Brilliant Emerald

第八章

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 ジークの顔は喜悦いっぱいに、高らかに声を張り上げて笑っていた。
 アドレナリンが体全体に行き渡って、この上なく興奮しきっている。
 気分が高揚してトイラの頭をさらに強く踏み潰していた。
「なんて気持ちがいいのだろう」
 トイラはもがく。落ち葉に顔が沈んでいく。
 踏み潰される痛さより、ユキを助けることができない辛さの方が何倍も強く胸を締め付けた。
 必死に立とうと手で踏ん張ろうとするが、土を掴むばかりで無駄だった。
 ユキは制服のブレザーの襟をつかまれ、体を持ち上げられている。
 つま先が地面に触れているだけで、殆ど宙に浮いているといっても過言じゃない。
 息苦しい。
 何十本の針がユキの胸に突き刺さったような痛み。
 でもユキは弱音など吐いてられない。何がなんでも耐えなければいけない。
 ユキは体中の渾身の力を込めて、歯を食いしばった。
 絶対気を失いたくないという精神が、ユキを奮い起こす。
 気の遠くなるような痛さの中で、必死に立ち向かっていた。
 側でトイラのうめき声が聞こえる。
 このままではトイラも危ない。
 ユキは掴まれているジークの手の甲を、無我夢中で爪を立てて引っ掻いた。
 ジークは顔をしかめる。
「また抵抗するのかい、ユキ。無駄だというのがわからないのか。まあいい放してやろう。どうせお前一人ではこの状態で何もできないだろう」
 ジークはぱっと手を放すと、ユキは糸の切れた操り人形のように地面に倒れた。
 這うようにトイラの元へ近づき、トイラの頭を踏んでいるジークの足を、その辺に落ちていた木の枝を掴んで無造作に刺す。
「くそっ、何をする」
 ジークは刺された足で、ユキの顔を蹴飛ばした。ユキは後ろに倒れ、口角から血が滴った。
 それを見たトイラの目の瞳孔は開き、灼熱の怒りが渦巻いた。
「ユキに何をする。止めろ!」
 トイラは突如烈火のごとく、怒りに体を支配され、電流が流れるように全身がスパークしだした。
 緑の目が鮮やかに光輝き、弱った筋肉をも奮い起こして、黒豹へと変貌する。
 ユキを助けたい一身で、豹の野生の本能が目覚める。
 立ち上がり、ジークめがけて飛び掛かった。
 トイラの鋭い爪がジークの胸を深く切り裂く。
 悲鳴があがり、トイラから逃げるように後ろにジークはさがった。
 先ほどまで高らかに笑っていた緩んだ筋肉が一瞬にして凍り付いていた。
「魔物の実を口にして、まだ戦えるというのか」
 トイラは、牙をむき出して抑えられない怒りを、恐ろしく見せ付けている。
 トイラの気がジークの体に寒気を走らせた。
 ジークは慄然として後ずさりするものの、身を守るために、よたつきながら手のひらをトイラに向ける。
 しかし、トイラを見ると震えが起こり、狙いが定められない。
 恐ろしい異質な気が、辺り一面の色をも変える程、異様に流れていた。
(これはトイラじゃない)
 ジークは目の前の黒豹の体から、緑色の燃える炎を見た。
 それは空間を歪め、トイラの体の輪郭が溶けていくようにぼやけて、揺ら揺らと陽炎が立ち込めてい た。
 その姿は、初めて大蛇の森の守り主を見た時を想起させた。
「森の守り主……これがその選ばれた力だというのか」
 ジークは完全に怯んでしまった。
 額からじわりと汗が滴り流れる。
 その時突然、狼の遠吠えが響くと同時に狼姿のキースが突風のごとく現れ、ジークに飛び掛かかった。
 しかし、ジークはコウモリの姿になってひらりとかわして、どこかへ飛んで逃げていった。
 取り逃がした悔しさでキースは顔を歪めるが、深追いはしなかった。
「トイラ、ユキ、大丈夫か。すまない遅くなって」
 キースの登場で、安心して気が緩んだのか、トイラは崩れるように倒れてしまい、人の姿に戻っていた。
