第2章 付き合えば当然アレをしてもいい・・・?
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放課後、俺はノゾミに会いに一年生の校舎へと足を向けていた。
渡り廊下を挟んだ向かい側にあるもう一つの校舎。
そこが一年生の教室があるとはわかっていたが、ノゾミが何組であるかがわからなかった。
行けばわかるだろうと軽い気持ちもあったが、アウェー的な場所で、見知らぬ生徒にじろじろ見られるのはあまりいい気持ちではない。
無理をして背筋を伸ばし、先輩面を強調する。
適当に目が合った女の子に話しかけ、叶谷希望を知ってるかと訊いてみたが、横に首を振られた。
それから手当たり次第に訊くが、彼女の印象が薄いためか、知ってる者を見つけるのに苦労した。
やっとクラスがわかった時、そこへ向かえばすでにノゾミはいなかった。
──すでに帰ってしまったのか。
色々と訊きたい事があったから会いに来た訳だが、それだけに気持ちは会えなかったことでがっかりとしてしまった。
ノゾミが所属するクラスを出入口で見渡して、彼女がどんな風にここで勉学に励んでいるのか少し想像してみる。
この席のどこかにポツンと座り、黒板を静かに見てノートに書き写している姿。
授業中、積極的に手をあげるような生徒ではないのは想像できるが、当てられたらやはり顔を真っ赤にして死にもの狂いで答えてるのかもしれない。
それを確かめるように、出入り口を塞いでいる俺の傍を通ろうとした男子生徒を引き留め、それとなくノゾミの事を訊いてみた。
「あのさ、叶谷希望ってどんな子?」
突然の事に声を掛けられて戸惑い、そいつは「俺?」と、話す相手を間違ってないか念を押すように、人差し指を自分の顔に向けて目を見開いていた。
新しい制服がまだ体にフィットしてなくて、だぶつき感があり、あどけない表情がとても幼げに見えるその男子は、少し慌てながらも俺を見て、訥々に答えた。
「えっと、叶谷さんとは、喋った事がないから、ちょっとわからないです」
「でも、見た感じのイメージがあるだろ。あんたから見てどんな風?」
「うーん、大人しい感じ、かな。それぐらいしかイメージがない、です」
それは自分も同じ印象だったが、誰が見てもこれと言って目立つ特徴がないのかもしれない。
「そっか、ありがとう」
おれは愛想程度に口元を上向きにさせ、帰ろうとした時、呼び止められた。
「あの、もしかして天見先輩ですか?」
「えっ、ああ、そうだけど」
「叶谷さんと付き合ってるって本当ですか?」
「なんで、あんたが気になるんだ?」
「今日、彼女、クラスの女生徒から訊かれてて、ちょっと耳にしたから。天見先輩は女生徒の間ではかっこいいって有名だから、なんか今日は彼女話題になってたんです」
「あんたも興味があるのか?」
「いえ、僕はそんなの気にしません。好きな者同士なら付き合えばいいと思います。でも……」
ここで周りの友達と目を合わせ言いにくそうにしていた。
「でも、なんだ?」
「叶谷さん、それが原因で、上級生の人たちに呼び出されて、放課後どっか連れていかれました」
「えっ!? なんだって。なんでそれを早く言わないんだ。それで、一体どこへ連れていかれたんだ?」
「そこまではわかりませんけど」
今にも突っかかりそうにしていた俺に驚き、そいつは周りに助けを求め、近くに居た奴にぼそぼそと確認を取っていた。
「何でも教室を出てあっちの方向に行ったみたいです」
自信なさそうに指を差し、それ以上はどうしようもないと俯き加減に困っていた。
「そっか、とにかくありがとう」
すぐに俺は廊下に出て、言われた方向へと足を向けた。
途中出くわす教室を覗き込んでは、ノゾミが居ないか確かめる。
誰か見てなかったかと、その辺の生徒を捕まえて訊いてみるも、皆、首を傾げて、困惑の表情を向けた。
一体どこに連れて行かれたというのか。
江藤が言っていた事がすぐさま現実となり、こんな簡単にノゾミが虐めに遭う事が信じられなかった。
嫉妬という力の強さに驚くと共に、自分もまた己の境遇の理不尽さで、会った事もない異母弟に同じような気持ちを抱いていた事に強く批判できないものを感じた。
もし、目の前に弟が現れたとしたら、俺もきっと態度が悪くなり、いい感情を持たないのが想像できる。
人は自分が成し遂げられないもの、欲しいと思って手に入らないもの、そして不満があるときにいい思いをしている者を見れば、負の感情に捉われ易い。
自己愛があるから、自分がみじめになるのは耐え難いものである。
その辺も理解できるから、俺はこの問題に対してどう対処すべきなのか慎重に考えてしまう。
まるで、自分の中の負の感情と戦っているような気分にさせられた。
だが、実際ノゾミが女子生徒から突き飛ばされているのを目の前で見た時は、俺は許せなかった。
