをベッドの上に置いて開け、凌雅に土産を渡した。
「それから、これなゆみから。お前に宜しくだとさ」
 袋を受け取り凌雅は中身を出して動きが止まる。
「あっ、ギターのキーホルダー」
 凌雅はそれを見つめて暫く黙り込んだ。
「どうした?」
「いや、なんでもない。ありがとう。ところで、なゆみってどんな女なんだよ。早く写真見せてくれ」
 氷室はノートパソコンを引っ張り出しテーブルの上に置くと、デジカメをそれに繋ぎだした。
 その間凌雅は氷室のスーツケースの中を覗き込む。
「ん? ミッキーの耳の帽子がある。ディズニーランド行ったのか。でも兄ちゃん、アメリカでこれ被ってたのか? あれ、この筒なんだい」
「お前、勝手に人のスーツケースの中を見るな」
「いいじゃんかよ」
 凌雅は筒を開けて中の紙を引っ張り出した。
「これは……」
「ああ、向こうで友達になった奴に描いて貰ったんだ。俺となゆみ」
「すっげー、これ兄ちゃんそっくり。じゃあこの子もそっくりに描けてるってことか」
 絵の中の二人を見つめ、今にも動き出しそうなリアルな表情に驚いている。絵を見るだけで二人が好き合っているのが手に取るように見えて、凌雅はなんだか 羨まし くも思えた。
「ああ、かわいいだろ。ほら、画像も見てみろ」
 氷室はノートパソコンを目の前にして自慢げにアメリカで撮ってきた画像を凌雅に見せていた。
 元気一杯に表情豊かななゆみが写っている。
 どれも楽しそうに、そして二人で写ってる写真は幸せそうなカップルに見えて仕方がなかった。
 凌雅は次々そういう写真を見せられた。
「ふーん、この子がなゆみか。なんかボーイッシュでガキっぽい。俺の好みじゃないな」
 氷室が自慢するものだから、凌雅はなんだか気に入らない。どこか負け惜しみのようについなゆみをけなしてしまう。本当はいい子だと見ただけでわかった が、自分が付き合うような女の子よりも純情で素朴なかわいらしさがなんだか悔しかった。
 自分はまだそういう本気の付き合いなどしたことがないのがどこか劣等感を得てしまう。
 やはり兄貴はいつも自分の前を歩いているという気持ちがここでも現れてしまった。
「おい、お前の好みは関係ないだろうが」
「まあ、かわいいよ、とでも言っておくよ」
「おい、なんだその取ってつけたような言い方は。なゆみは本当にかわいい最高な女なんだから」
 氷室はなゆみの画像をじっと恋しく見つめていた。
 凌雅はつまんないとまたスーツケースを覗き込んではかき回す。
「うわっ、兄ちゃん! これ、銃じゃないか。密輸してきたのか?」
「それは偽もんだ。だから勝手に人のもの触るな」
「いいじゃん、見たって。減るもんじゃなし。あっ! これどういうことだよ。俺があげた奴全然使ってないじゃないか。封すら開いてない。もしかして生 で?」
「おいっ、なんちゅうことを」
「折角の俺の厚意を無駄にしやがって。子供できてたらどうすんだよ」
「いや、それは絶対ない」
「なんでそんなにきっぱりと言い切れるんだよ。大人の癖に危機感ってものがない」
 氷室は苦笑いになっていた。凌雅には兄のプライドも邪魔してこればかりは本当のことなど言えない。
「で、兄ちゃん、アメリカでどんなことしてきたんだ」
「そうだな。一言では言えば命かけた大冒険だったかな」
「大げさだな」
「ほんとだって」
 氷室はムキになって何が起こったか話したが、凌雅は良くできた嘘だと信じなかった。
 冷めた目つきで呆れて聞いていると、凌雅の腹の虫が騒ぎ出す。
「兄ちゃん、腹減ったな。飯食いに行こうか」
「そうだな。久しぶりに日本食食いたい」
 二人は外に出る。
 空はとっくに日が暮れ、ふと身震いさせる木枯らしが吹き抜け体が強張った。季節は冬に変わろうとしていた。
 氷室は夜空を仰いだ。
 所々に見える星を眺めながら、なゆみのことを思う。
(あいつもこの星を見るだろうか)
 氷室はふーとため息を漏らし、なゆみへの思いを募らせていた。
「あっ、そういえば、兄ちゃんが金返さないって父さんぼやいてた」
「そうだった。父さんに金借りてたこと忘れてた。あーあ10億円貰っとけばよかったかも」
「えっ、10億円?」
「ああ、ラスベガスで稼いだんだけど、辞退してしまった」
「兄ちゃん、時差ボケで頭までボケてるぞ。さっきから変なことばっかり言うし。来月誕生日を迎えて33歳になるんだろ。しっかりしろよ」
「うるせぃ、全部本当の話なんだってば。しかも年のことは言うな。ただでさえ気にしてるというのに」
 氷室は凌雅を捕まえて頭をぐりぐりと拳骨で押さえつけていた。
「痛いじゃないか。何すんだよ」
「自業自得だ。お前はとにかく生意気なんだ。弟らしく兄貴を敬え」
「やだよ。兄ちゃんだって生意気の癖に。そこまで兄貴面するんだったら、飯は兄ちゃんの奢りだからね」
「俺、金ないよ。自分の分は自分で払え」
「ケチ! そんなんだったら、いつかなゆみに振られるだろうね。留学から帰ってきたら兄ちゃんよりも若い金髪で青い目の彼氏でも連れてくるんじゃないの。 しかもお金持ちかもね」
「おいっ、それは言うな。縁起でもない」
 氷室の頭にはスコットが浮かび上がる。
「どうしたんだ、兄ちゃん。急に怯えたような顔して。やっぱり気にしてんだ。でもそんなになゆみに惚れてるんだな」
「ああ、惚れてるよ。心からな」
 氷室は再び夜空を見上げ、なゆみと一緒に見た星空を思い出す。
 凌雅は氷室の恋しく思う瞳を見ると応援したくなるように肩に手を回した。
「いい年こいて仕方ねぇな。それじゃ今日は俺が奢ってやるよ。ほらしっかりしろよ、兄ちゃん」
 氷室は凌雅の気遣いが嬉しい反面、弟からそんな気遣いをされるくらい自分が間抜けな面をしていたんだと思うと鼻から息を漏らすように情けなく笑ってし まった。
「生意気な口ききやがって。この野郎」
 氷室はまた凌雅の首を囲い込み、拳骨で頭をぐりぐりとねじ込んでは苛めていた。
「だから、それはやめろって」
 そして二人は仲良く寒空の中をふざけあって歩いていく。頭上の星はそのやり取りを静かに瞬いて見ているようだった。
 ちょうどその頃、なゆみは夢を見ていた。
 氷室と二人で寄り添って夜空を見上げている夢だった。
 二人は満天の星空の下で見守られている。
「氷室さん……」
 なゆみが寝ながらモゴモゴと呟いた。
 ベッドの隣のサイドテーブルに置いてあったエンジェルのネックレスがそれに答えるように赤く光を放していた。
 離れていても気持ちが通じてると言わんばかりに──。




That's all for now, until they meet again.
The End.

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最後までお読み頂きましてありがとうございました。


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