第四章

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 ◇澤田隼八の時間軸

「そこに何かあるんですか?」
 僕が訪ねると、女性は振り返り困った顔を僕に向けた。
「何かを見つけたみたいに急に吠え出したんだけど、私が見ても何もなくてね」
「でも何かあるから吼えるんでしょうね」
「私も注意深く何度と見たんだけど、やっぱり何もないのよ……あれ?」
「どうかされました?」
「いえ、なんかこんな風に前にも誰かに言ったことあったなって思って」
「えっ? それってデジャブーですか」
「そんな感じかな」そういって頼りなく笑った後、「さあ、もういいでしょ。帰るよ」と犬のリードを引っ張って無理に歩かせようとした。
 僕に一礼をすると、さらに強く引っ張って犬は連れて行かれた。
 犬は納得がいかないと抵抗しながらこっちを振り返っていたけど、そのうち諦めて真っ直ぐ丘を下りていった。
 あの女性が感じたデジャブーが引っかかる。もしかしたらまた変化が起こるかもしれない。
 僕も何かこの辺りに不思議な要素があるような気がして、そっと木に触れてみた。何かの変化を期待したけど、特別に著しく違いがわかるというわけでもなかった。さらに詳しく観察をしてみる。
 小枝を拾い、桜の花びらが落ちている木の根元を軽く擦ってみた。そして木の根元の地面に小枝を差し込んでみたけど、虫がいるわけでも、何かが埋まっているわけでもなかった。
 その時、目の前で桜の花びらがひとりでにかき集めたように盛り上がった。
「えっ」
 ぼくはそれを手で払いのけた。
 するとそれはまた同じように集まって盛り上がった。
「どうなっているんだ?」
 そこで僕はさらに桜の花びらをかき集めてハートの形にしてみた。
 するともうひとつ隣にハートの形にかき集められたものが出来上がっていた。
「まさか」
 僕ははっとした。


 ◇栗原智世の時間軸

 地面に小さな穴が開いたから、虫が出てくるのかと思ったけど、何も起こらなかった。
 そこだけ桜の花びらが取り除かれたので、私はふさぐように周りの桜の花びらをかき集めてみた。それなのに、風が吹いたようにさっとはらいのけられてしまった。
 どういうことだろう。
 もう一度同じようにかき集めた。今度はそれがひとりでにハートの形になった。
 あまりにも不自然でどうみてもそれは人工的に作られている。もしかしたらと思い、私はその隣にもうひとつハートの形を作ってみた。
 やがてそれはまたひとつになって、大きなハートが出来上がった。やはりこれは誰かがここにいる。
 私は辺りを見回した。
「澤田君なの?」
 でもなんの反応もなかった。だけどきっと澤田君に違いない。
 同じようにこの場所で桜を見に来ている。ここで私たちがデートする約束をしたのだから、絶対そうに違いない。
 なぜだかわからないけど、今ここは澤田君のいる世界線と繋がっている。
 私は鞄からおにぎりをひとつ出し、ハートに型どられた桜の花びらの上に置いてみた。
 そして私は強く願う。この場所で澤田君と私がする予定だったことを。
 私たちはここでデートをして、一緒にお弁当を食べる。
 目を瞑って手を合わせて、祈るように強く念じた。
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