第二章


 寒くて震えが止まらない。
 慌てて、マシューのオレンジ色のジープに向かうも、ドアの前に立てば折角ここへ連れて来てもらったマシューに失礼だったかなと、申し訳ない気持ちになった。
 運転席側のドアの前に立ったマシューを見れば、彼も私と同じで寒くて背中が丸まり、髪が風で乱れている様子から、車の中に戻りたそうにしていた。
 愛想的にも「ハハハハハ」と笑っていたので、寒さでなんかやられたような感じにも聞こえたが、どちらもこの気温では仕方がないと思えるところがあった。
 お互い車の中に入る事が一番いい方法だと一致していたのはよかった。
 私も同じように「ハハハ」と小さく笑い声を上げて愛想笑いをしてみたが、車の中に入ってもマシューは気を遣ってまだ笑っていた。
 寒かったことをさらに強調させようとしているのか、手を擦り合わせて落ち着かなく動いている。
 優しい声で「It's cold」と言っては、ヘラヘラ笑ったままだった。
 却って私はこの状況が不自然に思えてきた。
 ここですでに変な雰囲気が漂っていた。
 私の震えが止まらないので、マシューは気を利かしてヒーターを付けてくれたが、この車は隙間がありすぎて非常に寒く、中々温まらない。
 まだ外に居るよりかは風を凌げてましではあったが、ひゅーという風の音が車のドアの向こうからくぐもって聞こえてくると、急に静かになったことに気がついた。
 それも落ち着かなかったので、私はしきりにお礼を言った。
 これで満足だし、寒いし、早く帰りたいといったら、怒られるだろうか。
 自分でももう分かっている。
 それは色気というものが全くないってこと。
 普通こういうところに来たら、それなりに甘いアバンチュールなんか期待して、ロマンティックに事が進むのかもしれない。
 しかし、私はそういうのが苦手ときている。
 憧れているくせに、少女漫画のような夢のような甘い囁きとアプローチ。
 女性なら誰しもそういう妄想があるし、私だって、ここでああなってこうなってなんて思っても、体はそんな風には動いてくれません。
 実際、そういうシーンにならないように避けていたくらいだった。
 それなのに、マシューの方がかなり積極的になってきたのには驚いた。
 このまま帰ろうともせず、話を始めてきた。
 どんどんと饒舌になっては、私の方をチラチラ見る回数が増え、そして見つめる時間が長くなる。
 なんか寄ってきている錯覚も感じて、私はドアの方に身をよせてしまう。
 しかしそのドアも取ってつけたようなものだから、隙間から風がぴゅーっと入って冷え込む。
 体はブルブルと本気で震えてるし、それプラス、暗い場所に停まっているこの車の中ははっきりいって密室で、私はもう逃げられない状態。
 そしてマシューは、確実に次に進もうとしているのが良く見えてくる。
 なんとかかわしながらも、マシューが運転してくれなければ帰れないし、もうこれ以上無理かも。
 自分がここまで誘っておいて、この満天の夜空と宝石をちりばめたような夜景を目の前に、そのまま帰る方がおかしい。
 一応ここは夜になるとデートスポットでも有名である。
 運良くか悪くかわからないけど、この日は人もいないし、周りに停まっている車も全くない。
 ロマンティックな丘に男と女が車の中でいるならば、始まって当たり前の状況だった。
 ただ私が恥ずかしいのよ。
 もし、ことがこのまま起こってしまえば、自分にとっての初めてのキスになってしまう。
 最高の場所に、最高の男性が、それを期待して待っている。
 なんか顔が近くに来た。
 思わず前に寄って、フロントガラスに顔を近づければ、目の前にオリオン座が見えて、それを指差した。
「あっ、オリオン!」
 するとマシューも一緒になって前に体を突き出して星空を見る。
 その距離頬と頬が触れ合いそうにものすごく近い。
「(何、何? オリオンって何?)」
 えっ、オリオン座も知らないの?
 これには私は驚いた。
 目の前にはっきりと三つの星のベルトを囲むように四角い星座が見える。
 あれ、オリオン座じゃなかったっけ。
 冬に現れて、すぐに見分けられる星なんだけど。
 すごく不思議で、星の形を何とか説明してみた。
「おー、オライオン!」
 はい? オライオン?
 オリオンじゃなくて英語ではオライオンって発音するのか。
 私が知らなかった。
 感心してマシューを見つめてしまった。
 あっ、しまった。
 そこでまた雰囲気が変わってしまった。
 この時のお互いが真面目に見つめたことは、マシューの気持ちを一段と高めてしまった。
 やばい、どうしようと、なぜか私は焦ってしまった。
 狭い車の中はシーンと静かになり、外の風がヒュルーと聞こえ、そして自分の心臓が激しく血液を送り出した。
 ドッキンドッキンっていうあの擬音語がはっきりと聞こえてくる。
 マシューはこの時ほんとにキスしたかったんだと思った。
 でもやっぱり私はその一歩が中々踏み出せなかった。
 マシューもそれが分かったのか、このまま自然に任せてたら夜が明けても、ずっと何も起こらないと判断してしまったらしい。
 そしてマシューも考えた末にとうとう決断してしまった。
「キョウコ、Can I have a kiss?(キスしてもいい)」
 とうとう、言わせてしまった──。
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