第二章
8
今週末からゴールデンウィークが始まるというとき、私はクラブ活動と勉強の両立にすでに疲れきっていた。
クラスでは千春に攻撃され、クラブでは小渕司と仲がいい思われて他のマネージャーたちとぎくしゃくし、挙句にミッシェルと廊下で会って軽く挨拶すればつれない態度を取られてしまう。
ミッシェルと一緒にひとつ屋根の下で過ごしているのにまるで赤の他人だった。
「最近、疲れた顔をしているね」
部活中に小渕司にタオルを渡せば、私を気遣ってくれる。
「小渕君は調子どう?」
「僕は、別に…… 普通だけど?」
「最近、先輩からいやなことされたとかない?」
辺りを確かめながら小声になっていた。
「えっ? いや、な、ないけど。どうしたの?」
「それならいいんだけど」
小渕司は先輩に呼ばれ、私にタオルを投げて走っていく。
高校生になってからの小渕司はあどけなさが抜けてかっこよさに拍車が掛かっている様子だった。
憧れている女の子はいっぱいいる。
そういう人たちは私とすれ違うとちょっときつい顔を向けてくるのですぐに分かる。
そういえば、小渕司はミッシェルと仲良くなるはずだが、私が見る限り全然接点がない。
一度目はどうやってあそこまで仲良くなったんだろうか。
まだこの時は小渕司の足は怪我してなかった。
小渕司を憎んでそうな先輩たちを探していたけど、私が見る限り可愛がられているように見える。
私がマネージャーになったことでまた新たな世界軸ができてしまったのだろうか。
そんなとき、私はサッカー部の顧問の唐沢先生に呼ばれてしまった。
「木暮、ちょっと来い」
運動場で選手たちがボールを追いかけている。
邪魔にならない隅に連れてこられ、遠くから女子マネージャーたちが私を見ていた。
「お前、小渕に構いすぎだ。少し放っておけ。小渕もやりにくそうだぞ」
「えっ、小渕君が言ったんですか?」
「いや、他のマネージャーたちから聞いた。小渕が木暮に直接言いにくかったのだろう」
私はただ小渕司を守りたくてつい過剰に側に居過ぎた。
小渕司は嫌がってたのだろうか。
「すみません。気をつけます」
素直に謝ると、唐沢先生はそれ以上何も言わず去っていく。
私はとぼとぼと肩を落として歩いていると、二年生のマネージャー、名倉麻美が側に寄って来た。
「ちょっといい?」
声をかけられ名倉先輩と向き合う。
「先生からも言われたと思うけど、あなた小渕君にちょっと構いすぎよ」
「はい、すみません」
「小渕君、あなたの前では毅然に振舞ってるけど、何か悩みがありそうに時々隠れてため息を吐いてるわ」
私は驚いてしまった。
「でも必死に頑張ろうと無理をしている。あれではいつか壊れてしまいそう。あなたちゃんと気がついていた?」
私は首を横に振る。
「やっぱりね。あなたも張り切ってるのはわかるわ。だけどもっと周りの事を見ないと。あなたの小渕君だけを構うやり方は他のマネージャーにも悪影響を与えるわ」
「はい、気をつけます」
「それから、あなた、ミッシェルと一緒に住んでいるでしょ」
「えっ?」
「ミッシェルとは同じクラスなの。彼女、ちょっとホームシックな様子で日本の生活が楽しくないんだって」
ミッシェルが日本での滞在を楽しんでいない。
ショックだった。
「気分転換でサッカー部に遊びに来てってミッシェルを誘ったら、あなたがいるからって遠慮したの。だから何かあるのかなって思った。あなたの家庭のことにまで口出しするのは場違いだと思ってるけど……」
名倉先輩は面倒見のいい先輩だ。
決して感情的にならずに、困っている人の立場から話をしてくる。
言葉を慎重に選んでいた。
「気に障ったらごめんなさい。少し猪突猛進になってるみたいだから、少しだけ周りの事をみてほしかったの」
「いえ、そんな。先輩はミッシェルと仲がいいんですか?」
「ええ、いい友達よ」
「そうですか」
私はことのとき、自分なりに考えてみた。
例のなかったことになった世界のことだ。
名倉先輩はミッシェルをサッカー部に連れてきて、そこで小渕司と接点が生まれたに違いない。
その時のミッシェルは明穂と暮らしてたことで何もかもが楽しく思い、何かに悩んでいる小渕司を知って元気つけようとした。
自分がホームシックを克服したのは明穂のお陰だと話してた可能性もある。
そこで明穂と小渕司が同じ中学だと知って明穂なら元気付けられると思って、あのお菓子作りの日に招待したと考えたらどうだろうか。
もっと他にもいろんな可能性があるだろうが、とにかくあの世界で小渕司とミッシェルを結びつけたのはこの名倉先輩だと私は強く確信した。
私がサッカー部のマネージャになったために、ミッシェルがここに来る事を拒んだ。
だから小渕司との接点がなくなってしまった。
ミッシェルが避けているのもショックだが、色々と私のせいでよかった部分が悪化していることが悲しくなってくる。
だけど小渕司が悩んでいることは一体なんだろう。
私の目から見ればまじめにボールを追いかけている。
その姿は誰よりも一生懸命に見えたほどだった。
注意を受けてしまったこの日、私もとても疲れてしまった。
やっとの思いでこの日の部活が終わり、空も日が暮れかけようとしていた。
汗を掻いた男子たちが着替えのために部室に入っていく。
私たちマネージャーは片付けも終わり先にちょうど帰るところだった。
その時、部室の奥から突然バタンと大きな音が鳴り、すぐさま「あーっ!」や「うぉ!」という叫びが轟いた。
何事かと中を覗けば、小渕司を含む数人が床に横たわり、会議用の折りたたみテーブルも一緒に倒れていた。
ふざけていたのか、テーブルに乗って遊んでいたのか、その辺はわからないが、何かの弾みでバランスを崩してその場にいた者を巻き込んで崩れたに違いない。
「大丈夫か」
「何やってんだよ」
口々に言葉が飛び交っている。
ごちゃごちゃとしていて中の様子がよくわからなかったが、その時誰かが「イテッ」と言った。
まさかと思ったその時、小渕司が仲間に添えられて立ち上がり、足をケンケンとして痛がっている。
「大丈夫か、小渕」
「大丈夫です。ちょっと捻っただけです」
とは言ってるが、相当痛そうだ。
そこにいた全てのものが驚いている。
一緒に倒れてしまったものは特に顔を青ざめ動揺していた。
「病院にいこう」
「大げさですよ、先輩。大丈夫ですって」
「その足はお前一人のものじゃないんだぞ。チームにとって大切なんだから」
「ちょっとした打ち身ですって。骨折してません」
小渕司はまいったなと言いたそうに笑っていた。
あれほど注意していたはずなのに、小渕司の足の怪我を私は防ぐことができなかった。
これは一体、事故なのか、故意なのか。
私には不慮の事故に見えた。
その場にいたみんなが心配し、ふざけていた人たちは反省し、誰も不審な人物はいなかった。