第九章


「ジッロ、マイキー、ちょっとここで待っててもらえますか。すぐ戻ってきます」
 キャムがそういうや否や、さっと走っていってしまった。
「おい、キャム、どうしたんだよ」
 ジッロが声を掛けるも、キャムは振り向かずに行ってしまった。
「もしかしたらトイレかもよ。ほら、表示が出てる」
 自然現象なら仕方がないと、二人は近くにあったベンチに座り、辺りの草花を見ていた。
 どこからともなくひらひらと蝶が飛んでくる。
 マイキーはそれを目で追っていた。
「なんかさ、宇宙でいつも暮らしてるから、こんな自然が一杯あるところにくると違和感覚えてしまう。こっちがネオアースに近い姿だというのに」
「宇宙に居ると感覚が麻痺するんだろうな。俺だって自分がゲイだなんて思わなかったぜ。正直、まだ抵抗あるけど」
「でも、俺たちキャムが好きなんだよな。あいつほんとにかわいいよな」
「ほんとにそうだよな」
「でもさ、どうやって寝たらいいんだろう」
「おい、マイキー、また下ネタか」
「だってさ、寝るときってやっぱ三人一緒?」
「えっー」
 ジッロはマイキーと顔を合わせ、そしてうぇっとなっていた。

 キャムはロビンとカナリーを見たと思い、それを確かめるために追いかけた。
 二人は作業着を来て掃除用具を持っていたようにみえた。
 目の錯覚かもしれないが、売り飛ばされるという話を聞いていただけに無視できなかった。
 セカンドアースで大きかったネゴット社はボルト社に買収され、その引継ぎの混乱の中、二人が誘拐される可能性が大いにある。
 どこに行ったのか、辺りを探して、そして関係者立ち入り禁止と表示された場所に二人が入って行くのが見えた。
 キャムは迷わずそこへ掛けて行った。
 二人はすでに中へ入ってしまい、締まりかけていたドアの隙間に手を突っ込むと、また大きくドアがあいた。
 尽かさず中に入り込み、真っ直ぐ見据えた。
 そこは植物園とは違う、事務的で、シンプルに真っ白い通路が続いている。
 そして男女の二人がバケツやモップを持って歩いていた。
「もしかして、ロビンとカナリー?」
 静かだけに、キャムの声はシャープに響いた。
 二人が振り返り、そして目を見開いて「キャム!」と声が返って来た。
 どちらも走りより、再会を喜び合うも、その後は怪訝な表情になっていた。
「どうして二人はここに居るの?」
「キャムだってここで何してるんだよ」
「僕は仕事で来たんだ」
「へぇ、月まで仕事でくるなんてすごいね。キャムはとてもいい仲間に恵まれてるんだ。いいな」
 ロビンは羨ましそうに不公平さを感じながら、手前上、無理して笑顔を作っていた。
「あたいたちは、やっぱり摑まってさ、ここに売られてきたんだ。でも、月に来れたのはまだましだったかも。ここは金持ち相手だから、少しは楽。チッキィも一緒に来れるとよかったんだけど」
「あ、あの、チッキィのことだけどさ」
 キャムは伝えようと言葉を選んでいると、ロビンが続けた。
「ああ、知ってるよ。その話聞いたから」
 キャムは下を向いていた。
 暫く沈黙が流れ、皆辛そうにしているとき、キャムはベルトについたミニバッグから鳥笛を出した。
 つまみを回して鳥の囀る音を出して言った。
「チッキィは鳥のように自由に空が飛べるようになったんだよね」
 その音は、少しだけ慰めになってくれた。
「キャムは気にしなくていいから。これはあたい達の問題だから」
「でも……」
「それよりも早くここから出た方がいいよ。あいつもここにいるから」
「あいつ?」
 そのとき乱杭歯男の顔を思い出し、はっとした。
「あの男も月に居るの?」
「うん、なんか出世したみたいで。変にスーツ着てさ、マネージャ気取りでえらっそうにしてるよ」
「えらっそうにしてて悪かったな」
 そのとき突き当たりの角から、乱杭歯男が現れた。
 それを見るやキャムの顔色が青くなった。
「おっ、お前はあの時の小僧。ここであったがなんとやら。これは大収穫だ」
「キャム、逃げて」
 カナリーが乱杭歯男の足を掴み、ロビンが腕を取った。
「キャム何してんだ、早く行け。俺たちのことは構うな」
 キャムはぐっと堪えて走り出した。
「あっ、ちょっと待て! お前ら、離せ」
 乱杭歯男は容赦なく二人を蹴散らし、二人は壁や床に体を打ちつけていた。
 後から激しく靴音が鳴り響いて近づいてくる。
 恐怖心で一杯になりながら、夢中でドアに手を伸ばし、ドアの開閉のボタンを押したときだった。
 ドアがゆっくりと開いて、すぐ出られるというとき、首根っこをがっしりとつかまれてしまった。
 足だけはすでに外に出ていたのに、引っ張り込まれてしまう。
「ジッロ! マイキー! 助けて」
 と大きな声で呼ぶも、すぐにドアは閉まって、乱杭歯男のかすれたいやらしい笑い声が背後から聞こえてきた。
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