第三章
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校舎の周りは本場の学生達が賑やかに集い、楽しそうに至る所で語り合っている。
キャンパス内は常に緑と憩いの場が所々にあるので、常に若者達のいるべき場所として活気溢れている。
それとは対照的に暗く絶望の中、背中に人魂が漂うような暗さを背負い込んで、疎外感タップリにそこへ紛れ込んだ日本人が一人……
偶然を装ってマシューに会えないか、暫くその人ごみの中で人を待つフリをして立っていた。
以前の時と全く状況が異なる。
あの時はマシューが待っていてくれと言ったから、そこに立っていた。
この時は何の約束もなく、虚しく小さな望を抱いてここに心細く立っている。
これがストーカーのさきがけとなる行為なのだろう。
初めてストーカーの気持ちがわかるような気がした。
生徒達は沢山居るけど、その中にマシューの姿は見えなかった。
もしかしたら、私に気がついて避けてしまった後なのかもしれない。
いつまでもそんなところで立っているわけにも行かなくて、私は未練がましい気持ちを持ちながら無理に足を動かした。
何をやっているのだろうと思いながらも、頭で考えて動く事ができずにただ気持ちを静めるために思うままに無駄な行動を起こしてしまう。
そんなに気になるのなら、もっと手っ取り早く電話をかけて、はっきりと言えばいいのに。
住んでる場所も、電話番号も知っているのに、直接本人と話すことも可能なのに、こんな回りくどい方法をとるなんて、なんてバカバカしい。
それでもドツボに嵌って、最悪の方法しかとれない自分が情けなくとても惨めだった。
やっぱりその晩も、マシューからの電話を待っていた。
というより、かけて欲しいと強く願っている。
こんなに切望しているというのに、どうしても自分から掛ける事ができない。
マシューは何を思い、どう過ごしているのだろうか。
もしまだ私の事を思ってくれているのなら、マシューだってこのままの状態がいいとは思ってないはず。
それなのに向こうからも全然連絡がないのは一体どういうことなのだろう。
一度、拒んだことだけでこんなに簡単に終わってしまうものなのだろうか。
マシューも、もしどこかであの時の行動を後悔しているのなら、何かの反応があってもいいはず。
それがないということは、全面的に私に落ち度があったという責めなのだろうか。
しかし、後悔したところで、私は何か罪を犯してしまうくらいのことをやったことになるのだろうか。
疑問が沢山頭に浮かぶ。
しかし答えは、ほんの些細なことだったとしか、私には思えなかった。
マシューとはぷっつりと連絡が途絶えてしまった。
表情は暗くなるし、辛いし、苦しいし、どうしていいのか分からない。
一緒に授業を取っている日本人のおじさんが、それを見かねて休憩時間に声を掛けてきた。
「杏子ちゃん、なんか最近おかしいね。何かあったの?」
「佐藤さん、いえ、なんでもないんです。心配して下さってありがとうございます」
佐藤さんは既婚者で1歳になる娘さんがいる。
写真も見せてもらったけど、それはかわいらしいぷくぷくとした赤ちゃんだった。
仕事の関係で会社から留学をさせてもらってここに居るらしい。
若い生徒達が多い中、年上なところが頼りになる人で、気さくで話しやすい雰囲気から、日本人同士の間では気軽に話ができると年齢に関係なく仲良くできる人だった。
私もそれなりに仲良くさせてもらっていたが、やはり部下を持って仕事をしている人なのだろう。
何かを感じ取ったみたいで気にかけてくれた。
「なんか絶対あるね。もしかして彼氏のことじゃない?」
「えっ」
図星だけに顔にはっきり出てしまった。
「やっぱり、どうしたの。おじさんでよかったら相談に乗るよ」
「彼氏とかそういうのじゃないんですけど、そのなんていうのか」
とりあえずは誤魔化そうとしてみたが、周りに誰も居なかった事でつい本音がでてしまった。
はっきりと聞きたかった事を佐藤さんにぶつけてしまう。
「あの、どうして男の人は迫ってくるのでしょう」
佐藤さんは笑っていたが、その後、男としての本音を隠さずに言えばと前置きをしてから、ずばっと答えてくれた。
「それは男はチャンスがあったらいつでも寝たいからだよ」
はっきりといってくれた事になんだかすっきりするものがあり、佐藤さんの前では恥ずかしいとかそういう気持ちはなかった。
「そうなんですか」
「そうだよ。若かったらその欲望が強い。目の前に餌があったら手を出さずには居られない動物の本能と一緒」
「そこまで言わなくても」
「杏子ちゃんには大げさすぎるように聞こえるかもしれないけど、男にしか分からないこともあるからね。そっか、杏子ちゃんも大変だったね。でも嫌なときは拒んで正解。女の子の気持ちを考えずにすぐに手を出す男なんて碌なのいないから」
なんだか救われる思いだった。
詳しく話してないのに、私が何を悩んでいるのか分かっているように的確にアドバイスしてくれる。
佐藤さんだから面白おかしく聞けたと思う。
お子さんのいるおじさん。
どこか大人だった。
佐藤さんは、私を庇いマシューを悪者のように慰めてくれたが、私の話しか聞いてないから私の肩を持ってくれるだけに過ぎなかった。
どんなに庇われても、虚しさと悲しみは癒える事はなかった。
やっぱり辛いです、七面鳥さん。
ウィッシュボーンの効き目もこれまでなんでしょうか。
ガボル、ガボル。
一体これからどうしたらいいのだろう。
自分で解決するしか手はなかった。