 体は全く言うことをきかなかった。
 ユキはへたりこんで、地面に手をつきながら、ゼイゼイと息をしていた。
 ジークが去ったので、胸の痛みは治まっていたが、体力をかなり消耗していた。
「私は大丈夫。トイラは怪我をしてるの」
 ユキは這ってトイラの側に寄り、横たわっているトイラの頭を持ち上げて抱きしめた。
「ごめんユキ、また苦しい思いさせて」
「ううん、あなたは命を張って、私をちゃんと守ってくれた」
 その様子を、少し離れたところで、木の陰に隠れるように仁は見ていた。
 予想もつかない展開に戦慄している。
 突然、 トイラたちの置かれている状況を、目の前で見てしまい、畏怖の念を抱いてしまった。
「一体何があったんだ。お前がジークに、ここまでやられる訳がない。それにどうしてここにミカが倒れてるんだ」
 キースはこの状況をまだ飲み込めないでいた。
 トイラはミカから貰ったクッキーに、魔物の実が入っていたこと、ジークが後ろで操っていたことを説明 した。
「そっか、ミカのトイラを憎む気持ちが、ジークを引き寄せてしまったのか。この子が相手じゃ、戦うこともできないもんな」
 キースは倒れているミカを見おろしながら、人の姿に戻った。
「ユキ、胸のアザはどうなってる。また大きくなってしまったのか。すまない。俺、まだお前を救う方法がわからない」
 トイラのその苦しみは、ユキの心も軋ませる。
「トイラ、大丈夫よ。私、ほら、生きてるから、時間はまだあるってこと。もしもの時は、わかってるでしょ。何、気弱なこと言ってるの。トイラらしくないぞ。ここへ来た当時は強気に睨んでたくせに」
 ユキは笑って答えてやった。
 トイラの苦しみは痛いほど胸に突き刺さる。
 ユキこそトイラを追い詰めていることが辛くて仕方がない。
「とにかくトイラの手当てと、ミカをどうするかだ。仁、そこに突っ立ってないで、こっち来てくれ」
 キースに呼ばれて、我に返って仁は恐々と近づいた。
 ユキの顔を見ると少し腫れて、口から血が出ていることに気がつく。
 見るに耐えられない。
 でもユキは仁に笑顔を見せる。心配するなとでも言いたげに。
 仁は、そんなユキをみて声をかけることすらできなかった。
 『大丈夫?』だなんて、そんな軽々しい心配がこの状況では言えるわけがない。
 どう見ても命がけで、まるで戦場にいる気分だった。
 キースはミカの首筋の傷を見つけ、指で撫でるように触れた。
 たちまちすっと消えていった。
「僕はミカを連れて行く。この子からトイラへの憎しみを取り払わないと、また同じ事を繰り返されるかもしれない。仁、悪いがトイラを宜しく頼む」
「わかったよ、キース」
 キースはミカを抱き上げて去っていった。
「トイラ、立てるかい? クシュン、あっ、ごめん。クシュン」
 仁はトイラを起こし、自分の背中に乗せておんぶしてやった。
「すまない、仁。重いだろ。それにくしゃみ、大丈夫か」
「大丈夫さ。クシュン。僕だって、ほら役に立つことあるだろ。クシュン。ユキ、君は、一人で歩けるかい? クシュン」
 ユキはふらっとしながらも立ち上がった。
 自分で歩けると、笑顔で頷いていた。
 仁はくしゃみが止まらなかったが、それでもこの時は自分しか助けられないと、できるだけくしゃみをしないように、踏ん張った。
「トイラを病院に連れて行った方がいいかもしれない。傷もかなりひどそうだ。クシュン」
 仁はトイラが落ちないように、一度自分の背中を持ち上げて、担ぐ位置を整えた。
「ダメだ、病院は行けない。俺が人間じゃないことがバレてしまう。そうなれば、好奇心旺盛な生物学者の注目の的だ」
「クシュン、しかし、このままじゃ…… あっ、いい事思いついた。僕に任して。クシュン」
 トイラもユキもなんだろうと、顔を見合わせ首を傾げていた。
 
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