第一章
10
ホテルに戻って二人は絵を見つめ、そこから浮かび上がってくる特徴や文字を紙に書き出して、場所を見つける手掛かりを探っていた。
絵は街並みの他、公園内、バスの中、どこかの部屋というものもあり、全ての場所を特定できそうもなかった。
「氷室さん、ジェイクはなんでこれらの絵を描いたんでしょうね」
「そりゃ、描きたくて描いたんだろ」
「でも、この絵には絶対意味があるんだと思う。思い出があってそれを忘れたくなくて残したんじゃないかな」
「だけど、それなら写真を撮った方が早いのにな」
「写真だと意味がなくなるんですよ。自分で描いてこそ、そこに何かが現れる…… あっ」
「どうした?」
「ジェイクは自分が描いたものをマリアに見て欲しかった。好きな人に見て貰って初めてこの絵が生きてくる。あの年取ったジェイカブも好きな人に見てもらえ
ないと描いてる意味がないっていってました。だからきっとこの絵はマリアのために描いたんだ。マリアに見せればジェイクが何を描きたかったかマリアなら
きっと理解できる。これはジェイクの思いが一杯詰まったマリアへのメッセージなんですよ」
「お前、なんかロマンティックだな」
「なんとしてでもマリアとジェイクを探したい」
「わかったわかった。落ち着け。明日、いろんな人に聞いてみよう。タクシー運転手なんかいいんじゃないか。この辺の街並み良く知ってるだろうし」
「それ、グッドアイデア。明日ダウンタウンのホテル周辺行ってみましょう。一杯タクシー停まってると思う」
なゆみはまた次の手掛かりを得たように顔が明るくなった。
氷室もそれにつられてにこやかに笑っていた。
「氷室さん、折角アメリカに旅行に来たのに、私、振り回しちゃってごめんなさい」
「いいよ、慣れっこだ。それに俺の目的はお前に会いにくることだったから、一番の用事は済んだ」
「それじゃ二番目の用事は?」
「えっ、二番目?」
なゆみは氷室をじっと見つめる。聡子に言われたことに拘り、自ら心の準備ができてることを知らそうとして、氷室に自分の思ってることに気がついて欲し
いと懇願するような瞳を向けた。
「うん、氷室さんが望んでること」
「そうだな。ロスアンジェルスに折角来たし、ハリウッドとかディズニーランドに行きたい」
「えっ……」
「どうした、なんか俺らしくないか? やっぱり観光名所だから気になる」
「そ、そうですか。分かりました。今度の週末に行きましょう…… それじゃ私、今から夕飯作りますね」
なゆみはのそっとソファーから立ち上がると、キッチンに向かってごそごそ動き出した。氷室が意外にも分かってくれないことに不完全燃焼になっていた。
なゆみの元気がない後ろ姿に氷室はぱっと閃いた。
「あっ、お前もしかしてアレだろ」
「えっ」
なゆみは何かを期待して振り返った。
氷室はニヤニヤと笑っている。
「猫のキティちゃん好きだから、ねずみのミッキーは嫌いっていうんじゃないのか」
なゆみはまたがっかりしてしまった。
「いえ、違います。ディズニーランドはそれなりに好きです。あれはあれで楽しいところです。よかったらナッツベリーファームなんてどうです? 犬のスヌー
ピーがいますよ。ついでにユニバーサルスタジオも忘れないで下さい」
「そうだったな。見るところ一杯だよな。迷っちゃうな」
のんきに観光のことを考えている氷室になゆみはなんだか泣きたくなってしまった。
夕飯を作り、一緒に食べて後片付けも終わると、氷室はなゆみを家まで送っていく。
なゆみの料理はもちろん美味しいと氷室に褒められたが、それはそれなりに気分は良くても心躍るほど喜べなかった。
助手席に座り、なゆみは時々氷室の顔を見て、最後までそれとなくアピールしてみた。
あんなに触りたいと膝に手を乗せたほどなのに、それすらピタッと止まり、氷室は普通に運転している。
家の前に着いたときは虚しさが漂った。
キスだけは忘れずにしてくれるとはいえ、その後の発展に繋がらないことになゆみはもどかしい。
「それじゃ明日、同じようにまた迎えに行く。そしてスケッチブックの場所探しだ」
「はい。それじゃおやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
氷室が去っていくのを尻目に、またこの日も終わってしまったとなゆみは首をうなだれた。
氷室がここに居る間、学校なんかいかなくてもいいほどにずっと側にいたくてたまらない。もちろん朝を一緒に迎えたいとまで思っている。
「どうしてわかってもらえないんだろう。私やっぱり女としての魅力ないのかな。どうしよう」
寂しげに家の中に入っていった。
氷室もまた、愛という重みを重視して、なゆみを大切にしようと紳士らしく振舞おうとしていた。焦ってはいけない。焦ればあの時見た5人の日本人と同じ低
俗になってしまうと拘っていた。
「俺が真剣に愛しているということを分かってもらうためだ。あんな奴らと一緒にされてたまるか」
二人は愛し過ぎて噛み合わなくなっていた。
次の日もなゆみの授業が終わった後、スケッチブックに描かれた絵の場所探しが始まった。
ダウンタウンに出向いて、ホテルの周辺に停まっていたタクシーの運転手にスケッチブックを見せ、何か手掛かりが得られないかと聞きまわっていた。
いくつか場所の特定ができたが、そこに行ってみてもやはりそれ以上の発展には繋がらなかった。
次へ続く手がかりに繋がらず、この日はあっという間に終わってしまった。
「上手くいかないもんだな」
芝生が広がる公園のベンチに腰をかけながら、氷室は空を仰いだ。
この場所もスケッチブックに描かれていたところだった。
空は曇って、いつものカリフォルニアらしい青空は見えない。
糸口が見つからないこのときの状態そのものだと、暗い天気は半ば諦めそうな気分にさせられた。
「氷室さん、疲れた? ごめんなさい。私が変なことに首突っ込んだから」
「だからいいって。でもこう手掛かりがつかめないと、難しいな。こうなったら出会う人皆にそのマリアの絵を見せて尋ねまわるしかないな。コピーしてビラで
も配るか?」
「やっぱりそうするしかないのかな。でもなんか大掛かりになってきちゃいましたね。あっ、そうだ。明日の夜パーティだった。氷室さんもアメリカのパーティ
に
一緒
に行きましょう。そのとき人が一杯集まるから、このスケッチブック見せてみます。もしかしたらってことあるかもしれない」
「パーティか。あいつらもくるんだろうな。ミートマーケットだろうし」
「あいつら? ミートマーケット? お肉屋さんがどうしたの?」
「いや、なんでもないんだけど、この場合、ミート(meet)というのは会うという意味だ。ミートマーケットでパーティのことを男女の出会いの場所と
ちょっと皮肉って
表現するんだ」
「へぇ、やっぱり氷室さんは色々知ってますね。あっそうだ。明日提出の作文の宿題があったんだ。氷室さん、手伝って下さい」
「オッケー、今日はここまでにしてホテルに戻るか」
二人は車に乗ってその場所を去っていく。
入れ違いにちょうどその公園をマリアが歩いていく姿があった。
まだ全ての歯車は噛み合わない──。