Side亜藍 前編 1
「シルヴプレ」
俺は麻木に手を合わせ、拝むようにフランス語でお願いと頼んでいた。
これで何度目だろう。
麻木は物静かで、俺と同じような匂いがする口数少ない大人しい男だ。
人から何かを頼まれたら断れない、そういうタイプだが、俺の頼みだけは消極的に嫌だと何度も誤魔化すように断っていた。
そこには麻木の妹を巻き込むという、人の手を使わないとできない事が絡んでいたからだった。
それは俺のことを好きだというフリをしてもらって、幼馴染の奈美にそのことを知らせてもらうという頼みだった。
奈美がどのような行動を取るのか俺は見てみたいのだ。
その背景に、俺は奈美のことが好きで、俺達はどうしても幼馴染の域から脱することが出来ないでいたからであった。
何か刺激を与えれば次に進むきっかけになるのではと思うと、麻木の妹にどうしても頼みたかった。
麻木は妹が協力してくれるかどうか分からないと理由を言ったが、実際は気の強い妹にお願いするのが苦手そうで、俺の頼みでもこれだけはちょっとできない
と力な
くいつも断られていた。
だが俺は麻木にしかこんなこと頼めなかった。他に頼める奴なんていないのだ。
麻木の協力が何としてでも必要で、俺も普段は消極的だが、この件に関しては引き下がらなかった。
この夏俺は日本を発つことを話し、その前にどうしても好きな女の子の気持ちを確かめたくて麻木の協力が不可欠だと力説する。
「麻木、頼む! 一生のお願い」
俺の必死な思いを目の前にすると、麻木は落ち着かずに迷いが生じていた。
麻木の表情はなんともいえない困った顔と、人には悪く思われたくない気を使う笑顔が混じっている。
麻木が押しに弱いということは知っているし、半分は助けてやりたいと思っている気持ちも伝わってくる。
だから俺も可能性は全くゼロではないと、しつこく何度でもお願いしてしまう。
麻木は人に嫌われることを恐れるところがあるので、はっきりと言えず断り方も曖昧な感じで、とにかく逃げようとしていた。
そこで俺にも妹が居ることを伝え、立場がわかると共感し、時々頭を下げにくいことも理解できるとしんみりと納得するフリをして、最後にポツリとお互い兄
として
ちょっと情けないよなと少し刺激的なことを加えてみた。
麻木も自分でそのように思うところがあったのか、特に最後の部分はピクリと耳が動いたように聞き捨てならない様子だった。
麻木も俺もひ弱な情けない部類に見える男だが、俺よりはましだと思ってる部分があるらしく突然麻木は情けない兄ではないと弁解をしてくる。
こうなると麻木を説得するいいチャンスになった。
「それなら、俺と違って妹に頼むくらいできるよな」
俺がさらりと言うと、麻木はまんまと乗せられてしまい「ああ、できるよ」と言い放った。
俺はその気持ちが変わらないように、何度も麻木を持ち上げ「やっぱり麻木はすごいな。俺なんかと全然違う」と囃し立てた。
麻木はすっかり気分を良くしていた。
女友達も居ず、男子校で女っ気が全くない環境では、俺の計画を実行するために他に頼める女性が全く居ないし、居たとしてもやはり直接自分から女性には頼
みにくいとも思う。
そんな時、麻木の妹が俺の住んでる町の学校に通っていると聞いて、これは好都合だと思ってしまった。
仲のいい麻木だからこういう頼みができるというものだった。
しかし俺もここまで必死になって頼み込むとも思わず、なりふり構わない自分の姿に少しびっくりしてしまう。
それだけ俺は奈美のことになると、自分の中から知らずとパワーが顔を覗かすというものがあった。
奈美が犬に襲われそうになったことがあったが、その時咄嗟に枝を持って戦おうとしたことも、すでにあの時から秘めたるパワーを持ち合わせていたのだろう
と今になって思う。
筆箱を落とされて虐められた後、転がった消しゴムを奈美が拾って初めて言葉を交わしたときから、俺は奈美にビビビと感じていたのかもしれない。
そこまで思い焦がれているというのに、こんなバカなこと仕掛けていいものだろうか。
そんな風に自問自答しても、はっきりと言葉でいえない俺は、卑怯だがこういう手でも使わないと次に進めなかった。
だから麻木にもう一度正式にお願いをしてみる。
麻木も俺にあんな態度を見せたので引き下がれないと思ったのか「ウイ」と首を縦に振った。
俺達が時々フランス語を交えて会話するのは、俺の通う学校が、中高一貫のフランス語で有名な男子校だからだった。
なぜこんな学校に通っているのか、それは俺の祖国が一応フランスって事になっていて、父親が半分フランス人で当然俺もフランス人の血を少なからずも少し
引いているために、親にここに入るのが当たり前と受験をさせられたからである。
帰国子女枠で受験をして、面接で発音が完璧なフランス語を話し、両親共にフランス語が堪能でもあり、家でもフランス語の環境が整ってると判断されたから
なんとか入れた気がする。
俺は正直こんな学校に入らなくてもよかった。
中学は地元の近所の学校に奈美ともう少し一緒に通いたかった。願わくば高校も同じ所へ行きたかった。
でも俺の国籍はフランスとなってるし、父からもいつかフランスに戻ると言い聞かされ、将来はフランス人として生きていけと思わされていた節が
あった。
顔はどこをどう見ても日本人なのに。
だけど白人の血が少し流れているために肌は色白で、日本人の色が濃く出ていても彫りはその辺の日本人よりかはメリハリはあるかもしれない。
眼鏡を掛けているから、良く見ないとそういうことは分かりにくいかもしれないが。
学校の帰り、駅へ向かう途中、麻木が俺の隣で携帯を掛けながら歩いている。
俺のお願いのために麻木はそれを実行しているところだった。
麻木は妹に事情を話している。
少し時間がかかっているのは、麻木の妹も嫌がっているということだろう。
だけど麻木自身引き下がれないところがあるし、困っている自分の友達のために頼むと麻木は必死で頼んでくれた。
普段あまり頼みごとをしてこない兄の行動に押されたのか、お陰で麻木の妹は説得に応じてくれた。
承諾はしたものの嫌々引き受けたので、それならこういう嫌な役はすぐに済ませたいと、本日実行しようと麻木の妹から提案してきたのを麻木が俺に知らせ
る。
俺は腕時計を見て、この時間なら奈美と駅で会えるかもしれないと好都合だと首を縦に二三度振った。
俺達は早速一芝居を打つ舞台となる駅で、今から落ち合う約束をしてそこに急いだ。