彼女は屋上への出入り口がある階段の踊り場で、数人に取り囲まれていた。
そこでよろけて壁に寄りかかるように不安定に立っていた。
屋上へ出るドアがノゾミの傍にあるが、鍵がかかっているので、勝手に生徒は開けられないようになっている。
下に降りる階段をふさがれると、その踊り場はちょっとした小部屋になって、逃げ場がなくなるような場所だった。
屋上へ出るには、余程の理由があって、先生の許可が下りないと無理なので、普段誰もここに来る者はいない。
それ故に、滅多に人が寄り付かない場所だった、こんな風に、人目を避けて何かをする以外には。
俺もそんなことにここが使われていると気が付いたのも、たまたま廊下の端の階段を下へ降りようとしたら、上の方から声が聞こえてきたので、もしやと思ってやってきた結果だった。
偶然だったとはいえ、まさにビンゴ―! と見つけた事に胸が高鳴った。
「おい、お前ら一体ここで何してるんだ」
突然の俺の登場に、取り囲んでいた女子生徒は判りやすいほどに驚いて顔を青ざめていた。
ノゾミも目をパチクリとして、俺の登場にびっくりしていた。
虐めていた誰もが口を閉ざし、気まずい思いを抱えて怯えている様子は、自分がものすごくかっこいい登場をしている錯覚にも陥ってしまう。
これは判りやすいほどに、正義の味方が現れるグッドタイミング。
ついそれになりきって、俺はノゾミの傍へ寄り、彼女の前に立ちはだかった。
「こいつに指一本触れるのは許さねぇからな。また、こいつを虐める事があったら、俺は出るところ出てお前らを訴えてやる。わかったら、さっさと帰れ」
ギロリと一人一人に憎しみをぶつけ、俺はありったけに睥睨してやった。
俺に怯んだ女子生徒たちは、それに怯えすぐさま去って行った。
その中には、以前俺に告白してきた女もいたから、俺が虐めの事実を知ったことで、かなりビビッて戦慄していた様子だった。
だが、俺もまた暗黒側に陥るのも理解できるだけに、人間の複雑な感情を一方的に責める側の人間でもないように思えた。
それでも、ノゾミを助けなければという思いは、不思議と自分の中で芽生えていた。
「大丈夫か」
ノゾミに振り返るも、これでよかったのかわからないままに、俺自身不安な顔つきになってしまった。
ノゾミは目に涙を溜めて俺を震えるように見ていた。
上級生から睨まれ、人気のない所に連れてこられて怖かったのだろう。
それでも必死になんでもないように振る舞おうとしていた。
「だ、大丈夫です。その、別に、大した問題じゃなくて」
「何が大した問題じゃないだ。俺が関係してるから、こんなことになったんだろ」
「いえ、そんな」
「嘘ついたところで、ばれてるんだよ。無理するな。だけど、すまなかったな」
「天見先輩が謝る事ないです。これは私の問題ですから。私が無理やり頼んだから」
「その要求をのんで返事をしたのは俺だ。承諾した以上、俺にも責任はある。一億円で三ヶ月の交際の約束とはいえ、その間、お前は俺の彼女っていう事は事実だ。返事した分、俺はそのつもりでお前を彼女と認め、そして守る義務がある。付き合うってそういうことだろ」
「そ、そうなんですか?」
「おい、なんでそこで疑問形になるんだよ。俺の事が好きなんだろ。だったら全力で来いよ。お前の願う通り、俺はお前の彼氏だ」
おれも結構酔ってたのかもしれない。
自分でもかっこつけてるってわかっていたが、なんだか気持ちよく自尊心が疼いていた。
人はシチュエーションを与えられると、それに馴染んでくるのかもしれない。
「天見先輩……」
ノゾミは目を潤わせて、迷える子羊のように震えて俺を見ていた。
女の子だから、こんなシチュエーションは少女漫画の展開のように感動するのかもしれない。
俺はそんな物語のヒーローらしく、さらなる状況を作ってやることにした。
「ほら」
肩にかけていた鞄を床に置き、掌を上に向けノゾミに差出した。
だけどノゾミはそれを見て、キョトンとしている。
「なんでわかんねぇんだよ。こっち来いよ」
俺はノゾミの体験した恐怖を和らげてやろうと、彼女を引き寄せ抱きしめた。
ノゾミは戸惑いながらも、俺の力に抗えずに、俺に抱きしめられるまま大人しく突っ立っていた。
「怖かっただろ。もう大丈夫だ」
俺の言葉が引き金となって、ノゾミが肩を震わせ出した。
泣くだろうと思っていたが、その通りに素直に泣いている。
俺の言葉が安らぎをもたらせ、緊張が解け、ノゾミも俺の行動するままを受け入れた様子だった。
俺も気障な事をやってる自覚はあるが、素直に俺の腕の中に納まっているノゾミを認識すれば、間違ってないと変に自信もあった。
暫く俺の腕の中で甘えろ。
俺のためにイチゴタルトを作ってくれたお礼だ。
そう思う事で、舌先に少しだけ味わったタルトの風味が甘く爽やかに蘇り、俺自身もまた優しい気持ちなって、心地良くなれるような気がした。