第四章


 ユキ意識が戻ったとき、当たりは薄暗く目の前のものが全てかすんだように見え、何があるのか判別できなかった。
 立ちあがろうとすると、ぼやけた頭がやけに重く感じる。
 体も重力がのしかったように圧迫感を覚え、それでも踏ん張って体を起こせば、遠くに一点の光が見えた。
 それをみたとたん、すっと体が軽くなりふわふわと浮いてる感じで立ち上がっていた。
 その光に誘われるように歩けば、辺りはどんどん明るくなっていく。
 気がつけば周りは木々が立ち、光を吸い込んだ葉っぱが優しく全てを緑色に染めていた。
 懐かしい、見たことのある景色。
 そしてあの見慣れた年老いた大木。
 そこがどこだかユキにはすぐにわかった。
「またあの時の夢を見てるんだわ」
 ユキがそう思ったとき、後ろから突然声を掛けられた。
「ユキ、ここで何をしてるんだ」
 振り返れば目を見開いて驚いているトイラがいた。ユキは驚喜に名前を叫びながらトイラめがけて突進して抱きついた。
「夢でも嬉しいわ、トイラ!」
 しっかりとトイラの体に抱きつくと、その感覚がリアルに伝わってくる。
「ユキ……」
 トイラも素直にユキを抱きしめ返してしまう。
 好きな人を目の前に拒むことなどできなかった。
 二人は柔らかな緑の日差しを浴びながら暫くずっと重なりあっていた。
 火がついて燃え上がる二人の思いは抱きしめる腕に力強く込められる。
 二人はその思いを消し止める事ができず、見詰め合えば自然と唇が重なっていた。
 その柔らかい唇の感触までもユキにはリアルに感じられるほどだった。
 一時の至福の思いは長く続かないことをふたりはどこかで感じると、冷静さが無常に芽生えてきた。
 会えて嬉しいのにトイラは気丈に振舞う。
「ユキ、もう帰るんだ。ここはユキの来るところじゃない」
「ちょっと待って。これは夢でしょ。まだいいじゃない」
「夢なんかじゃないよ。ユキは今俺の意識と会っている。これは現実さ」
 ユキは驚いた。
「じゃあ、私、自分の中にいるトイラと出会っているってことなの?」
「ああ、幸か不幸かそういうことになる。一体なんでこうなっちまったのか。もしかしたら俺の力が増してきたのかもしれない」
 トイラはそう思ったが、しかし何かが腑に落ちない。
「これって、キイトがこの間、意識同士で会わせようとしてくれていたことなのね。なんて素敵なの。これなら私このままで……」
「ダメだ!」
 ユキの言葉を遮ると同時にトイラはユキを振り払うように後ろへ下がった。
「トイラ、どうして。やっと会えたのよ」
「ほらみてみろ! ユキはこの世界に取り憑かれようとしている。ここはユキの意識の中であって、ユキがここにいれば、本当のユキの体は意識不明の寝たままになっているんだ。今頃仁は慌てふためいてるぞ」
「でも私、トイラと離れたくない。やっとやっと会えたのに」
「ユキ、これは正しくない方法だ。ユキは今どうすべきかわかるだろう。早く戻るんだ」
「いや!」
 トイラの恐れていたことだった。ユキは段々とこの世界が自分のいるべき場所だと思い込み始めている。
 なんとかしなくてはならない。
 トイラはありったけの優しい笑顔をユキに向け、そしてもう一度ユキを自分の下に引き寄せそしてキスをした。
 ユキはなすがままに、それを受け入れ益々ぼーっとする。
「ユキ、俺をここから出しておくれ。早くカジビを見つけるんだ。そうすれば俺は人間になれるんだろ。ユキの意識の中ではなく、現実の外の世界で君を抱きしめたい」
 トイラの術に掛かったようにユキはこっくりと頷いた。
「うん。そうよね。早くトイラを人間にしないと。そうよ、カジビを見つけないと」
「そうだ、その通りだ。だから早く目覚めるんだ」
 ユキは現実に戻らなくてはと強く心に願うと、すーっと気持ちがどこかに吸い込まれていくように姿を消した。
 トイラはほっとしたように力が抜け、木の麓に腰を下ろした。
 意識が重なったとはいえ、ユキを再び自分の手に感じられたことは素直に嬉しかったが、丸呑みで喜んでもいられない。
 なぜこのような事が起こってしまったのか。その原因は自分にあるだけじゃないことに気がついていた。

「ユキ、ユキ、しっかりしろ」
 何度とユキの頬をペチペチと叩きながら、仁はすぐに意識が戻らないユキに慌てていた。
 ユキの目が開いたとき、仁は歓喜に声を上げた。
「ユキ! もうびっくりさせるなよ」
「仁、ここは? 私戻ってきたの?」
「何言ってんだよ。まるで天国に行きそびれた言い方じゃないか。脅かすなよ」
「違うの、私、さっきトイラに会ったの。意識と意識だったけど、ほんとにトイラに会えたの」
 ユキは意識の中の出来事を説明する。もちろんキスしたことは省いてだったが。
「そっか、意識同士だったとはいえ、会えたのか。それはよかった……」
 自分を押し殺し、ユキのことを第一に考える仁。でも言葉には虚しさが含まれる。
「会ったことでこのままでいいなんて思っちゃったけど、トイラに早くカジビを見つけて人間にしてくれって言われたから戻ってきちゃった。トイラも私に会ってやっぱり人間になりたいって思ってくれたに違いないわ」
 仁にはわかっていた。トイラはユキを戻すために嘘をつき、現実に引き戻すきっかけを作っただけに過ぎない。
 トイラは自分が人間になることには否定的だ。その理由もなぜだか仁は知っている。
 しかしこの計画はユキのためにも突き通さなければならない。
「ああ、何が何でもカジビを見つけないとな」
 仁は力を込めた笑顔を作っていた。それが不自然に見えないことを願って。
 ユキが立ち上がろうとしたとき、白い物が床に落ちてるのが目に入った。
「あれ、なんだろう」
 ユキの示す方向を仁も見れば、そこには瞳からもらった石が落ちていた。
「あれは、瞳ちゃんから貰った石だ。ポケットに入れたのがトイラに殴られた拍子に落ちたんだ」
「えっ? トイラに殴られた? って、それ私が殴ったってことじゃない。どうして? 何があったの?」
「いや、別に何でもない。ちょっとふざけてて、その……」
 その話はうやむやに誤魔化そうと、落ちていた石を仁は拾いに行った。
 その石を手にしたとき、また突然の頭痛に襲われ、仁は顔をしかめていた。
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