1知らせ

「カイル、エレナがここへまた戻ってくるんだ」
 ライアンからそう聞くと、僕は正直どういう顔をしていいのか分からなくなった。
 ライアンはエレナの居場所を探し出し、会って来た事を、さりげない様子を装い、僕に報告する。
 小さなカフェショップにテーブルを囲んで、僕達は座っている。
 コーヒーが入った紙カップを口元に近づけ、ライアンは唇をぬらすように、コーヒーを一すすりしていた。
 エレナに会えて嬉しそうにその事を話したいはずのライアンが、時折目を合わせ辛そうに、どこか僕の前ではよそよそしく気を遣っている様子である。
 それもそのはず。
 なぜなら、エレナと別れた理由はなんにせよ、エレナが僕の元婚約者であったことはライアンも良く知っていることだった。
 僕もまた、コーヒーカップを手にして、口元に持っていくと、ごくっと喉に流し込んだ。
 まだ熱かったコーヒーは僕の喉に焼きついた。

  一年前のあのエレナの救出劇がなければ、僕もエレナを手放そうなどと思いもよらなかった。
 エレナの幸せを考えて婚約破棄の結論を出したのは、エレナがライアンに惚れていたのを知っていたし、エレナの父親であるコナー博士からの一言が僕の気持ちを揺がせた。
 僕から別れようなどと言わなければ、エレナはきっとあのまま僕と結婚した事だろう。
 自分の気持ちを偽っても、僕のためにずっと側にいてくれようとしたのは、エレナの性格から想像できる。
 僕は最初それでもよかった。
 エレナが側にいてくれさえすれば、そして自分のものならそれで満足だった。
 でもあんな辛い過去を経験していた事や、命を脅かされる事件に巻き込まれた彼女を目の当たりにして、僕は自分の我儘を突き通せなくなった。
 彼女の幸せを考えれば、本当に好きな男と一緒になった方がいいと思った。
 しかし、筋道立てて、簡単に結論を出せても、僕の気持ちはその結論通りに、正直割りきれるものではなかった。
 それは時間が経てば経つほど辛く、僕の心を押しつぶす。

  エレナがさよならも告げず施設を去った時、僕は正直絶望し、今まで過ごしてきた思い出を否定されるかのように苦しく辛かった。
 あれだけ思いを募らせていた人が、目の前から突然消えるなんて、あんなにも衝撃的だったことはない。
 もし僕に会わず、こっそりとライアンに会っていたならば、もっと辛いものになっていたかもしれない。
 しかしライアンにも会わずに去って行った事を知って、少し救われたような気持ちになったのも事実だった。
 エレナがライアンや僕に会わずに一人で去って行ったのは、僕たちに会うのが辛かったのかもしれない。
 ライアンを好きでいただろうけど、僕の事を考えてエレナはああいう形を取ったに違いない。
 今思うと、いかにもエレナらしい行動だったと思う。

  エレナが去ってから、僕は変わってしまった。
 相変わらず仕事は忙しく、それなりにこなして、それはいつもと変わりなかったが、以前と違ったのは、僕はとっかえひっかえ女と付き合った事だった。
 まるで昔のライアンがそうしてたように、プレイボーイと呼ばれてもおかしくないような自分だった。
 仕事の成功で、ある程度の名声を手に入れ、育ててくれた父母が金持ちで大きな会社を持っているときてる。
 それだけで寄ってくる女性は沢山いた。
 僕は少し自棄になっていた。
 決して寄ってきた女性が好きになったとかと言う理由ではなく、近寄って来た女性を拒まないようになってしまった。
 しかし、そんな出会いが長続きする訳がない。
 飽きてしまうのはいつも僕の方だった。
 エレナを愛していたように、僕は女性を愛することができなくなった。
 女性を抱いた時も、愛のあるセックスなんて一度もなかった。
 むしろ体の快感を求める遊びと言った方がしっくりとくる。
 自分でも信じられないくらい、ここまで変わるものなのかと思ったくらいだった。
 酷いときは行為の途中で、自分の本能が露出して、エレナと口走ってしまった事もある。
 僕は、エレナを想像し、エレナの事を思いながら、やるせない思いを抱いて、自棄になっていた。
 そんな他の女を思う男を誰が本気で愛せるのだろう。
 女性も僕には真剣になれずに去っていく事も多かった。
 中には僕の地位と金があればいいと開き直る女性も居たが、そんなのはこっちから願い下げだった。

  僕はエレナと一度も寝ていない。
 婚約中であったのに、そういうチャンスも幾度とあったにも関わらず、僕はエレナを抱けなかった。
 本当は本能のまま抱きたかったが、僕が激しく気持ちが高まり、それをぶつけてしまったら、エレナを壊してしまいそうに思えた。
 ずっと思いを抱いていた、大切なものを壊してまで、自分の快楽のために使うことなど、とても恐れ入ることをしているようにも感じた。
 またそういう雰囲気になると、必ず彼女は怖がっているような、そして覚悟を決めたような目をする。
 あの目を見ると、無理を強制しているようで、僕は抱こうに抱けなくなってしまうのだった。
 エレナはエレナなりに、一生懸命に僕に応えようとしていたのがよく伝わった。
 だから僕も、エレナを大切にしなくてはいけない気に自然となった。

  ライアンがエレナと再会したあの日、あの手の早いライアンの事だからエレナを抱いたに違いない。
 僕はそう思うとライアンに嫉妬せずにはいられなかった。
 大切に守ってきたものを親友に奪われた僕の気持ちを知ってなのか、ライアンはエレナが戻ってくる事を僕に報告するのを躊躇いながら話してくれた。
 気を遣われずに話されても気を遣って話されても、僕にはどちらも気にくわない。
 じゃあどうすればいいんだと言われそうだが、それもわからない。 
 一層のことライアンがエレナを見つけなかったらよかったのにと思う始末だった。
 
  今でも僕はエレナを愛している。
 簡単に忘れられるほど僕は単純にできていない。
 これから先エレナが戻ってきて、目の前でライアンと一緒に居るところを見るなんて、どれだけの苦痛になるんだろうと思うと、僕はエレナが戻ってくることが素直に喜べなかった。
 エレナの幸せを願うはずなのに、今は自分のやるせない気持ちの方が大きくて、どうしてもライアンに強く嫉妬してしまう。
 親友のライアンを心から祝福してやりたいと思いながらも、自分の気持ちはそこまで大人になりきれなかった。
 僕がエレナと婚約していたあの時、ライアンはどんな気持ちでいたのか、ふと思う。
 あの時はライアンも辛かったのかもしれない。
 口では祝福してくれてたが、きっと気持ちは今の僕のように割りきれるものではなかったのだろうと推測する。
 今となっては立場は逆になってしまったが──。

 僕はライアンの話を聞きながら、また熱いコーヒーを喉に流し込んだ。
 味わう事を忘れ、熱い液体は体にただ流れていく。
 そして苦味だけが口元に不快に残っていた。
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