第七章
4
キノの応援に応えるかのように、『カキーン』と清々しい音が青空に抜けていく。
聡は一塁めがけて駆け出した。
ボールはセンターを勢い良く抜けている。
外野もボールを取りそこね、聡は一塁だけでは止まらず、二塁へ向かっているところだった。
聡の前に出ていた選手も三塁を目指している。
三塁側にボールが投げられたが、それはセーフとなり、そして聡も二塁に到着していた。
ノーアウト二塁三塁で聡のチームは点を入れるチャンスとなった。
周りの応援も力が入り、キノもまた興奮して応援していた。
その隣で、ジョーイはキノが持ってきていたお弁当を黙々と食べている。
不意に見たツクモと目が合い、ソーセージを一つあげようと前に出したが、ツクモは決して欲しがらなかった。
「へぇ、この犬賢いんだな」
「むやみに人から食べ物を与えられても、口にしないようにそこは訓練してあるんだ」
「盲導犬だから、色々と訓練して他にも一杯賢いことするんだろうな。ミステリアスというのか、その飼い主のキノもやっぱり不思議だよな。今日は別人に見えるよ」
「でも私達まだお互いのこと知ってないと思うよ。ジョーイも最初抱いたイメージと全然違う。だけど本当の姿って一体なんだろう。自分でも良く分かってないかもしれない」
またキノが憂いを帯びたような目つきで寂しく語った。
キノは何かのコンプレックスを持っているのか、自分の姿に触れられると我慢できないようだった。
ジョーイも同じ立場でそういうところは分かっているというのに、キノが自分以上に難しく拘っているのが不思議だった。
また空に抜けるようにカキーンと音がすると、キノは試合にのめりこんで聡を応援し始めた。
そして一回の裏は二点入り、聡のチームは益々活気付いてきた。
野球の試合は応援したい人がプレイしていると、少し力が入ってくる。
例えそれが、『バーカ』とかつて罵られた相手であっても、一生懸命の姿を見せられると応援せずにはいられなかった。
試合に熱中しながら、キノが用意してくれたお弁当をすっかり平らげて、ジョーイのお腹も満足だった。
ずっと気になっていたキノをまじかにして一緒に過ごしていると、夢を見ているような錯覚を覚える。
一体自分はキノの何が知りたかったのだろうか。
ふと冷静になると、そこにはなんの答えも見つからないことに気がついた。
勝手にアスカをイメージして、キノの不思議な行動がたまたま自分の記憶を刺激し、もしやという期待を抱かせたに過ぎなかった。
ジョーイは無邪気に応援しているキノの姿をじっと見つめていると、自然と笑顔になっていた。
(俺、今笑ってるな)
しっかりと自分でも自覚していた。
きっかけはなんであれ、ジョーイの中にキノが入り込み、そして初めて女の子に興味を持ったと認めた。
そんな思いでジョーイがキノを見つめていると、キノが視線を感じて振り返り、ばちっと目が合ってしまった。
お互いはっとしてまた目を逸らしながらも、どこか落ち着かずにそわそわする。
だけどそれが、なんだかジョーイには、心を刺激されたようにドキドキして悪くなかった。
試合はそのまま進み、聡のチームは追加点を入れていつの間にか五点となっていた。
だが相手チームも負けてはおらず、四点となりその差一点で、まだ勝利は最後まで分からなくなってきた。
九回の表で相手チームが二点を入れたとき、立場が逆転となり、聡のチームはどこか焦りを感じていた。
「頑張れ!!」
キノはしっかりと聡に届くように応援をしている。
そして九回の裏、ツーアウト三塁、聡の打順だった。
ここで点数を入れたいとばかりに聡は緊張する。
「聡君、落ち着いて」
キノの言葉が届いたのか、聡はキノを見つめて、首を一度縦に振る。
そしてまだ打っていないホームランをここで打つんだと意気込むように、バットを一度空に掲げてフォームを正す。
このシチュエーションはジョーイもさすがにハラハラした。
できることなら聡に頑張って欲しい。
だが、こういうときに失敗するケースもある。
どっちになるか考えるだけでも落ち着かずキリキリとしてくる。
こんなにも力が入るなんてと、久々に感情が湧き起こってジョーイは知らずと隣に居たツクモを撫ぜようと手を伸ばしていた。
だが先にキノもツクモを撫ぜていたために、ジョーイはキノの手に触れてしまった。
ジョーイもキノも一瞬「ん?」と顔を合わせると、お互いの手が触れてることに気がつき慌ててしまう。
どうしようと思っている時に、カキーンと勢いよく空に劈く音が響くと、ボールは高く打ち出され、それと同時に歓声が湧き起こった。
「あっ、打った」
ジョーイが声を出す。
「聡君、行け!」
キノも掛け声をかける。
二人は、手に触れた恥ずかしさを誤魔化すように大声を出しながら、聡を応援する。
聡は一心不乱に走り、応援も過熱していた。
聡が打ったボールは守備を遥かに超えて遠くに落ち、その間に三塁に居た選手はホームに戻り、そして聡は最後の力を振り絞って必死に走る。
ボールもホームに向けられて投げられた。
聡が早いかボールが早いか、そしてキャッチャーがボールを受け取る瞬間、聡は滑り込む。
アンパイヤーの声が力強く放たれた。
「セーフ!」
聡は見事ランニングホームランを決めて、さよなら逆転となり試合に勝った。
これには思わず皆声が出る。
惜しみない拍手と交わって、辺りは暫く騒がしかった。
ジョーイもつい叫ぶほど、その瞬間は感動的なものだった。
キノはそのジョーイの横顔を見た後、ツクモと顔を合わせ何か言いたげになっていた。
勝利したチームの影で、負けたチームはがっくりと肩を落としたが、これまた勝負の世界。
最後は整列して両者のチームと握手を交わして、爽やかにゲームセットを決めていた。
小学生同士の野球だったが、充分楽しめたと、ジョーイも爽やかな気分で、挨拶を交わしている小さな野球選手たちを眺めていた。
「あいつ、土壇場に強い奴だな」
ヒーローインタビューがあったら、聡が間違いなくそれにふさわしい。
生意気な奴だが、自分とは違う部分を見せ付けられたようで、ジョーイは聡に脱帽だった。
「聡君、ほんとに頑張った」
キノもそう言って二人は見詰め合う。
先ほど触ってしまったお互いの手のことはなかったことにしたが、どちらも忘れてはいないのか少し照れたような笑みを交わしていた。