第八章
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ドアの前でアレクがキャムを抱きかかえるのを見て、ジッロとマイキーは完全に嘆いていた。
そして抱きかかえられたキャムは男と一緒に白い四角い家の中へ入っていった。
「一体何が起ころうとしてんだよ」
ジッロが血迷って強くマイキーの腕を引っ張っている。
「ジッロ、痛いって。俺にもわかるわけないじゃないか」
二人はとにかくドアの前へと向かった。
キャムとアレクが家の中に入ると、ふくよかなおばさんが出てきた。
このアパートの管理人のようだった。
「アレクじゃないか。えらく可愛い子連れてるね。で、何の用だい? まさか今夜部屋貸してっていうんじゃないだろうね」
「本当はそうしたいところだけど、そうじゃないんだ。今ここに長老と男が来ただろ。どこの部屋だ」
「その奥の一番右だけど」
アレクはそこへ行こうとすると、おばさんが止めた。
「今、立て込んでるみたいだから、やめた方がいいよ。爺さん、なんか偉く張り切っててさ、楽しそうにしてるから暫く放ってあげなよ」
キャムはなんだか泣けてきた。
泣き上戸も入っているのかもしれない。
アレクの首筋に手を回し、抱きついてさめざめしてしまう。
「その子一体どうしたの?」
「ちょっと訳ありでね。とにかく邪魔するよ」
おばさんは止めることもできず、アレクはさめざめと泣いているキャムを抱えて長老の部屋に向かった。
ドア越しからクレートの声が聞こえた。
「ちょっと、それは舐めすぎではないかと、あっ、あっ」
「なんかもうハードプレイが始まってる感じだね」
キャムはなんだか無性に悲しくなって「あーん」と泣いてしまった。
そのとき、騒ぎを聞いてドアが開き、老人が出てきた。
「アレクじゃないか。一体そこで何してるんじゃ。あれ、その子は…… まあとにかく入れ」
アレクが足を踏み入れると、クレートが床に横たわって喘いでいるのが目に入った。
「あらま、これは派手なご様子で。キャムほら、見てごらん」
キャムは恐る恐る顔を上げて前を見た。
そこにはクレートが押し倒されて、困っている姿があった。
しかし、押し倒しているのはどでかいムクムクした犬だった。
前足で押さえられ顔中を舐められている。
「じいさん、この犬をちょっとなんとかしてくれないか」
「だけど、あんたが犬を見たいからって、言ったんじゃないか。まあ、遠慮せずに楽しんでくれ」
「しかし、この犬は、ああー」
ペチャペチャと顔を嘗め回され、クレートも完全に犬に負けてしまって、されるがままになっていた。
それを見ていると、なんだか悲しいようで笑えるようで、キャムは泣き笑いになっていた。
「あーん、クレートが、クレートが」
もう酔いが回りきって、キャム自身泥酔状態になっていた。
「キャム、一体どうしたっていうんだ。何があったんだ。うわぁ」
犬に惚れこまれて、中々体制が整えられないまま、キャムを心配するも、全くの形無しだった。
キャムもどんどん体の力が抜けてきて、最後には睡魔に襲われ、アレクに抱きかかえられるまま寝てしまった。
「あーあ。無防備に寝ちゃったよ、この子」
「アレクとか言ったな、すまないが、この状況を説明してくれないか」
「説明も何もあんたが鈍感なのが悪い。こんな可愛い子を苦しめるなんて」
「何のことだ」
「話が分かる私だったから、よかったものの、こういう子は放っておくと、暴走しやすいから、しっかり面倒見てやるんだな。なんかあんたに腹が立ってくるよ」
アレクは口笛をシャープに吹いた。
その合図で犬がクレートから離れ、床に座り込んだ。
やっと解放されたクレートは身を起こし立ち上がると、アレクが近づいて寝こんでしまったキャムをクレートに押し付けた。
「ほら、しっかり抱いてやれよ」
戸惑いながらもクレートはキャムを抱え込む。
キャムはそんなことも知らずに、眠り惚けている。
白い肌がほんのりとピンクに染まっているさまは、桃のようなイメージだった。
クレートは大切に抱きかかえながら、その部屋を後にしようとした。
「クレート、さっきの話の続きだが、月には本当に届けてもらえるんだな」
「ああ、もちろんだ。明日、ポートまでそれを持ってきて欲しい。それと申請書もだ。月への輸送は厳しいだけに手続きが面倒だが、必ず配達する」
老人は、抜けた歯を見せて笑っていた。
どうやら、ここへは商談で訪れていたらしい。
犬も居ると聞いて、ついでに見せてもらったが、あまりにの人懐こさで押し倒されて愛情表現を過度に受けてしまった。
そこへ、勘違いしたキャムと、そのまた上を行く勘違いしたアレクが、勘違いの末に結束して殴り込みをかけただけだが、キャムが酔っ払って寝込んでしまって、訳が分からないまま終わってしまった。
そして、外に出れば、まだ勘違いしているジッロとマイキーがいた。
「あれっ? クレートじゃないか。えっ、キャムは一体どうしたんだ」
「ジッロ、マイキー、お前たちもここで何をしている?」
二人は困惑しきって「さあ」と首を傾げる。
クレートがキャムを抱きかかえて建物から出てきた事で、あの男ではなかっただけでも安心した。
この日はとても不思議な夜だった。
振舞われたお酒に人々の欲望が絡み合い、わけの分からない世界へ引きずり込まれたそんな気分だった。
夜の暗さはまるで、まやかしのように人々の心の隙間に入り込み、寂しさと虚しさを運んでくるようだった。
まだ広場では仄かに照らされた明かりに人が群がって、今宵を楽しんでいる。
それを遠目に見ながら、三人は歩き出した。
「星ぐらい見えればいいのにな」
マイキーがコロニーの天井の部分を仰ぐ。
「何言ってんだよ、四六時中、嫌になるくらい星と一緒に過ごしてるのに」
ジッロが馬鹿にした。
「いつかネオアースから空を見てみたいものだ。どんな見え方をするのだろう」
クレートは抱きかかえているキャムを見つめた。
安心しきった寝顔が何かを主張しているように思えた。
そのとき、クレートは知らずと微笑んでいた。