第一章 

10
 ゴールデンウィーク前半の休みが終わって学校に行くと、明穂を取り囲みアズミと真鈴と理央の態度が一層親しくなっていた。
「あっ、ナル、おはよう」
 私に気がついた明穂が当然のように私をそこへ呼び込む。
 何か支配されている気分になってくる。
 挨拶をしながら近づき、一応先日の礼を言った。
「ううん、こっちこそ来てくれてありがとう。また遊びに来てね」
 明穂の明るさが私にはまぶしい。
 返事をする代わりに愛想笑い程度に返しておいた。
 あの時は楽しかったと繰り返して思い出を語って受けているその四人の姿は、見ていて不快になってくる。
「私、ちょっとやることあるから」
 理由をつけて自分の席に行った。
 ため息をついて席に座ると、隣の席の菅井が私に振り返り話しかけてきた。
「お前、かなりこの高校で生きにくそうにしてるな」
「はっ? なんでそんな事いうのよ。あんたに関係ないでしょ」
 鞄の中から筆記用具を出していると、菅井はまた話しかけてくる。
「まだ受験を失敗したこと引きずってるのか?」
 思わず強く振り返ってしまった。私の驚いた顔を見て菅井は薄く笑った。
「やっぱりな」
「菅井君には関係ないでしょ」
「まあな、俺には関係ないけどさ、お前が反面教師になってくれたお陰でこっちは吹っ切れたよ」
「ちょっと、反面教師って何よそれ」
「俺も、お前と同じだったからだ。お前も二次募集でここ入ってきただろ。俺もさ。再試験の時、俺、お前の後ろにいたじゃないか」
「そんなの覚えてないわよ」
「俺もかなりショックでさ、落ち込んでたわけ。でもさ、お前見てたら吹っ切れてさ、それでクラスで一番楽しそうな奴と友達になって一緒に馬鹿騒ぎしようって思った」
 高遠のことだ。
 通りでノリが良すぎると思った。
「あいつ見かけはあんなんだけど、いい奴だ。俺の心情も分かってくれて俺にも合わせてくれる。その代わり、宿題見せろよとかいわれるけどな。ここは持ちつ持たれつだ。それにああいう奴といると、絶対虐めに合わないからな」
「だから、私にも『敵に回すな』っていったのね」
「ああ、木暮さん見てたらさ、みんなから虐められそうって思ってね」
「ふん、余計なお世話よ」
 その時、高遠が教室に入ってきてすぐさま菅井のところにやってくる。
「よお、なんかふたり仲いいじゃないか。俺妬けるぞ。いいか、菅井を好きになるなよ、こいつは俺のもんだ」
 受けを狙っておどける高遠。
 釘を差されるように指を向けられた。
「なるわけないでしょ」
 勝手にしろ。
「やっぱり、木暮は俺に惚れてるか」
 高遠は髪の毛を手ですくって書き分けポーズを作る。
 朝からこのテンションに辟易してしまった。
 私がむすっとしている顔を見て、菅井は鼻で笑っている。
 どっちにもむかついた。
 だけど、菅井が言った事は間違ってないように思え、それが益々私の気分を害していくから悔しかった。
 菅井が隣の席なだけで、高遠は寄って来るし、一度話をすればふたりと私の間に壁はなかった。
 休み時間、そのまま席についているとノリのいい高遠が私に話を振ってくる。
 明穂の事を良く知った後では、私は彼女の側にいくのが憚られて避けてしまう。
 ちょうどそんな時に高遠と菅井と話をするのは助かった。
 でもお昼休みお弁当を食べるときになると、どうしてもグループの中に入ってしまう。
 いつものようにみんなの中で食べていると、アズミの態度がいやにつっけんどんに感じた。
 休みの日にみんなで集まったことで仲間の内の結束が高まっている。
 それなのに私はそれに反しているのが気に食わないのと、そこにアズミがひそかに恋している高遠が関係していることも拍車をかけていた。
「ナルってさ、なんか急に態度おかしいよね」
 アズミが私の事をニックネームで呼び出した。
 あの時の集まりが親睦を深めて遠慮がなくなってしまった。
「どういう意味?」
 もちろんおかしくなっている。
 それは明穂が私に色々と見せ付けたからだ。
 まだ日が浅く、私は自分の感情がコントロールできないでいる。
 もう少し時間が欲しい。
 ゴールデンウィーク後半が終わった頃に少しは薄れているはずだ。
 私にだって事情というものがある。
 なんだか同じ言葉を聞いたと小渕司のことも思い出し、いやな気持ちが蘇る。
 またあの時抱いた情けない感情がぶりかえってきた。
「ナルが私たちと一緒のグループになれたのは明穂のお陰でしょ。人を寄せ付けないオーラ漂わせてさ、それなのに明穂が仲良くしようって言ったから一緒にいるんだよ」
「ちょっとアズミ」
 明穂は嗜める。
 アズミも不満が溜まっているのだろう。
 私が高遠と仲良くなったように見えて嫉妬している。
 その気持ちはわからないではないけども、やっぱり許せるほどアズミのことは好きではないから腹が立つ。
「別に無理して仲良くしてもらわなくてもいいよ」
