第四章
2
「昨日、ジョーイさんのこと恵まれているって言ったけど、ジョーイさんのお母さん白人でしょ。そっちの血が入ると私のような東南アジア系より日本人に好まれるよね。それにバイリンガルで、どっちの言葉も話せるし、憧れの対象だよ」
これが前日リルが見せた態度の元凶だった。
道理でコンプレックスを感じていた訳だとジョーイは納得していた。
「あのさ、俺の場合は、母親が日本人なんだ」
「あれ、でも桐生さんって苗字…… 」
「母親の姓だ。うちは離婚したんだ。今のところ二重国籍だから国籍選ぶまでどっちの姓も名乗れるけど、母親の戸籍に入ってるから日本に住んでる以上、日本語の姓の方が便利でね。でもアメリカのパスポートは親父の姓になってる」
「そっか。ジョーイさんも色々とあるんだ」
「名前なんかどっちでもいいよ。リルの苗字のアスカだって結局は自分の名前に間違いないだろ。だったら嫌いになるな。ところで、さっきの事故の話だけど」
ジョーイが話を戻そうとしたときだった、微かに啜り泣きが聞こえてきた。
よく見るとリルが涙ぐんでいる。
「おい、なんで泣いてるんだ」
「だって、ジョーイさん、あの時のお兄ちゃんみたいなんだもん。お兄ちゃんも私が自分の顔が嫌いだっていったら、自分のこと嫌いになるなって、怒ってくれた。それでつい思い出しちゃって。あの時のお兄ちゃんがジョーイさんと重なる」
ジョーイは黙り込んだ。
ぐっと歯を噛みしめ力を入れる。
心の中で何をやってるんだと戒めているようだった。
それは自分の過去の記憶と重なるところを見つけて、また無意識にリルのことを自分の記憶の中のアスカではないかと一瞬でも思ってしまったからだった。
だが、すでにリルが目の前で辛い思い出の中の”お兄ちゃん”を現在のジョーイに重ねて見ている姿を見ると、やるせなくなった。
状況が似てようと、ジョーイがリルの知ってるお兄ちゃんではないように、リルもジョーイの知っているアスカではない。
ジョーイは突然ぐっと意識して背筋を伸ばし、前を向いてしっかりと歩く。
いい加減、過去の話に翻弄されるべきではないと自分に言い聞かせているようだった。
リルはジョーイとは反対方面の電車に先に乗っていった。
電車の扉の窓から、向かいのホームにいるジョーイに向かって手を振っていた。
その時、外から窓に入り込んだ光の屈折なのか彼女がうっすらと微笑んでいたように見えた。
いや、実際に微笑んでいたに違いないとジョーイはそう思うことにした。
そして応えるように指が伸びきってない手のひらをちらっと一度見せてやった。
リルが乗った電車はゆっくりと動き、次第に駅のホームを去っていった。
電車を待つ暫くの間、ジョーイはホームに同じ制服を来た学生たちをウォッチングする。
音楽を聴く者、本を読む者、ぼーっとただ立っている者、友達と楽しく会話をしている者、それからいちゃついているカップルたち。
これが高校生活の日常の一コマ。
(俺は周りからどう見られているのだろう)
ふと自分のことを気にしてみた。
そう思うようになったのも、リルという自分によく似た人間を見たからだろうか。
トラウマとコンプレックスを抱いた笑わない少女。
見ていて痛々しく思ったのも事実だった。
自分のことを少しだけ気にするようになれたのも、アスカの記憶に拘るなと自覚した第一歩なのかもしれない。
今度のカウンセリングで早川真須美が自分の変化に少しでも気がつくだろうか。
そう思うのも不思議だったが、明らかにジョーイの中で何かが違ってきたように思えた。
我に返ったとき、ジョーイは流れの速い人ごみの中で、障害物になっていた。
ひっきりなしにすれ違う人々に圧倒され、自分を見失い放心状態になっていた。
「ジョーイ!」
名前を呼ばれ、今度は自分が後ろから肩を叩かれる。
そして振り向けば、詩織が、目を細めて微笑んでいた。。
「こんなところに突っ立って何をしてるの。あっ、もしかして私を待っててくれたとか」
「そ、そんなんじゃない」
「あっ、ほらほら、あそこ見てごらん。改札口の向こう側。あそこからジョーイのこと見てる女の子たちがいるでしょ。あの子達、あなたのファンクラブの子よ」
「えっ?」
改札口を出たところ、端の方で女生徒達がジョーイを見ていた。
詩織がジョーイの腕を上に取り左右に振ると、彼女たちは飛び上がってキャーと露骨な態度を取っていた。
「おい、何すんだよ」
捉まれていた自分の腕を振り解いた。
「これで分かったでしょ。ファンクラブの存在」
「そんなことどうでもいいよ」
ジョーイは不機嫌な顔を露骨に見せた。
「また怒らしちゃったかな」
詩織はそれでも懲りずに笑っていた。
こいつも変な奴だとジョーイは眉間を寄せて視線をぶつける。
「ちょっと、詩織!」
また新たな登場人物がやってきた。
「急に走って行くから、びっくりするじゃない」
「ごめん、つい愛しの王子さまを見つけちゃって。それがこの人」
両肩を掴まれてジョーイは詩織に押し出された。
全く知らない女性が、顔を突き出してジョーイを上から下まで吟味してじろじろ見つめる。
「えー、この人が詩織の彼なの?」
「違う!」
ジョーイは強く否定し、礼儀もわきまえずにさっさとその場を去った。
その態度は相手を嫌な気持ちにさせた。
「ちょっとジョーイ。ごめん、瑞菜。先に帰ってて。ほんとごめんね」
詩織が手を合わせ謝罪をする姿を不満げな顔つきで見下ろすが、渋々受け入れ、瑞菜と呼ばれた女生徒は帰っていった。
ジョーイを追いかけ、詩織は彼の腕を力が入り過ぎるくらいにむぎゅっと掴んだ。
「痛いだろ。お前とかかわると必ずイラつく」
「それ、酷くない? 私たち友達でしょ。冗談くらい言ってもいいじゃない。これって気を使わないで付き合える理想の関係だよ」
ジョーイは詩織の手をはたき、一息いれて間を置くと、詩織に面と向かった。
「あのさ、なんで俺なんだ。詩織のことを思ってる男は他にいるだろう」
「でも私が思いを寄せるのはジョーイなんだもん。それに……」
詩織は言葉に詰まってしまう。
ざわざわと駅の中のうるさい音が急に耳につく。
「なんだよ、急に黙り込んで。用がないのなら俺帰るから」
詩織の目が水面のようにせせらぎ、水気をたっぷりと含んでいく。
リルの時もそうだったが、どうしてこういう展開になるのかジョーイは頭を抱えてしまった。
しかし、詩織の涙の中に複雑な心境が含まれているのが見える。
この状況ではその涙の訳を聞くのが筋だと、ため息を一つついて観念し、詩織を見つめた。