第四章
3
混乱の中、翼の治療が始まるが、それは完全に治す手段ではない。
それでも放射線治療で大きかった腫瘍がびっくりするほど小さくなったのを見た時、私は希望を抱いた。
もしかしたら翼は助かるのかもしれない。
だけどそれは儚い夢のように長くは続かなかった。
翼が元気に走り回って、いつものように振舞えば、その間に助かる術を見つけて絶対に治してやると奇跡を信じていたけども、翼の見える視野が狭まって物が見えにくくなっている事を知った時、思ったよりも早い病気の進行に絶望し、全てを壊されてしまった。
回数が決められている放射線治療もとうとう最後の一回を使い切ってしまう。
これ以上治療方法がなければ、どうあがいても待っているものは翼の死だった。
刻々と少なくなっていく残された翼の時間。
翼が望むことは何でも叶えてやりたい。
その時私は狂気じみていたのかもしれない。
翼の死を思うと私は辛くてそれを直視できず、つい司にやりきれない思いをぶつけてしまっていた。
「お兄ちゃんでしょ。我慢しなさい」
「どうしておねしょなんかするの。手を煩わせないで」
「それぐらいひとりでできて当たり前でしょ」
司だって甘えたいのは分かっていた。
おねしょもわざとではないのもわかっていた。
不安からくる一種の精神的なものでもあったし、成長しきれてない発育のバランスのせいでもあった。
でも、濡れた布団を見ると、寛容になれなかった。
特に雨の日は余計に気が参った。
司にも言い分があったと思う。
損な性分の司は自分の感情を吐き出す事ができず、いつも心のうちに溜め込んでいた。
それもわかっていたけど、私は見て見ぬふりをしてしまった。
私だっていっぱいいっぱいで心に余裕なんてなかった。
翼の状態をみている司ならきっと許してくれる。私は買いかぶっていた。
夫がこの時、司を気遣ってくれたらどんなによかっただろう。
しかし、仕事をしなければならない夫はこんな状態で会社と家庭で心休まるわけがなかった。
私と同じように必死で、自分のできる事をただやっていただけだった。
親だから一生懸命やってるかといわれたら、当たり前だとむきになっていい切るけども、実際このような状態では疲弊続きに根をあげることだってある。
悲しみのあまり私が愚痴を言えば、精神的に参ってる夫だってどうしようもなくイライラが募って、つい言い合いみたいになってしまう。
喧嘩なんてしたくないのに。
お互い処理できない気持ちを抱えていつも不安定だった。
「母親だろ、しっかりしろ」
そんな言葉を言われた時には我慢ならなかった。
母親だから直視できないの。
母親だから子供を失いたくないの。
母親だから思うようにできなくてイライラしてしまうの。
どこにも解決策がないから、翼を失ってしまうから、その日が来るのがただ怖くて毎日を過ごすしかできないの。
そんな言葉を吐き出したって虚しいだけだった。