「なにそれ」
 売り言葉に買い言葉。アズミはどんどん喧嘩腰になってきた。
「ちょっとふたりともやめなよ」
「そうだよ」
 真鈴と理央がいい子ぶったように注意する。
 このふたりはあのクッキー作りの一件から明穂を慕いだしている。
 アズミはそれも気に入らないようで、怒りの矛先が私に向いてきた。
「明穂から訊いたけど、受験に失敗して二次募集でここに来たんだってね。それが気に入らなくて誰とも友達になろうとしなかったんでしょ」
 私は明穂を咄嗟に見てしまう。
 明穂はあたふたとしていて言葉を失っていた。
 やっぱり明穂は私を貶めようと裏で糸を引いていた。
「アズミ、何もそこまで言うことないでしょ。私、そんな風に言ってないよ。ただナルは……」
「もういいよ、やめて」
 私は食べかけていたお弁当の蓋を閉め、片付け始めた。
「明穂はどこかで私のこと嫌ってたんでしょ。だって私、中学の時明穂の事馬鹿にしてたもんね」
「そんなことないよ。ナル、一体何をいうの」
「もういい。無理に付き合わなくても。今までみんな無理してくれてありがとう。これですっとした」
 私はその場から立ち上がり、潔く去っていく。
 明穂が私を追いかけようとしたけど、真鈴と理央が押さえている。
 アズミは不機嫌に自分のお弁当をむしゃむしゃと荒っぽく食べていた。
 アズミの気の強いところはずっと苦手だったけど、はっきりと自分の黒い感情を面と向かって吐き出せるのは羨ましい。
 私はずっと溜め込んで一人で悶々としてばかりだった。
 少しずつ溜まった不満が予想もしてなかったことで爆発する。
 あんなに仲良く一緒にクッキーを作ったと思ったら、それが却って思わぬ原因を生み出してしまう。
 人間の感情ってどこで化学反応を起こすかわからないものだ。
 見掛けはよくても、思わぬところで落とし穴があり全てが上手くいくとは限らない。
 努力しても適わないものもあり、一つ負を背負ってしまうと抜け出せなくて連鎖反応を起こしてしまう。
 高校受験さえ失敗してなければ――。
 飛翔国際高校に受かっていたらどんな世界があったのだろう。
 こんな風に惨めにならずにすんだことだろう。
 だけども、小渕司は満足してなさそうだった。
 それもそのはず、サッカーができるだけで高校に受かって、そして怪我をしてしまったのだから後ろめたいに違いない。
 そこを刺激したからあんなに怒ってしまったのだ。今私がアズミに言われたのと同じように。

 休み時間中教室を離れ、午後の授業が始まる直前に戻ってくる。
 教室に入ってきた私を見て、明穂は何か言いたそうにしていたけど、私は無視をした。
 席について机から教科書を出している時、菅井が話しかけてきた。
「とうとうぼっちになったみたいだな」
「放っておいてよ」
 まるでストーカーのように菅井は私を観察しているようだ。
「先日さ、和田って奴、高遠に告ったらしいぜ。でも高遠は興味なくて断ったんだ。あいつ、自分から惚れない相手には手を出さないやつなんだ。それにかなりの巨乳好きだから、普通の高校生では厳しいと思う」
「聞きたくないわよ、そんな話」
「高遠が女子と話すといつも和田って見てるだろ」
 あんたも私を見てるだろうが。
「まあ、そういうことだから、すぐに誤解が解けるって」
「ちょっと待って、それって私が巨乳じゃないから、恋愛対象になってなくて彼女も納得するって意味?」
「そうそう。女の嫉妬は怖いからな。しかも勘違いや思い込みで益々酷くなる」
 私はドキッとしてしまった。その通りだ。
「だけど、男の嫉妬も怖いものさ。そういえば、飛翔国際高校のサッカー部の一年の選手さ、先輩を差し置いてレギュラーになったもんだから、嫉妬されて足を潰されたって噂だぜ」
 思わず小渕司が頭に浮かぶ。
「それどこから聞いたの?」
「友達がその学校に通ってるからさ。この間の休みの時に会って、そういう話を聞いたんだ」
「もしかして、その選手って小渕司?」
「そんな名前だったな。中学の時、地区大会で優勝したとかいうレベルらしい」
 小渕司に間違いない。
 私は急に背中に寒いものを感じ、震えてしまう。
『人それぞれ事情というものがある。勝手に自分の中だけで決め付けるな』
 彼がいった言葉が頭の中でリフレインする。
 彼は苦しんでいた。
 サッカーするために入った高校で足を怪我させられていた事実を知った今、私は小渕司に申し訳なくなってしまう。
 せめて私が取った無礼だけでも謝りたくなってしまう。
 嫉妬は人を狂わせる。
 その気持ちに捉われたらどうしようもない。
 でも何かが私の中で音を立てて割れたような気がした。
 そのとたん、気が遠くなり私は暗闇の中に落ちていく。
 どこまでも底の見えないずっと深い得体の知れない空間だった。
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