第六章
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「今どこにいるの?」
キノは辺りを見回しながら電話の対応をする。
改札口付近のところで、背の高い男が周辺の人々に紛れ、携帯を耳にあてキノをじっと見ていたのに気がついた。
キノはその存在を認めたくないように視線を逸らして背中を向けた。
精一杯の抵抗だった。
「ずっとつけてたのね。さすがねノア」
「キノ、お前らしくない。これくらいの尾行にも気づいてないとは、よほど油断していたな」
「本当はノアがどこかで見てたくらい分かってた。でもそれを忘れたかっただけ」
「キノ、これ以上ジョーイに近づくのは危険だ。何をやってるのか分かってるのか」
「分かってるわ」
「だったらなぜ?」
「ノア、ごめん。もう少しだけ普通の高校生でいさせて」
「だめだ、そろそろ帰らないとFBIが活発に動き出した。学校にもその手がすでに回っているかもしれない。それに、このままではジョーイも真相に気がつくのも時間の問題だ。それだけは避けたいことだろ」
「でも、私……」
「いい加減にしろ、キノ。そこまで頑固なら俺も手を打つぞ。それでお前は悲しむことになるかもしれない」
「ノア、どうしてそこまでしなくっちゃいけないの?」
「それは、キノとそしてジョーイを守るためじゃないか」
キノの肩に優しく手が置かれた。ノアがいつの間にか側までやってきていた。
ノアは電話を耳から外し、キノを見つめて穏やかな笑顔を見せた。
「さあ、帰ろうか。ツクモが待ってる」
二人は一緒に歩く。
キノは俯き落胆し、虚ろな目でとぼとぼと足を動かしていた。
ジョーイとミステリーの本について夢中で話したことを思い出し、ぐっと高鳴る胸の思いを押さえるように、胸元のシャツをぎゅっと掴んでいた。
キノとジョーイが急激に接近したことで、不穏な影が忍び込んできた。
そうとも知らずに、ジョーイはキノと近づけたことを良い兆しとして喜んでいる。
「明日は午後から野球の試合か。カウンセリングが朝からだから、充分間に合う。でも俺カウンセリングなんか行かなくてもなんか変わっちまった気分だ」
自分の部屋でベッドの上にごろりと横になりながら、ジョーイはキノのことを考える。
女の子の前で愛想笑いすらしない自分が、自然と心から笑ったことにキノの存在の意味を求めていた。
詩織がキノの世話を焼きかわいがっていたのも、妹と重ね合わせていたに違いないと思うと、自分もキノをアスカに見立てていいように思い込んでいた。
詩織は少し入り込みすぎて度が過ぎていたが、表に出さなかっただけでジョーイも詩織と全く同じ事をしていると認めざるを得ない。
「しかしこれでいいのだろうか」
ジョーイの意識がぼやけていく。うつらうつらと睡魔がやってきてそのまま昼寝をしてしまった。
夕方目が覚めると、辺りはすっかり暗かった。
「あっ、夕飯の支度」
主婦かというくらいすっかり炊事の癖が身について、台所に下りていく。
時計を見れば6時過ぎだった。
「トニーのやつまだ帰ってこないんだな」
朝、トニーと仲違いし、このときになって少し反省の念が出てくる。
トニーはここでは居候の身。それが全く自由じゃないということなのだろうか。
トニーが言った言葉の意味を考えれば、世話になってる身分はどうしてもその家の者に従わねばならないということなのだろう。
さらに人とどこか違う気難しい自分という存在を目の前にして、気を遣う事に、いい加減我慢の限界だったのかもしれない。
比較的心身が安定してたせいもあったが、心に余裕ができると、突然罪悪感が襲ってきてしまった。
はっきりと喧嘩した訳ではないが中途半端なすれ違いが気掛かりとなり、ジョーイは料理中、何度も時計を見てはトニーの帰りを待っていた。
テーブルに夕飯を並べるとジョーイは自信たっぷりに頷いた。
揚げたてのから揚げが湯気を出している。
これならトニーも気に入って笑顔になるかもしれない。その時ジョーイはさりげなく謝ろうと思った。
玄関のドアが開く気配がすると、ジョーイは思わず出迎えに向かった。
できるだけいつもと変わらないように接しようとした。
「トニー、遅かったんだな」
トニーは靴を脱いでるところだった。
ジョーイの顔も見ず「ああ」と疲れた声を出していた。どこかまだいつもと違っている。
「ご飯できてるよ」
ジョーイはこれで喜ぶと思っていた。
「ごめん、いらない。外で食べてきた」
「えっ? だったら連絡ぐらいしろよ」
「すまなかった。ちょっと疲れたから今日はもう寝る」
トニーはジョーイの顔を碌に見もせず階段を上がっていった。
「おい、トニー」
ジョーイの呼びかけにも答えなかった。
暫くしてバタンとドアが閉まる音が聞こえ、ジョーイの心の中にまで響き渡った。
「ちぇっ、なんだよ」
ジョーイは不完全燃焼でヤキモキしたが、自業自得だとばかりに首をうな垂れて台所に戻った。
そしてテーブルにつき、から揚げの山を見つめ、ため息を一つこぼした。
虚しく「いただきます」と小さく呟いて、もそもそと一人で食べだした。